公開日:2026年4月28日

光と影、境界、そして不在の気配を感じ取る。「アンドリュー・ワイエス展」(東京都美術館)をレポート

日本では17年ぶりとなる大規模な個展が開幕

クリスティーナ・オルソン 1947

17年ぶりの開催。「境界」から読み解く、ワイエスの絵画世界

「東京都美術館開館100周年記念 アンドリュー・ワイエス展」が、東京都美術館にて7月5日まで開催される。アメリカ具象絵画を代表する画家、アンドリュー・ワイエスの大規模な個展としては、日本では17年ぶりだ。前回の会期中にワイエスが逝去したため、没後に国内で作品が一堂に会するのは初めてとなる。

会場風景

本展が掲げるキーワードは「境界」。窓やドアといったモチーフを通して、生と死、自己と他者を隔てながらも結びつける世界が描かれている。本展を担当した東京都美術館の髙城靖之「一般的な回顧展とは異なり、ワイエスの作品のなかにある境界というものをテーマとして、異なる作品を横断して見る構成にした」と語る。

東京都美術館の髙城靖之

展示はワイエスという画家の素顔から、光と影の表現、オルソン・ハウスとクリスティーナとの30年、晩年へと広がる眼差し、そして境界あるいは窓というテーマまで、5つの切り口で構成されている。

喪失からはじまる、ワイエスの原点

最初の展示室に入ると、スケッチブックを脇に抱え、まるで「怒れる若者」といった表情で野原を歩く男の姿が目に飛び込んでくる。《自画像》(1945)だ。ワイエスが残した自画像は多くなく、この作品はとくに貴重な一点とされている。ワイエスは幼少期から虚弱で学校に通えず、挿絵画家の父N.C.ワイエスのもとで絵を学んだ。日々自宅近隣を散策しながらスケッチを重ね、15歳頃から本格的な指導を受けて才能を開花させていく。しかし父を乗り越えようとしていた矢先、28歳のとき父が踏切事故で突然この世を去った。《自画像》はちょうどその頃に描かれた作品だ。父の死はワイエスの死生観に深く影響し、「世の無常」という感覚がその後の制作の底流をなすことになった。

自画像 1945

同じ展示室には《マザー・アーチーの教会》(1945)も並ぶ。かつて学校として使われ、のちにアフリカ系住民の教会となったこの建物は、現在では礎石しか残っていない。天井が剥がれ落ちはじめた室内は、建物が滅びの過程にあることを伝えている。ワイエスは人種に偏見を持たず、幼い頃からこの地域の人々と交流し、この場所でも作品を描いた。しかし画面をよく見ると、開いた窓から白い鳩が飛び込んできている。朽ちていく空間のなかに、窓を通して希望が差し込むような一枚だ。

マザー・アーチーの教会 1945

ワイエスが生涯愛用した技法のひとつが、テンペラだ。乾燥顔料と水と卵黄を混ぜ合わせた絵具で描くこの手法は、15世紀頃まで広く使われ、油絵の普及とともに廃れていったものだ。ワイエスがとくに好んだのは、テンペラ特有の乾いたざらざらした質感だった。メイン州の海岸にポツンと立つ巨石を描いた《火打ち石》(1975)は、その質感が存分に発揮された一点だ。世間の風評に流されず自らの道を歩み続けたワイエス自身の姿が、長い年月をそこにあり続ける巨石に重なって見える。

火打ち石 1975

光が照らし、影が語る

続く展示室では、ワイエスの光と影の表現に焦点が当たる。《松ぼっくり男爵》(1976)は、隣人カール・カーナーの農場で偶然目にした光景を描いた作品だ。ドイツからの移民で第一次世界大戦に従軍したカーナーが持ち込んだ鉄兜を、妻アンナが松ぼっくりを入れる容器として使っていた。その取り合わせをワイエスが発見し、興奮のまま筆をとった。ふたつの物が持つ歴史や夫婦の関係性、農場での暮らしまでもが、この一枚に込められている。

松ぼっくり男爵 1976

《ブルーベリーのバケツ》(1964)では、メイン州の農場の窓際に置かれたバケツに、妻ベッツィが摘んできたブルーベリーが入っている。針葉樹の茂る窓の外からの光がバケツを照らし、ベッツィが外にいる気配へとワイエスの意識が広がっていることが感じられる。

ブルーベリーのバケツ 1964

ワイエスの光と影はバロック絵画のような演出的なスポットライトとは異なる。現実の光景をきちんと描いているように見えながら、コントラストによって画面に迫真力が生まれ、明るいところと暗いところをつなぐ扉や窓が、ひとつの記号として機能している。

《洗濯物》(1961)はその好例だ。ペンシルヴェニア州のスタジオで、ベッツィが干した洗濯物が風になびいている。光に照らされた白いシーツの背後、窓の内側は暗く沈んでいる。洗濯ロープが窓枠まで伸びているのをよく見ると、屋外と屋内がひとつの線でつながれていることがわかる。明と暗の対比のなかに、ベッツィへのワイエスの眼差しがにじんでいる。

洗濯物 1961

腐敗していく家に、ワイエスは30年通い続けた

本展でひときわ広いスペースを占めるのが、メイン州クッシングにあるオルソン・ハウスとクリスティーナ・オルソンにまつわる作品群だ。

ワイエスがこの家を初めて訪れたのは1939年のことだった。のちに妻となるベッツィが、年の離れた友人クリスティーナに会わせることで、ワイエスの人となりを見定めようとしたのだという。障害を持ち、裕福でもないクリスティーナに対するワイエスの反応を確かめるためだったと伝えられている。このとき描いたのが《オルソンの家》(1952)。初訪問の直後に描かれたこの水彩は、まだ平明で素直な表現をたたえており、その後30年にわたる制作の出発点となった作品として展示されている。

オルソンの家 1952

クリスティーナは進行性の病により、ワイエスと知り合った頃にはすでに脚が不自由になっていた。それでも車椅子を使うことを好まず、自らの手で這って移動し、身の回りのことを自分でこなす自立心の強い女性だった。ワイエスはその気高さに深く惹かれ、彼女が世を去るまで描き続けた。

《〈海からの風〉習作》(1947)では、窓とカーテンに重なるように、クリスティーナの頭部の習作が描かれている。同じ紙を使ったとされることもあるが、海からの風を受けて翻るカーテンは、クリスティーナの髪をワイエスが無意識に感じ取った結果とも読める。この家の滅びと彼女の終焉を、ワイエスがすでに予感していたかのような一枚だ。

〈海からの風〉習作 1947

本章の中心に据えられているのが、《クリスティーナ・オルソン》(1947)だ。台所仕事を終えたクリスティーナが、オルソン・ハウスの戸口の踏み段に腰を下ろしている。陽射しがまるでスポットライトのように彼女を照らし、風が髪をなびかせている。その視線はどこか遠くを眺めているようだ。陽光あふれる外と暗い室内のちょうど境に座るクリスティーナは、内と外をつなぐ存在として描かれている。ワイエスはこのときの彼女の様子を「傷ついたカモメを思い起こさせた」と語っている。完成作の手前には、髪がまだ動いていない習作も並んで展示されており、風の表現がいかにワイエスにとって欠かせない要素だったかが伝わってくる。

クリスティーナ・オルソン 1947

不在のなかに感じる、主役の気配

クリスティーナが亡くなった翌年、弟のアルヴァロも世を去った。ワイエスはオルソン家を描くことをやめ、身近な風景のなかに新たなモチーフを探すようになる。

この展示室では、そうした眼差しの広がりを示す作品が並ぶ。《灯台》(1983)は、メイン州サザン・アイランドの灯台での情景だ。開かれたドアの手前に、ベッツィの愛犬ノームが行儀よく座っている。ドアの向こうには階段が見え、階上に別の世界が広がることを暗示している。灯台の光が届く先には、遭難しないよう航海を続ける船がいる。その光は生をつなぎとめるものであり、入り口に座る犬はそれを守る番人のようだ。

灯台 1983

《モデルの椅子》(1982)では、モデルであるアン・コールの姿は画面に存在しない。休憩したあとの椅子と服だけが描かれている。その不在の表現こそがアンという人物を伝えると、ワイエスは判断した。窓から差し込む光が服と傍らの卵の白さを際立たせ、そこに確かにいた誰かの気配を漂わせている。

モデルの椅子 1982

窓の向こうに光がある。ワイエスが描いた「境界」の正体

最後の展示室は、窓をモチーフとした作品で構成されている。

会場には窓を模した展示も

《〈ゼラニウム〉習作》(1960)では、オルソン・ハウスの台所の窓が真正面に描かれている。窓の内側にクリスティーナの人影があるが、言われなければ気づかないほどの存在感しかない。クリスティーナが好んだゼラニウムの赤い色が、その影が彼女であることをかすかに示している。外側のガラス越しに光が差し込み、さらにクリスティーナの奥にも窓があって光が届いている。部屋は暗くとも、光がにじむように彼女の世界は閉ざされたものではないことが、窓を通して伝わってくる。

〈ゼラニウム〉習作 1960

《花びら》(1991)は、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードの自宅母屋を描いた作品だ。木と家のあいだから粉挽き小屋がのぞき、風にクラブアップルの花びらが舞っている。画面で目を引く開かれた窓は、夫妻の寝室のものだ。窓が開かれることで花の香りのさわやかな空気が室内に入り込んでいくさまが想像され、ワイエスとベッツィ、そして外界をつなぐ象徴として機能している。

花びら 1991

ワイエスが描いた窓の向こうには、つねに光があった。境界は隔てるためにあるのではなく、その先にある世界へと、静かに手招きするためにあったのかもしれない。

ヒトデ 1986

福島 吏直子(編集部)

福島 吏直子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。編集者・ライター。