坂知夏 この世界が夢であるなら 2025 キャンヴァスにアクリル絵具 56.4×75.3×5cm © 2025 Chinatsu Ban
坂知夏の個展「ちゅうのしんの物語」がカイカイキキギャラリーで2月28日まで開催されている。長らく制作を休止していた彼女の復帰後初となる本格的な展覧会。それは、人生の紆余曲折を経て本当の自分に向き合うことができた、彼女の希望と再生の物語でもある。

坂のアーティストとしての始まりは、2001年。村上隆が率いるカイカイキキからデビューをした。パンツをはいたゾウや蝶、双子の少女やアイスクリームといった愛らしいモチーフを変幻自在に描いた作品はたちまち人気となり、アメリカのギャラリーや美術館でも個展を行うなど、国際的に活躍の場が広がった。日本では2009年、パルコファクトリーで行われた大規模な個展が記憶に鮮明だ。


しかし、2012年、初期にはスタッフとしても働いていた所属先のカイカイキキを彼女は突然辞め、夫と小さな息子とともに熊本県の南阿蘇へと移住。以降は、10年以上にわたりアーティストの活動からは遠のいていた。そんななか、転機が訪れた。2021年秋、カイカイキキギャラリーでのグループ展に旧作が出展されたことをきっかけに縁がふたたびつながり、作家としての第2章が始まったのだ。詳しいそのいきさつについては後述したい。
新たな門出を祝う展覧会の初日、会場には、展示のプランが決まってから100日で描き上げたという16点もの新作絵画が並んでいた。変化に富むそれらは、いずれも彼女の心象風景がオーバーラップしているという。
「絵は、自分の人生の平行線上を歩いているような気持ちで描いています。ときどき登場する猫たちは、人生をともにする旅の道連れで、自分自身を投影しています。大きな絵が長編小説だとすると、今回のように小さい絵は短編みたいだなと、描きながら思ったりします。次につながっていたり、つながっていなかったり。明るくていいエネルギーを描きたいと思っています」
猫や鳥をはじめとする生きものや少女とケーキ、木々や水辺といったたくさんのモチーフが描かれた幻想的な光景は、どれも柔らかな色のモザイクと溶け合い、穏やかで優しい空気に包まれている。小さな世界に1点1点目をこらし、色や形を味わいながら物語を想像するのは、至福の絵画体験だ。

展覧会のタイトルを「ちゅうのしんの物語」としたのは、本当の中心を意識したいという強い思いがあるからだ。物事を単純化する二元的な見方ではなく、その間にある3つ目の視点を持ちたいと彼女はいう。制作はそのためのトレーニングでもある。
「最初に描き上げた《この世界が夢であるなら》は、眠りについての絵です。たとえばSNSを無意識に見ていると、あっという間に時間が溶けて、脳が寝ているような状態になってしまう。将来的に人類はずっと眠らされていくんじゃないかと不安を覚えます。でも、自分が寝ていることを自覚することができたら、それは起きていることになるんじゃないか。どっぷりドラマに浸って、ただ喜んだり絶望したりする不毛な状態から救われるためには、自分を客観視する第3の視点を持つことが必要なんだと思う。展示の始まりをこの絵にしたのは、「いま、あなた、寝ていませんか?」っていう問いかけです(笑)」
すぐにはわかりにくい、繊細で曖昧な部分にこそフォーカスしたいという気持ちに加え、「自分の中心の物語」という意味もタイトルには込められている。その「中心」が象徴的に表れた絵のひとつが《The Mineral World at the Earth's Core》だ。
「この10年くらい、地球の中心にアースキーパーと呼ばれる大きなクリスタルの塊が立つ風景が、ずっと自分の内側に浮かんでいました。綺麗な水を湛えた癒やしの世界です。クリスタルは世界の中心にあると同時に、自分の中心にもある気がしていて。そうしたこれまで溜めていた内側のイメージを、今回絵に出すことができてよかったです。
私は言葉ではなく、ビジュアルが先に見えていて、下描きもあまりせずに直感に従って描いていきます。描いた後、絵からその意味を教えてもらうんです」
泉から七色の水が湧き出るように、次々と絵を生み続けている坂だが、復帰する前はじつは「どん底」の状態だった。一度はやめていた絵の世界にまた戻ってこられたのは、旧作が売れたことを知らせる1本の電話がきっかけだった。
「当時、私は離婚をしていて、息子とも一時期離れてひとり暮らしをしていました。孤独のなか、布団から天井を見上げながら我が身を振り返ったんです。そのとき、『ちゅうのしん』を本当に感じて、『私、何をやっているんだろう?』とハッとしました。周りで何が起こっているかもわからないまま、ハムスターのように滑車の中をただカラカラと走っていたけど、コロナ禍になってそこから転がり落ち、『ここは自分の中心じゃないな!』と気がついた。とにかく自分の道に戻ろうと、そのときにしていたフリースクールのスタッフの仕事を1ヶ月後に辞めました。その次の日に、作品が売れたから振込先を教えてほしいと電話がかかってきた。無職で、生きるめどすらたっていなかったから、『やったー! 神様ありがとう!』って」
だが、何もしていないなら絵を描いたらどうかと村上に勧められ、画材も送ってもらったが、それらに手をつけるのには時間がかかった。
「絵を描いて生きていくには、自分を見ないといけない。そこが腹落ちしていなくて、逃げてばかりいました。ブランクが長かったから、越える壁が高くて……。1年後、呼んでいただいたカイカイキキの忘年会で、みんなの前で「絵を描きます!」と宣言したら、やっとスイッチが入って、リスタートできました」
ようやく描けた絵は、台湾や香港などのアートフェアでどれも好評を博し、すぐに追い風が吹いてきた。
「それまでは本当にぐちゃぐちゃで、人間としてどうしようもなかったけど、腹落ちしたら、すーっと描けるようになった。いまは幸せです。瀕死の重傷だったところを救ってもらって、村上さんには感謝しかないです」


では、なぜそれほど長いあいだ、彼女は絵をやめてしまっていたのだろう。ひとつには、育児に集中して、子供との時間を楽しみたいという気持ちがあった。
「子供は見ていると面白いですからね。それと、いま考えると、人と比べてしまって絵が描けなくなってきていたんだと思います。村上さんに話したら、スランプだねって言われたんですけど……」
絵を描きたいという気持ちはずっとどこかにあったが、心がどうにも弱っていた。心機一転して、移住後は生活にシフトし、絵の制作には蓋をして極力見ないようにした。そのいっぽうで、絵のほかに何が自分にはできるのだろうかと模索をし続けた。

「ヨガの先生も1年半くらいしました。おじいちゃんの名物先生に出会い、毎日通っていたら10キロ痩せて、心も健康になり、いいことづくしでした。熊本は農業が盛んなので、農家の手伝いもしました。広大な土地で作って掘り起こしたジャガイモの種芋を、卵を扱うように丁寧に箱に入れる作業をして、農業って大変だなと思って。フリースクールでは10人くらいの子供と遊んだり、自分でカリキュラムを考えてお絵かきをしたりしました。楽しいし、やりがいはあったけど、子供たちに全力を注ぐサポーターにはなりきれなかったかな。何かが違うなって。整体も勉強したし、仏師の方に仏像を習ったりと、いろいろやりましたよ」
そうしたトライアンドエラーを重ねたすべての経験が無駄ではなかった、と坂は振り返る。見えない大きなフィードバックも受け取れていたからだ。
「やっぱり、頭ではなく体験が大事。精神的なものをいくら追い求めても、器が小さかったら入るものもない。ヨガで身体を鍛えたら、スピリチュアルなところに楽に通じました。『なんだ、それでいいんだ!』っていう気づきがあった。おかげで、人の言葉もひとつの意見として冷静にとらえられるし、うるさい雑音もどうでもいいやと思えるようになりました」

ふたたび展覧会の会場へ戻ろう。
制作の終盤に完成した作品が並ぶ畳の第2室でひときわ目を引く絵が、最後に描き上げたという《我々の“ちゅうしん”》だ。双子の妖精が未知の領域に誘う神秘的な図柄で、古代文明の遺跡や神話の世界も想起させる。
「中央にあるのは、植物の種のように描いた子宮のイメージです。向こう側に何かがあることを知らせる扉のようでもあります。私たちはすべて子宮から生まれてきている。可愛さで装う世界も自分の一部だと思うけど、これが、私が内側の底にもっている嘘偽りのない自分なのかなと、描いてみて気づきました。自分の中心を描こうとして、やっと最後にこれが出てきた」
過去を振り返ると、坂が2007年の出産前後に描いた作品群には、生命誕生の神秘に迫るような、身体感覚を強く呼び覚ます有機的な表現がほとばしり出ていて度肝を抜かれた。生きものが連鎖する自然界との一体感や生命の不思議さへの眼差しは、新作にも脈々と引き継がれている。

「出産を経験した当時は、生命を目の前にすると、心がヒリヒリする感覚にさらされて、生々しさやおどろおどろしさが絵にも表れた。妊婦のときに不安から悪夢ばかり見ていたので、その刺激もあったのかな。でも、いまはそこまで子供や息子に意識が向いていないから、同じ絵はもう描けないと思う。ひと回りして、ようやく自分に目が向くようになった(笑)。自分の中には不気味でダークな感覚も潜んでいるから、これからまた違うものが出てくると思います」
展示の最後を飾る作品《宇宙の“ちゅうしん” 》の前で、観客はさらに遠いところまで連れて行かれることになる。
「宇宙の起源についてのプリミティブなイメージを描きたかったんです。これを描いた後、円環状のヘビはウロボロスの環といって、永遠や死と再生、二元性の統合といった意味があることを知り、『これこそ、ちゅうのしんだ!』と驚きました」
目に見えない力やスピリチュアルな世界に坂がより惹かれているのは、物心ついた頃から繰り返し見ていた夢とも、何かしら関係があるのかもしれない。「あなたはロボットの身体の部品の一部になるから、ここに座りなさい。そうすれば世界は救われるから」と告げられ、幼い坂は夢の中で泣きじゃくった。
「自分の命と引き換えに世界が助かるという、自己犠牲によって成り立つ世界観は、ずっとコアな部分にありました。映画『どろろ』や『ノック 週末の訪問者』を観たときも同じものを感じました。
おそらく私は、自分の中から出てきたものだけではなく、みんながもっている集合意識のようなものをキャッチしているんだと思いです。ある方に、絵は私が描いているんじゃなくて、描かされているんだよと言われて、ちょっと気持ちが楽になりました。いままでは、思い浮かんだことを言葉で理解しようとして苦しんできましたが、自分も世界の一部なのだから、無理に頭で考えず、ただ感覚的につかんだものを絵に出していけばいいんだなって思えたんです。子供の頃から、自分が感覚で受け取っていることを周囲にわかってもらえないもどかしさをずっと感じていましたが、絵にすると上手く伝わる気がしています」

小さい頃、親に描いてもらった〇や△などの記号に顔を描き加えて遊んだり、『わたしのワンピース』という絵本を読むのが大好きだった坂は、中学ではバスケットボールに打ち込み、やがて、好きだった絵の道を進み始めた。アーティストを目指していたわけではなかったが、地元愛知の美大予備校で教えていた杉戸洋や栗木義夫から刺激を受けた。マティスや奈良美智、村上隆といった先達からも大きな影響を受け、アーティストとしてのスタートを切れた。

その後、人生の浮き沈みを経験し、長い葛藤のトンネルをくぐり抜けたいま、坂はゆるぎないアーティストとしての矜持を手にしている。
「自分は何を描いているんだろうとずっと思っていましたが、いまは、外から見えにくい淡く脆いイメージをちゃんとキャッチして具現化し、絵に表していくことが自分の作家としての仕事かなと思います。描いてみないとわからない世界だから、1枚描くだけでは終わらない。やっぱり、すべてが中心を意識するためのトレーニングなんです。昔の自分の画集を見ると、何10年経ってもやっていることはじつは同じで、メッセージは変わらないんだなと思います」
年を重ねても精力的に描き続けているデイヴィッド・ホックニーのような存在を目指したいと彼女は語る。そして、ポルトガルからスペインまで歩く巡礼の旅にも出かけたい、と。
芸術の女神は、自分と真摯に向き合う者にだけ、その微笑みを返すのかもしれない。天命を得た彼女の人生の旅は、これからも続く。

*すべての画像(ポートレイトを除く) 提供:Courtesy of Kaikai Kiki Gallery
坂知夏(ばん・ちなつ)
1973年愛知県生まれ。1997年、多摩美術大学油絵学科卒業。2001年にカイカイキキからデビューして以来、国内外で活躍する。2005年、ニューヨークのマリアン・ボエスキー・ギャラリーで個展を開催し、同年、セントラルパークで巨大なゾウの立体作品を発表。翌2006年にはテキサス州フォートワース美術館で個展が開催されるなど、アメリカを中心に数多くの大型プロジェクトを手がけてきた。2009年は東京のパルコファクトリーで個展を開催した。
2012年頃より活動を一時休止していたが、2021年にカイカイキキと再び接点を持ち、制作を再開。2024年に「Taipei Dangdai 2024」で12年ぶりとなる新作を発表。続いて「ART SG 2025」、「Frieze Los Angeles 2025」、「Art Basel Hong Kong 2025」に出展し、「Art Fair Tokyo 2025」では個展形式のブースを展開。国際的なアートフェアで精力的に作品を発表し続け、今回のカイカイキキギャラリーでの個展が復帰後初の本格的な展覧会となった。