「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」会場にて、アルフレド・ジャー
チリ出身でニューヨークを拠点に活動するアルフレド・ジャーは、建築家、映像作家としての顔も持つ現代美術界でもっとも重要なアーティストのひとりだ。彼は「イメージは無垢ではない」という信念のもと、世界各地で起きる地政学的な惨事に対し、真摯な調査と建築的スケールのインスタレーションで向き合い続けてきた。
東京オペラシティ アートギャラリーで開催中の「アルフレド・ジャー あなたと私、そして世界のすべての人たち」は、1970年代の初期作から新作までを概観する。パンデミック以降の閉塞感や世界各地で台頭するファシズムを直視しながらも、芸術を自由が残された最後の空間としてとらえ直す試みだ。
アントニオ・グラムシの「意志の楽観主義」を指針とし、抑圧のシステムに亀裂を入れ続けるジャーが、いかにして世界と自身、そしてアートの力と向き合っているのか、来日している作家に話を聞いた。

──本展タイトルと同名の作品《あなたと私、そして世界のすべての人たち》(2020)は、鏡面、透明、積層されたガラスの3つの立方体で構成されています。この作品が提示する世界観は、自己と他者、見るものと見られるものとのあいだの迷宮的な関係性だけでなく、私たちが世界の諸問題と向き合う際の「当事者性」を問題にしているのでしょうか。
パンデミックのあいだ、世界は約2年間にわたって静止してしまいました。その期間中に私が制作した唯一の作品が、これなのです。当時は目の前に膨大な時間がありました。そこで私は、「抽象」というものへのひとつの試みをしてみようと考えたのです。特定の紛争について語るのではなく、あらゆる対立、そして私自身を同時に内包するような、哲学的で抽象的な表現ができないだろうかと考えました。
この作品には「あなた、私、そして他者」という3つの選択肢がありますが、どれうが誰であるかは明かしていません。ひとつは透明なキューブで、これは非常にオープンで明快な「透明なパーソナリティ」を象徴しています。ふたつ目は全面が鏡張りでなかを窺い知ることができず、外部から内面を読み解くことが困難な「内向的な人」を表しています。そして3つ目は多層的な構造を持つものです。
私たちは誰しも、これらすべての要素を少しずつ持ち合わせているのではないでしょうか。鑑賞者はこの作品を見て、自分自身を定義することができます。これは受け手に委ねられた「開かれた作品」なのです。

──ジョン・ケージに捧げられた《彼らにも考えがある》(2012)は、他者の声に耳を傾けるための沈黙を促しています。この「沈黙を選ぶ」という倫理的な身振りには、どのような可能性があるとお考えですか。
ここで問われている大きな課題は、「私たちはいかにしてともに生きていくか」ということです。話し、かつ聞くことの両方を望む人々もいる。そうした相互の関わりがあってこそ、人は人間になれるのではないでしょうか。 この作品にまつわる物語は特別です。私が深く敬愛する音楽家ジョン・ケージは、16歳のとき、ロサンゼルスの学校で「Other People Think(他者もまた、思考する)」というスピーチを行いました。彼はそこでアメリカ政府に対し、中南米への侵攻を止めるよう訴えたのです。「彼らもまた、あなたたちと同じように思考する人間なのだから」と。
私はそのエピソードがたまらなく好きで、このスピーチに捧げる本を自ら装丁して出版しました。しばらくして、この表紙をライトボックスの作品へと作り変えることを思い至ったのです。もともとは、ひとりの人間が他者の思考を認めるという倫理に向けた、ジョン・ケージへのオマージュから始まったものなのです。

──ジェイムズ・ボールドウィンの小説にちなんだ《今は火だ》(1988)では、地球儀と消火器が組み合わされています。この相反する力の緊張は、現代の諸問題とどう響き合っているのでしょうか。
この作品は、ある意味で滑稽なほどシンプルです。「世界が燃えているのだから、ここに消火器を置こう。これを使って火を消すんだ」という、ひとつの詩的なジェスチャーに過ぎません。いま、世界は気候変動だけでなく、政治的、社会的にも燃え上がっています。この作品が表現しているのは、まさに私たちの無力さです。人類は火に対処するためのシステムを考案してきましたが、それらはいまや明らかに不十分なものになっています。
既存の要素を組み合わせ、たんなる物質の足し算を超えて、新たな意味を付与する。自分でもこの作品の存在を忘れていて、再発見したときには「発表すべきではない」と思ったほどです。ですが、美術館側が「現代でも通用する」と言ってくれたことで、再びこうして世に出ることになったのです。

──新作《明日は明日の陽が昇る》(2025)は、日の丸と星条旗の危うい均衡を描いています。この緊張のなかから、私たちはどのような解放への兆しを見出すことができるのでしょうか。
パクス・アメリカーナなど、もはや存在しません。平和もなければ、かつてのアメリカもどこにもない。それが私の認識です。この作品は、日本という国そのもの、そして日本とアメリカとの関係性をテーマにしています。旧来の世界秩序が崩れ、新たな秩序が形成されようとしています。アジア諸国は、アメリカという存在が自国にとってひとつの脅威になり得ると気づき始め、新たな関係性を模索しています。
私は国際政治の観察者として、この状況に応答したいと考えました。しかし、それを画像やテキストに頼ることなく、極めてシンプルかつ詩的な手法で表現したかったのです。これは2国間の関係に対する非常に詩的な解釈であり、最終的には人々がそれぞれのやり方で解釈する開かれた作品です。日本がついに、アメリカに対して、そして世界に対して自らのアイデンティティを主張し始めている。その可能性に、私はとても高揚しています。

── 《ヒロシマ、ヒロシマ》(2023)では、どのような「記憶の場」を立ち上げようとしたのですか。また3年前の広島での個展でこの作品を発表されましたが、今回の東京と広島では、どのような違いがありますか。
広島を再現すること、あるいは広島を表象するということは、本来、不可能なことです。私が広島を語るために選んだ唯一の手立ては、いまの、この街の姿について語ることでした。息づいている街、平和のなかにある街を見せること。そのうえで、あの凄惨な悲劇が起きた場所を提示することでした。この作品を通じて、人々がいまだかつて見たことのない光景──真上からとらえた原爆ドームの姿を見せ、人間の責任について問いを投げかけたかったのです。なぜ人間が、核爆弾の使用というこれほどまでに恐ろしい暴挙をなし得たのか。
広島では、出展作品の70%以上が広島をテーマにした、まさに広島のための展覧会でした。対して今回のプロジェクトは、より広く世界を見据えたものです。私と世界の関わり、と言えるかもしれません。会場構成としては、導入の部屋ではチリの軍事クーデターや世界について扱っています。さらにブラジル、ヨーロッパ、アフリカに関するセクションがあり、日本に関する作品も展示しています。
広島展が場所に深く潜り込むものだったのに対し、今回の展示は私の活動のエッセンスを凝縮した、一種の「小さなアンソロジー(選集)」のような性格を持っています。


──会場入り口の《写真はとるのではない。つくるものだ。》(2013)は、アンセル・アダムスの言葉を引用し、制作者の主体性を問いかけています。今日、イメージの制作や生成における社会的・倫理的責任をどうとらえていますか。
今日、世界では毎日53億枚もの写真が生み出されています。それこそが、まさにこの作品が意図するところなのです。 私が伝えたかったのは、「皆さんはiPhoneで写真を撮っていますが、少し考えてみてください」というメッセージです。あらゆる画像には、世界に対する思想的な側面が内包されています。すべての画像は政治的な表明であり、シャッターを切る前に、その1枚について熟考することが重要なのです。
この作品を展示するたび、展示物はあっという間に消えてなくなってしまいます。観客がポスターを手に取り、自宅や通りに飾ることで、メッセージが世界中に拡散されていく。画像を生み出すことに対して、人々がより自覚的で責任を持つようになるための手法なのです。

──芸術が現実の惨禍を前に無力さを露呈する瞬間があるにせよ、あえて「詩的なモデル」を信じ、絶望のなかであなたが「意志の楽観主義」を貫ける理由を教えてください。
それは、絶望の時代における「意志の楽観主義」です。そうせざるを得ないのです。知性の面で言えば、私は極めて悲観的です。では、無力感に苛まれて世界を放棄するのでしょうか? 選択肢はふたつにひとつです。諦めるか、あるいは抵抗する意志を持つと決意するか。その抵抗する意志こそが、楽観的であるということなのです。
自分の作品を通じて、ここにある小さな何かを変えられると信じること。私はこれを「抑圧のシステムに亀裂(クラック)を入れる」と呼んでいます。あちこちに、小さな亀裂をひとつずつ作っていくのです。
私たちにできるのは、地道なことだけかもしれません。しかし、ありがたいことに、アートの世界はいまだ自由の領域であり続けています。政治家もメディアも成し得ないことが、ここでは可能なのです。いつまで続くかは分かりませんが、私たちにはまだ、芸術と文化という自由な場所が残されているのです。

TONIGHT NO POETRY WILL SERVE 今夜、詩は何の助けにもならない
アルフレド・ジャーのメッセージは、私たちが直面する地政学的・社会的な混迷に対する、切実かつ知的な処方箋。知性的には徹底して悲観的でありながらも、表現という意志を通じて楽観を貫こうとする彼の姿勢は、アートが自由に残された最後の空間であるという強い確信に支えられている。システムに小さな亀裂を入れ、世界と自身の関係を再定義し続けること。その真摯な抵抗の積み重ねのなかにこそ、絶望を希望へと反転させ、閉塞した現状を打開する解放への確かな兆しが宿る。
アルフレド・ジャー
1956年チリ生まれ。ニューヨークを拠点に活動する作家。写真、建築、映像を横断した制作を行っている。ヴェネチア・ビエンナーレやドクメンタなど主要な国際展に参加し、世界各地の美術館で個展を開催。日本ではヒロシマ賞(2018)を受賞し、2023年に広島市現代美術館で個展が行われた。これまでに70以上の都市介入型プロジェクトを手がけ、作品はニューヨーク近代美術館やテート・モダンなど、国内外の美術館に収蔵されている。