左:『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』第3弾キーヴィジュアル 右:映画『果てしなきスカーレット』公式サイトより
劇場公開のアニメ作品の大ヒットから、配信サービスを通じた国際的な人気・評価の高まりまで、日本のアニメーション作品が様々な面で成功・拡大を収めた2025年。『ジブリの戦後ー国民的スタジオの軌跡と想像力』(中央公論新社)、『セカイ系入門 』(星海社新書)を今年刊行した映画史研究者・批評家の渡邉大輔が、日本のアニメーション史的に見ても重要な年となったこの1年について総括する。【Tokyo Art Beat】
2025年も日本アニメが大きな社会的話題を振り撒いた年だった。振り返ってみると、今後のアニメの未来を展望するにあたって、今年は、いろいろな意味で象徴的な1年になったように思う。主だったできごとを回顧しながら、私なりに2025年のアニメを総括してみたい。
まず、今年の好対照となった作品が、なんといっても7月公開の映画『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』と、11月公開の細田守監督『果てしなきスカーレット』だったことに異論はないだろう。
2020年に19年ぶりに国内歴代映画興行収入ランキングのトップを塗り替えた『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』の続編である前者は、歴代2位となる興収約385億円を記録する歴史的な大ヒットとなった。今年はほかにも、シリーズ歴代2位の興収を記録した『名探偵コナン 隻眼の残像(フラッシュバック)』(2025)や、やはり100億円に迫る興収を達成した『劇場版 チェンソーマン レゼ篇』(2025)など規格外のヒットが相次いだ。また、ここ数年、バンドアニメに話題を取って代わられつつあるようにも見えたアイドルアニメの分野でも、観客たちの投票によってラップバトルの結果(勝敗)が変わるという異色の観客参加型映画『ヒプノシスマイク -Division Rap Battle-』(2025)が、年間を通して大量のリピーターを獲得する話題作となった。
他方、新海誠と並んで現代日本を代表するアニメ監督として知られる細田の4年ぶりの新作となった後者は、公開当初から酷評が目立ち、興行的にもこの手の巨匠の新作では珍しいほどの惨敗という、じつに対照的な結果となった。奇しくもどちらも「復讐」の物語でもあるこの『鬼滅』と『果てスカ』の対比には、私からは、アニメをめぐる大きな時代の転換点が垣間見える。
ただ、映画批評も手がける私からすると、そもそも今年は近年稀に見る「邦画の当たり年」だった。周知の通り、『鬼滅』と並んで、李相日監督『国宝』(2025)が口コミから広がって社会現象級の大ヒットとなり興行収入約180億円を記録、本広克行監督『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(2003)が保持していた記録を破り、22年ぶりに邦画実写歴代1位を更新した。
このように『鬼滅』と『国宝』を並べてみたとき、思い起こされるのが、いまから9年前の2016年という年である。まさにこの年も、新海誠監督のアニメーション映画『君の名は。』(2016)と庵野秀明総監督の特撮映画『シン・ゴジラ』(2016)が日本映画史に残る社会現象級の大ヒットを記録して「邦画の当たり年」と呼ばれた年だった。
アニメに限っても、今年が2016年の邦画を髣髴とさせるトピックはほかにもある。先ほど挙げた『ヒプマイ』も、シネコンにおけるアイドルアニメの「応援上映」(観客参加型上映)のスタイルを一気に浸透させた映画『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(2016)の発展形と見ることができる。
また、戦後80年にあたる今年は、『cocoon〜ある夏の少女たちより〜』(2025)や『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』(2025)といった戦争アニメの秀作が続いたが、これらは今夏もリバイバル上映された片渕須直監督の名作『この世界の片隅に』(2016)が切り拓いた戦争アニメの新たなパラダイムの延長上にあったのは明らかだ。
すなわち、2025年とは、映画史的には2016年の邦画(アニメ)の、ある側面での螺旋状の「回帰」なのであり、今年のアニメの持つ歴史的意味は、おそらくここ10年ほどの流れのなかで俯瞰したときによりクリアになるのではないか。
その内実は、何よりも『鬼滅』においてはっきりと表れている。今回の『第一章 猗窩座再来』でひときわわれわれの目を引いたのは、連続的・構築的な物語叙述の衰退と、過剰にイマーシブ(没入的)な映像演出だった。本作は、原作マンガの長大なストーリーの途中部分を映画化したということもあり、2時間半の映画のほぼ全編が、無限城空間のあちこちで展開されている戦闘シーンが数珠つなぎに続く構成になっている。したがって、前作『無限列車編』にはある程度あったリニアな物語展開が完全に希薄になっていた(その断片性は、個々のキャラクターにまつわる因縁のエピソードの回想シーンが頻繁に挿入されることで、より過激になっている)。そこには情動的な「いま」しか存在しない。その構造は、あたかもキャラクターたちのライブシーンがひたすら延々と続く『ヒプマイ』のようなアイドルアニメ映画に似ていたし、もっと言えばテーマパークやVRゲームの映像にも接近している。
じつを言うと、昨今の次世代エンターテイメント形態の名称としてもさかんに注目を集めるこの「イマーシブ」は、今年の映画の重要なキーワードだったと言える。たとえば、『国宝』でも存分に発揮された李相日の演出の特徴も、クロースアップとスロー、ピント送りを多用し、観客の感情移入をこれでもかと誘発するイマーシブなテクニックにあった。また、物語のほぼ全編が広大な荒野で展開されるいっぽう、これもアイドルアニメのようなサンバのダンスシーンが唐突に登場する『果てしなきスカーレット』の映像も、図らずも似たような傾向を持っていた。
ともあれ、興味深いのは、今年の話題作のこれら特徴的な要素のルーツのひとつが、ほかならぬ2016年の新海の『君の名は。』にあったと言えることである。たとえば、かつて土居伸彰は、『アナと雪の女王』(2013)の物語と映像について、「単線的な物語を組織するのではなく、ミュージック・ビデオ集のように構成されている」(『21世紀のアニメーションがわかる本』)と評したが、『君の名は。』も公開当時、しばしば「RADWIMPSのMVのようだ」と言われていた。
いわばこうした「アニメ映画のミュージック・クリップ化」の傾向は、典型的には細田監督の『竜とそばかすの姫』(2021)や谷口悟朗監督『ONE PIECE FILM RED』(2022)といった人気アーティストの楽曲を大々的にフィーチャーした2020年代の大ヒット作に続いていく。これらの作品も含めて、連続的な物語叙述を極端に断片化させ、また冗長なものにする昨今のスタイルが、『君の名は。』──本作すらいまやすっかりクラシックな作品になりつつあるが──を起源としていることは紛れもない。『鬼滅』のイマーシブな映像も、それが約10年を経てさらに過激になったものとしてあるわけだ。
あるいは、これもアニメの『鬼滅』シリーズがその一部に含まれるが、すでに放送された、あるいはこれから放送予定のテレビアニメシリーズと絡めた「劇場版総集編」や「先行上映」の企画が、引き続き今年も話題を集めた。5月公開の『劇場版総集編 呪術廻戦 懐玉・玉折』(2025)、11月公開の『劇場版呪術廻戦 渋谷事変特別編集版×死滅回游先行上映』(2025)、10、11月公開の『劇場版総集編ガールズバンドクライ』前・後編(2025)などで、なかでも大きな注目を集めたのが、1月公開の『機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-』(2025)である。本作は、サンライズとスタジオカラーが手を組み、上半期の話題をさらった「ガンダム」シリーズの新作テレビアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』(2025)の一部のエピソードを再編集した劇場先行版だが、結果的に、映画も興行収入35億円を超える大ヒット、3ヶ月後に始まったテレビアニメ版も連日大きな話題を呼んだ。軒並み収益が落ち込んでいる令和のテレビ各局にとって、アニメは現状、もっとも効率よく多額の収益が見込める巨大なIPとなっている。メディア全体が大きな変革期を迎える現在、映画・テレビ・配信を通じて高い相乗効果を発揮しているこの劇場版総集編や先行上映の試みは、今後もしばらくは業界のトレンドであり続けるだろう。
とはいえ、逆に言えば、アニメが今後、テレビというオールドメディアのフォーマットからますます離脱し、映画(劇場)と配信に適応するコンテンツになっていくということも考えられる。『国宝』もテレビ局がいっさい関与していない大ヒットということで注目を集め、そのいっぽう、日本テレビがこの十数年、総力を挙げて猛プッシュしてきた「細田アニメ」の新作『果てスカ』が大コケしたように、ここ2、30年、長らく邦画ヒットの方程式だった「テレビ局映画(アニメ)」のかたちも変わりつつある(その意味で、『踊る』を『国宝』が超えたことはヘゲモニー移行を示す象徴的なできごとだった)。
おそらくこれも『君の名は。』が公開された2016年を振り返るとわかりやすい。というのも、この前年の2015年、Netflix、Amazonプライム・ビデオがそれぞれ日本でのサービスを開始するのだ。いわば2016年以降のこの10年は、映像コンテンツ視聴の方法がDVDやブルーレイから配信へと本格的に移行した10年でもあった。今年のアニメは、配信や動画サイトのみで展開された『タコピーの原罪』(2025)や『銀河特急 ミルキー☆サブウェイ』(2025)がSNSで話題となったが、これも新たな動きを示す一端だろう。
よく言われるように、コロナ禍を挟んだこの10年で、配信を通じて日本のアニメは、一挙にグローバルな人気を獲得した。
2024年に3兆8407億円という過去最高の市場規模を記録した日本アニメ市場は、2023年には海外売上が全体の51.5%となる1兆7222億円に達し、初めて国内市場を超えた。今年、『第一章 猗窩座再来』は、アメリカで日本映画歴代1位かつ日本映画史上初の興行収入1億ドルを突破、さらに全世界でも日本映画で史上初の興行収入1000億円を突破するという耳を疑うような歴史的快挙を達成した。この背景には、配信による日本アニメの世界的な普及がある。

さらに──私のような旧世代の映画・アニメファンにとって──驚くべきは、来年1月開催の第83回ゴールデングローブ賞でも『第一章 猗窩座再来』がアニメーション映画賞にノミネートされていることである。これまでの日本アニメが、興行面はともかく、批評や映画賞では、宮﨑駿や押井守など作家性の強い作品ばかりが評価されてきたことを踏まえると、今回のノミネートもまた歴史的快挙と言っていい。これは海外における日本アニメの受容や作品の評価基準が大きく変化してきたことの証だろう。
以上のように、2025年は、2016年あたりから続いてきたアニメ界の様々な地殻変動が、一気に進化/深化した年として整理できる。
私は今年、『ジブリの戦後』(中央公論新社)と『セカイ系入門』(星海社新書)というアニメ関連の2冊の著書を刊行した。それにも絡むこととして、今年は、スタジオジブリの設立40周年、麻布台ヒルズギャラリーでの回顧展もまだ記憶に新しい、そのジブリの高畑勲の生誕90年、そして、現在もリバイバル上映などの記念企画が続き、先ごろは新作短編アニメの公開も発表された『新世紀エヴァンゲリオン』誕生30周年と、現代日本アニメ史の様々なアニバーサリーが重なった年でもあった。

そんな今年を振り返って、最後に、あらためて『第一章 猗窩座再来』と『果てスカ』の対比から見えてくるものとは何か。おそらくそれは、ここまで述べてきたメディアミックスや劇場版総集編企画、また配信文化の高まり(とその世界的認知)とともに、かつて宮﨑駿や庵野秀明の時代にあった、いわばアニメにおける「作家性」に対する意識や価値観が、ここに来て(何度目かに?)大きく変容してきていることだ。実際、映画『鬼滅』シリーズでは、『無限列車編』の大ヒット以来、監督をはじめ作り手のプレゼンスや一般の関心は異様なほど希薄だし、かたや『果てスカ』の酷評をめぐって、SNSで交わされる細田守個人に対する過剰な毀誉褒貶は、そのことと表裏一体に思えるのである。この点だけは、「新海誠」と「庵野秀明」という名前がメジャー化した2016年とはまったく異なる動きだろう。
生成AIの台頭によってあらゆる個人が「作家」になりうるいっぽう、だからこそあらゆる創作物が「コンテンツ」として受容されてしまう逆説的な時代の到来。2025年のアニメは、そのことをかたちを変えながら体現していた。今年、垣間見えた以上の兆しが、2020年代も後半に入った来年以降、どのようなかたちを伴って顕在化してくるのだろうか。
渡邉大輔
渡邉大輔