「センセーション」ブルックリンミュージアムでの巡回展(1999〜2000)の会場風景。右がダミアン・ハースト《生者の心における死の物理的な不可能性》(1991) 出典:Brooklyn Museum, No restrictions, via Wikimedia Commons
*「特集:YBA 90s英国美術は、いま何を語るのか」──YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と、それを生んだ90年代という時代を今日の視点で振り返る、Tokyo Art Beatの特集シリーズ。展覧会「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」の開催にあわせて、90年代という特異点を、アートにとどまらない現代の多様な視点で見つめ直す。
1980年代末から90年代にかけてロンドンを中心に注目を集めた「YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)」。ダミアン・ハーストやトレイシー・エミンといった現在も世界的に活躍するアーティストたちの原点としても知られる。
今年、東京・六本木の国立新美術館(2月11日〜5月11日)、京都市京セラ美術館(6月3日〜9月6日)では、「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」が、開催される。本展は、テート美術館のコレクションを中心に、1990年代の英国美術の革新的な創作の軌跡をたどる大規模展だ。
本記事ではロンドン芸術大学出身の文化研究者・山本浩貴をガイドに迎え、そんなYBAの基礎知識を解説。YBAはどのように生まれ、なぜ注目を集めたのか。そして現代の視点で振り返ると見えてくるものとは。YBAというひとつの熱狂、その背景と意義をひもとく。【Tokyo Art Beat】
YBAは「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」の略称で、1980年代末から90年代にかけてロンドンを中心に活動し、脚光を浴びたイギリスの若手アーティスト群を指す言葉です。ダミアン・ハースト(1965〜)、トレイシー・エミン(1963〜)、レイチェル・ホワイトリード(1963〜)ら、現在も国際的に評価される作家を多く含み、彼ら・彼女らはその後のイギリスおよび世界の現代美術に大きな影響を及ぼしました。

この言葉の初出は、1992年の『アートフォーラム』誌にアートライターのマイケル・コリスが寄稿した記事とされます。「YBA」という略称が定着したのは96年頃からとされていますが、定かではありません。とはいえ、たしかなことは、90年代前半以降、「YBA」というラベルが当時のイギリス現代美術の支配的な動向を指す言葉となり、同時にイギリス文化を世界にプロモートする「クール・ブリタニア政策」とも連動して、アートマーケットにおいてグローバルな認知を獲得する強力なブランド名になっていったという事実です。

YBAがこれほどまでの影響力を持つに至った理由は複合的ですが、大きく分けて3つの要素が挙げられます。
1つ目は、挑発的で、ときに露悪的ですらある、人目を引くショッキングな作品スタイル。
2つ目は、実験的で伝統に縛られない、自由な素材選びや制作のプロセス。
3つ目は、大胆で商業主義的であることを厭わない、起業家精神に溢れたアティチュード(態度)、です。
これらについては、後ほど説明します。
今年、東京の国立新美術館と京都市京セラ美術館で開催される「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展では、このYBA世代が中心的に取り上げられます。ここでは、YBAの誕生から代表的なアーティスト、そして今日それを振り返る意義について触れ、展覧会をより深く理解するための補助線を引ければと思います。

YBAはどのように誕生したのでしょうか? その背景を理解するためには、まず1980年代後半から90年代初頭にかけてのイギリス、とくにロンドンの文化状況を押さえる必要があります。当時のイギリスでは、アート、音楽、ファッション、そしてポップカルチャーからサブカルチャーまで、様々な文化領域がかつてないほど境界線を越えて混ざり合い、大変な活況を呈していました。
たとえば音楽シーンでは、91年にマンチェスターでギャラガー兄弟を中心とするロックバンド「オアシス」が結成され、「ブラー」などともに「ブリットポップ」と呼ばれるイギリス音楽の新世代を牽引する存在となります。またファッションの世界では、ロンドン芸術大学のカレッジのひとつであるセントラル・セント・マーチンズから、ジョン・ガリアーノ、ステラ・マッカートニー、アレキサンダー・マックイーンといったデザイナーたちが輩出され、業界に革新をもたらしました。これらはいずれもユースカルチャーの一部を成しており、若者が感じる日常のリアリティを表現したクリエイターたちは、若者たちに熱狂をもって迎えられました。
ジャンルを超えた知的交流やコラボレーションも盛んに行われ、たとえば1995年にはダミアン・ハーストがブラーの楽曲「カントリー・ハウス」のミュージックビデオを監督。ブラーは初のベストアルバム『ザ・ベスト・オブ』(2000)のジャケットにも、アーティストのジュリアン・オピー(1958〜)を起用しています。こうした文化的な越境と混合のなかで、YBAのアートも大きく発展を遂げました。

もうひとつの背景として、当時のアートスクールの状況も重要です。ファッションにおけるセントラル・セント・マーチンズに対して、YBAのアーティストを多く輩出したのが、ロンドン大学のゴールドスミス・カレッジです。ロンドン南東部に位置する同校は、ファインアート、音楽学、社会学、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)、メディア研究、コミュニケーション学など、様々な分野の教育と研究が盛んな大学として知られます。

学生のサポートに熱心な教員も多く、YBAの作家たちもリチャード・ウェントワース、ヘレン・チャドウィック、マーク・ウォリンジャーら、第一線で活躍する先輩作家から薫陶を受けました。なかでも1941年生まれのマイケル・クレイグ=マーティンは、自身の人脈を惜しみなく後進に分け与え、YBAの躍進にもっとも大きな役割を果たした人物です。

こうした創造的な文化状況と教育環境に後押しされ、1988年、YBAのリーダー格となるダミアン・ハーストは、ゴールドスミスの同級生らとグループ展「フリーズ(Freeze)」を企画します。当時、彼はまだ学部2年生でした。最終的に16名が出展した展覧会の会場は、ロンドンのドックランズにあるロンドン港湾局の古びた建物でした。当初、無名の美大生が企画した展覧会にアート関係者は関心を示しませんでしたが、蓋を開けてみれば同展は少なくない注目を集め、全国紙『ガーディアン』にもレビューが掲載されました。

この「フリーズ」展には、YBAの躍進に欠かせないもうひとりの人物も足を運んでいました。それがチャールズ・サーチ(1943〜)です。サーチは兄と共同設立した広告代理店「サーチ&サーチ」で財を成した著名なアートコレクターで、80年代半ばに自身のギャラリーを開廊していました。彼はYBAを現代アートの中心に押し上げた人物として知られ、彼らの作品を自身のコレクションに多数加えていきました(ただし、その後の関係の変化などの理由で、2000年代以降コレクションの大部分は売却されています)。
「フリーズ」展に続き、YBAの名声、あるいは悪評を広めたのが、1997年に王立芸術院(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ、RA)で開催された「センセーション」展です。サーチが共同キュレーターを務め、自身のコレクションからYBA作品を多数出品した同展は、その過激さからスキャンダルを巻き起こします。次のページでは、人々に驚きを与えたそんな作品の特徴を見ていきましょう。

賛否両論を巻き起こしたYBAの作品の特徴とは、どのようなものだったのか──。第一の特徴は、その挑発的で露悪的、そしてショッキングな作風です。これは「センセーション」展の出品作を見ればよくわかります。
たとえば、ダミアン・ハーストの《生者の心における死の物理的な不可能性》(1991)は、ガラスケースの中でホリマリン漬けにされた巨大なサメの剥製。トレイシー・エミンの《私が一緒に寝たすべての人たち 1963-1995》(1995)は、作家がベッドをともにした(必ずしも性的な意味に限らず、家族なども含むのですが)全員の名前をアップリケしたテントのインスタレーション。マーク・クイン(1964〜)の《セルフ》(1991)は、自身の血液を固めて作った自らの頭部模型……といった具合です。

なかでも物議を醸したのが、マーカス・ハーヴェイ(1963〜)の《マイラ》(1995)でした。これは実際の児童連続殺害事件の犯人の肖像を、あろうことか子供の手形を用いて描いたモザイク画であり、展示初日に批判者から襲撃を受け、修復のために一時撤去される事態となりました。このように「センセーション」展はある種の炎上商法的な色彩を帯びつつ、メディアや大衆の注目を集め、YBA作家に名声と表裏一体の悪評をもたらしました。

第二の特徴として、素材や制作過程の極めて高い自由度や実験性が挙げられます。ハーストの切断された動物の死骸、エミンの明け透けなセクシュアリティ、クインの生命のリスクをも伴う創造行為など、YBA作家の素材やテーマの選び方は従来のアートの常識に収まらないものでした。業界の狭いルールに反抗するようなこの自由さは、これまで現代アートに馴染みのなかった多くの観衆を惹きつけ、その後のテート・モダン開館(2000)などにつながる道筋を作ります。

第三の特徴は、マーケットを意識し、メディアを戦略的に利用することも厭わない、際立った起業家精神(アントレプレナーシップ)です。YBA作家の多くは、評価を受動的に待つのではなく、誰にどのように作品を見せるかについて自らイニシアチヴを取り、能動的にコントロールする才能や野心を持ち合わせた人々でした。
とりわけハーストには、この精神に立脚した大胆な戦略的行動が明白です。「フリーズ」展において、ハーストは無名の美大生でありながら、きちんとデザインされた展覧会カタログを制作し、そこに美術批評家のレビューを載せるという戦略をとります。ここには宣伝や記録への意識の高さと同時に、同時代や後続の美術関係者に自らを売り込もうとする、まさに起業家的な野心が表れています。

では、ここからYBAのアーティストを紹介します。YBAに厳密なメンバーシップはなく、その枠組みは流動的ですが、ここではYBAの多様性を示す5人を選んでみました。
1965年、イギリスのブリストル生まれで、YBAを代表するもっとも著名な作家です。彼は先ほども触れた《生者の心における死の物理的な不可能性》など、生や死という根源的なテーマを扱う作品で知られており、僕自身、ロンドン留学時に、彼が動物の死骸を用いた最初の作品《A Thousand Years》(1990)を見て衝撃を受けました。

これは、穴の空いた壁でふたつに仕切られた巨大なガラスケースの片方にウジの培養箱、片方に牛の頭部と殺虫灯が置かれており、ウジがハエになって飛んでいくと、電熱線にぶつかり下に死骸が溜まっていく、という作品です。「ケースの中で生と死の循環が起きていて……」とも言えるのですが、観客がすごく嫌そうな顔をしていたのを覚えています。好きでも嫌いでも、いずれにしても人のアテンションを強烈に引っ張る、ハーストの作風をはっきりと表した作品だと思います。
また、彼はマーケットへの意識も高く、2007年には頭蓋骨に8601個のダイアモンドをあしらった《神の愛のために》が120億円で落札されました。世界でもっともリッチなアーティストであり、同時にコンセプチュアルな面も併せ持つ、振れ幅の広い作家です。
1963年生まれのエミンも、もっとも著名なYBAの代表作家です。自伝的で告白的な、自分をさらけ出すような作風で知られ、個人的にはフランスのソフィ・カルと比較しうる存在だと考えています(カルのほうが、より客観性を帯びた分析的なアプローチをとることが多いですが)。
先ほど《私が一緒に寝た……》に触れましたが、彼女が「ターナー賞」にノミネートされた際に展示したのが《マイ・ベッド》(1998)です。これは、彼女がその上で数週間、食事や睡眠、性行為などの「日常生活」を送ったベッドを、未整理のまま展示室に持ってきた作品です。周囲には吸い殻や使用後のコンドーム、自分の血液の付いた下着などが散乱しており、そのセクシュアルでプライベートな暴露は議論を呼びました。彼女の作品もまた、見る人の好悪を分けるけれども、挑発的なやり方で強烈にアテンションを引きつける力を持ちます。

3人目のホワイトリードは僕のなかで、YBAの固定化されたイメージを覆しつつ、その特徴も併せ持つ両義的な作家です。彼女はネガティブ・スペース(余白)や、物体と物体の間の空間を物質として型取り、可視化する彫刻で国際的に評価されています。
代表作《ハウス》(1993)は、20世紀初頭のエドワード朝の時代の、取り壊しが決まったテラスハウスの内部空間をコンクリートで型取りして、取り出した作品です。その取り壊しの過程などは写真で記録され、書籍のかたちで残されます。ハーストやエミンのようなわかりやすい露悪性や挑発性はないのですが、クールさのなかにYBA的な大胆さもあり、そうした2つの側面を持つ点がユニークだと思います。
また、当時のロンドンが抱えていた住宅供給や家の取り壊しなどの社会問題に対して、明示的ではないが静かな応答となっている点も重要です。YBAには社会政治性が希薄と言われることも多いのですが、彼女の作品を見ると決してそんなことはないと感じさせます。彼女は2025年、東京・京橋に新作屋外彫刻が設置されたこともニュースになりました。

1963年生まれのウェアリングは、個人的な人間関係や社会的行動を通して、公的領域と私的領域の重なりを探求する作家です。YBAには映像や写真のイメージが薄いですが、彼女はそれをメインの媒体としており、その意味でもYBAの多様性を示す作家と言えます。

代表作「誰かがあなたに言わせたがっていることじゃなくて、あなたが彼らに言わせてみたいことのサイン」シリーズ(1992〜93)では、街行く人にいまの心境を紙に書いてもらい、その姿を紙と一緒に撮影します。有名なのは「I'm DESPERATE(絶望している)」と書かれた一枚なのですが、それを掲げているのは高そうなスーツを着た男性なんですね。つまり、「絶望」と聞くと人は勝手にある種の人物像を抱くけれど、個人の内面と外面には乖離がある。彼女はこうした「ドキュメンタリーを撮るとは何か?」「そもそも『撮る』とは何か?」という問いを、写真や映像を通して深く考えてきた作家です。

とりわけ僕が留学中の2010年代は、写真映像学科に限らず、多くの学生がドキュメンタリー性や作品の中立性、客観性について議論をしていました。彼女の作品は、そこに答えを出すというより実験的な問いかけをしている。YBAにはこうした分析的で社会批評的な作品、考えて楽しむ作品もあることがわかります。
最後に取り上げるランディは、1963年生まれの、パフォーマンスや参加の要素を含む作品で知られる作家です。この人はイギリスの外に出ると、あまりYBAの作家として認識されていないかもしれません。
ランディの代表作が、2001年の《ブレイクダウン》です。これは、自分の持ち物や作品、小切手などの財産をまとめてシュレッダーにかけて、ゴミ袋に入れたものを展示するという作品です。袋に入れた品名のリストは販売するものの、基本的に自分の全財産を破壊するだけ。あとは無一文になって数年間沈黙を続けるというもので、僕自身はリスペクトを感じますが、マーケティングを考えずに露悪的、挑発的になるとこんなことになるという、特殊な作家だと思います。
また、「ヨコハマトリエンナーレ2014」にも出品された《アート・ビン》(2010)は、美大生から日曜画家まで、誰でも自分の失敗した作品をそこに捨てられる巨大な「ゴミ箱(bin)」の作品です。参加型で、「ヨコトリ」でも作品前に多くの人が並びました。

さて、ここでは5人のアーティストを紹介しましたが、こうして見るとYBAには基本的な特徴はありつつ、その枠をはみ出す存在も多いことがわかります。媒体からスタイルまで含むその多様性こそが、YBAがいまも考察の対象となるひとつの理由なのだと思います。
最後に、現在の視点からYBAを振り返る意味について触れたいと思います。
先日、「YBA & BEYOND」展のキュレーターのひとりで、テート・ブリテンの現代美術部門キュレーターであるヘレン・リトルさんにインタビューをしました。そこで彼女は、「1990年代から四半世紀を経て、私たちは批判的な距離を置いて冷静にYBAのアートを振り返ることができるようになった。そしてそのような振り返りというのは、とても大切なことだ」とお話しされていました。
ムーブメントの後、YBA作家たちは順調にキャリアを積んでいき、そのほとんどが現在は国際的に著名なスター作家となっています。たしかにサーチらの存在もありましたが、若い作家が自ら道を切り開いていく野心やその行動力、あるいは起業家精神というものは非常に驚くべきもので、彼や彼女らのなかにはいまだにそれが健在だと感じます。

いっぽう、こうした人的つながりや起業家精神に加え、YBAの発展を後押ししたものに90年代のイギリスに満ちていた時代の空気がありました。90年代は、79年から約10年続いたサッチャー政権が終わり、台頭する新自由主義のなかで社会の分断や対立、格差が拡大した時代です。そうしたフラストレーションや閉塞感を打破したいという気持ちがYBAの誕生を支えた。その意味でYBAは、彼ら彼女ら自身の才能や努力、戦略や野心という土台の上に、様々な要素が偶然に合わさって生まれた、ある種の奇跡的な動向と言えるのかもしれません。
また、90年代は現代アートが本格的にアートマーケットの主役となった時期で、YBAはこの現象にもっとも貢献した動向です。この流れが、日本の村上隆や奈良美智がグローバルに活躍する素地を準備したとも言える。実際、日本でもYBA人気は高く、1998年の「リアル/ライフ イギリスの新しい美術」展(東京都現代美術館)や、2008年の「英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展」(森美術館)などの展示も多数開催。国内の美術館や私的なコレクションにも、YBA世代のアーティストの作品は意外なほど多く収蔵されています。

他方、現在から批判的にYBAを振り返る意味で、展示タイトルにある「BEYOND」の部分が非常に大きな意味を持っています。YBAに一般的に括られるアーティストのなかには、クリス・オフィリ(1968〜)やインカ・ショニバレ CBE(1962〜)など、大英帝国の旧植民地にルーツを持つ黒人作家も多数います。彼らは人種や民族をめぐるテーマを扱った作品も制作しており、YBAのあまり認知されていない政治性を映し出しています。

アイザック・ジュリアン(1960〜)やジョン・アコムフラ(1957〜)が率いた「ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ」は、映像制作を通じてイギリスで黒人として生きるという経験を批評的に描き出しました。スタパ・ビスワス(1962〜)やソニア・ボイス(1962〜)、ルベイナ・ヒミド(1954〜)など、黒人女性の作家もこの時期旺盛な活動を展開します。このうち一部の作家の作品は、今回の展示にも出品されます。

YBAのアートが美術史で語られるとき、その白人中心主義や異性愛規範のために、黒人作家あるいはホモセクシュアルの作家が周縁化される傾向があることについては、批判的な再考を必要とします。 「YBA & BEYOND」展の「BEYOND」に込められたキュレーションの意図は、こうしたところに明確に表れているのだと思います。
YBAの登場から約30年。ここで触れた歴史的・現在的な視点からその現象を考え直すことは、イギリスのみならず日本でも大きな意味を持っています。
*特集「YBA」のほかの記事はこちら(随時更新)
山本浩貴
山本浩貴