ディブ・バンコク(Dib Bangkok)のコートヤード
バンコク、スクンヴィット通り40番地。1980年代の倉庫を改装した巨大な建物が、タイ初の国際現代美術館として国内外に向けて存在感を放っている。2025年12月21日に開館したDib Bangkok(ディブ・バンコク)は、タイを代表するアートコレクターの故ペッチ・オサタヌグラの30年来の夢が、その息子チャン(プラット・オサタヌグラ)の手によって実現した美術館だ。

オープニング展覧会「(In)visible Presence / ล่องไม่เห็น」では、モンティエン・ブンマー、ジェームズ・タレル、アンゼルム・キーファー、杉本博司、アリシア・クワデほか40名の現代アーティストによる81点が展示されている。テーマは「見えない存在」。視覚を超えて人間の記憶と感覚に届く体験を追求した、大規模インスタレーションが多数を占める展覧会となっている。
「彼が亡くなる直前に、一度来なさいって言われたんです。もう75%以上できているから、と」
ディレクターの手塚美和子は、創設者ペッチとの最後のやりとりをこう振り返る。
ペッチとの出会いは、2012年に遡る。アジア・ソサエティ・ミュージアムのキュレーターとして香港センターのグランドオープニング展を手がけていた手塚は、アジアの古典美術と現代作家をつなぐ展示を構想していた。「必ず1人は東南アジアの作家を入れよう」、そう決めたとき、真っ先に頭に浮かんだのがタイ出身のアーティスト、モンティエン・ブンマーだった。彼の作品の所蔵先を探すうちに、ペッチ・オサタヌグラという個人コレクターの存在に行き着いた。

「最初は何者なのか全然わからなくて。タイの方はラストネームが長いので、"ミスター・O"として紹介されて」と手塚は笑う。なかなか返事の来ないままメールを送り続け、ようやく連絡がつくと、ペッチは大喜びで《蓮の音》の貸し出しを承諾した。香港の展示会場での作品設置が、二人が初めて顔を合わせた場だった。
そこからの縁は、ゆるやかに長く続いた。アートフェアの場でばったり顔を合わせたり、日本のアーティストの話が出るとテキストが届いたりした。その間ずっと、ペッチは「バンコクに自分の美術館を建てる」と言い続けていた。そして建設の進捗報告が届くたびに、担当する建築家の名前が変わっていった。

最初はコンセプチュアルなフランス人建築家、次はタイのローカル事務所——紆余曲折を経て、ある時「SANAAでほとんどデザインが完成する」という知らせが届いた。妹島和世と西沢立衛による日本人ユニットの名前に、「そうなんだ、いけるのかな、と思ってたんですけど」。しかし結局、クラパット・ヤントラサースト(WHY Architecture主宰)に落ち着くまで、建築家は7組を数えた。「タイ出身で国際的に活躍している建築家が、タイ初のこのスケールの美術館をてがけるというのは非常に重要なことだし、ある意味で良いところに収まったと思う」と手塚は言う。
正式に館長職の声がかかったのは、ペッチが亡くなる直前のことだった。
「彼と彼のご家族と、ペッチと親しくしているアーティストさんと集まって、どうしようかな、と真剣に考え始めたところで、いきなり亡くなってしまったんです」
2023年、ペッチは美術館のオープンを見ることなく逝去する。30年来の夢が形になる直前のことだった。
「彼の息子のチャンが後を継いでやるなら、実現するような気がするな、と思って」
正式な返事をしたのは、チャンに再度声をかけてもらった後だった。「不思議な、不思議な縁で引き受けました」と手塚は語る。ニューヨーク生活に幕を引き、拠点をバンコクへ移した。

ペッチがかつて手塚に語っていた言葉がある。「スロー・ミュージアムでいたい。ツーリストをぎゅうぎゅうに押し込む形のスペースにはしたくない、みんながゆっくりメディテーションできるような場にしたい」と。予約制・入場者数制限というディブ・バンコクの運営方針は、この言葉から来ている。それでも、オープン後2ヶ月は想定の3倍もの来場者が訪れ、チームを驚かせた。「本当に嬉しい悲鳴でした」と手塚は笑う。
展覧会「(In)visible Presence」の全貌を見ていこう。構成は、建物の構造そのものと呼応する。「見えない存在」はフロアによって異なる顔を見せる。

美術館入口のボロボロになっている壁は、マルコ・フジナート《Constellations》(2015–2025)。バットを壁に振り降ろすと、120デシベルもの大爆音が響き渡る、ぜひ体験したい作品のひとつ。バットを持つ来場者はもちろん、美術館建築そのものまでが揺さぶられる。

イ・ブルの大型彫刻インスタレーションが1Fのギャラリースペースで出迎える。銀色の巨大な飛行船状の立体が1Fのロングスパン・ギャラリーの天井から吊られ、モザイクタイルの床に映り込む。

ヒュー・ヘイデンの金属探知機を模した作品は、来場者がくぐり抜けると、ビープ音が鳴り、カウントが進む。ほかになにが起きるではなく、拍子抜けするが、「安全とは何か」という問いが突きつけられる。

緑のカーペットに逆さに置かれたフォルクスワーゲン。来場者は中に入り、横たわって本を読む。スラシー・クソンウォンの参加型作品。
2Fは、

Somboon Homtienthong The Unheard Voice 1995
タイの作家スンブン・ホムティエントンの《聞こえなかった声》(1995)は、タイ北部のメー・サリアンからアーティストの手元まで旅してきた寺院の柱群。瞑想できるような空間だ。
アピチャッポン・ウィーラセタクンの映像《Emerald / 翠玉》(2007)は、廃ホテルのベッドに遠い夢を投影する。レベッカ・ホルンの《恋人たちのベッド》(1990)は、蝶の羽が舞うシュールな夢の部屋だ。

荒木経惟によるポジの写真がライトボックスに置かれた、インスタレーション。作家の野坂昭如や、大駱駝艦の麿赤兒の姿も見つけられる
3F——光と沈黙の頂点

アンゼルム・キーファー《Der verlorene Buchstabe》(2019)。鉄、木材、鉛、写真、樹脂製ひまわり。タイ初展示となる大型インスタレーション。
そして3Fを締めるのが、モンティエン・ブンマーの回顧的な特集展示だ。生前最後の大作《Zodiac Houses》(1998–1999年)のほか、《Lotus Sound》は今回、500個の鐘が完全な形で初めて展示された(1992/1999–2000)。

モンティエン・ブンマー《Zodiac Houses》(1998–1999)。鉄骨の構造物群が、3Fの白いキューブ空間に林立する。
屋外——光とかたちの実験場

開放感ある美術館の屋外には半常設となる作品が並ぶ。ジェームズ・タレル《Straight Up》(2025)。タレルのタイ初制作となるスカイスペースだ。円形の開口部から空を見上げ、光の変容を体験する。バンコクの中心部ではあるが、夜は星空もくっきりと見える。

屋外テラスに置かれたピナリー・サンピタック《Breast Stupa Topiary》(2013)のステンレス製彫刻群。背後にはショー・シブヤ《MEMORY》(2025)の85メートルの壁面作品。
「作品のキャプションを見なければ、どれがタイ人作家の作品か分からないってお客さんに言われたんです。それが本当に嬉しかった」
ハーヴァード・アート・ミュージアム、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アート、北京のUCCAなどで経験を積んだキュレーターのアリアナ・チャイヴァラノンは、そう語る。「タイのアーティストが国際的なレベルで制作しているということを、知らなかったとおっしゃる来場者が多い。そのこと自体が、この美術館がすでに成し遂げている成果だと思っています」

この言葉の重みは、このオープニング展がどれほど小さなチームで実現されたかを知ると実感できる。チャイヴァラノンのキュレトリアルチームは彼女を含めてアシスタントキュレーターと、キュレーターフェローというわずか3人の布陣だ。
「私が合流したのは2年前」というタイミングも、この展覧会のスケールを感じたあとに聞くと、にわかには信じがたい。開館から3ヶ月が経った頃、チームは全員でこう言い合ったという。「"We made it. We're alive." やり遂げた、生き延びた、って(笑)」。前例のないことに挑んでいると分かっていたから、課題にぶつかるたびに学び、乗り越えていけた、と振り返る。

来場者の中には展示室で涙を流す人も少なくないという。「作品には、とても人間的な物語がある。戦争、愛する人の喪失、変わりゆく故郷と街。そのことが人々に届いて、感情でつながるとき、アートが持つ力を実感します」とチャイヴァラノンは言う。
モンティエン・ブンマーは1970年代にパリとローマで学び、アルテ・ポーヴェラの潮流を吸収しつつ、ジョン・ケージの音楽とも出会った。ケージ自身が禅仏教から影響を受けていたことを考えれば、その交流は一方通行ではない。「ロバート・ラウシェンバーグも1983年にタイを訪れ、シルパコーン大学を訪問した際、自分に影響を与えたと感じる作品を目の当たりにした。対話はずっと続いていた。ただ、それが正しく語られてこなかっただけです」。チャイヴァラノンにとって、ディブ・バンコクの使命のひとつはその「語られてこなかった歴史」を文脈ごと可視化することだ。「研究者も、キュレーターも、どうやってその会話を変えていくか。数十年前から続いてきた対話を、正しく認識させる語り方をどう作るか」と彼女は言う。
東南アジアには特有の課題がある。「タイ語を話せるのはタイ人だけ」、というタイのひとびとの自負がある。キュレーターチームの組み方に直接影響した。タイ人アーティストと深く関わるには、言語でつながれることが欠かせない。チームにはタイ現代美術を専門とするキュレーターを置き、国際的な文脈とローカルな文脈を同時に扱える体制を整えた。「地域に根ざしながら国際的に活躍できる人材を育てること、それもこの美術館の役割です」
現在の美術館の来場者はタイ人と外国人がほぼ半々。そのバランスは「バンコクが持つ国際性そのもの」だとチャイヴァラノンは言う。「アートを経験として体験できる場所。展示物を眺めるのではなく、作品と出会う場所。ディブ・バンコクはそういう美術館でありたいと思っています」
バンコクはここ数年、現代アートの文脈で急速に注目を集めている都市だ。コレクターの国際化が進む中、公立・私立を問わず美術館インフラの整備は長年の課題だった。ディブ・バンコクの開館は、その空白を埋める重要な一手となっている。
ディブ・バンコク以外にも複数のタイ財閥によるアートプロジェクトも進んでいる。また、バンコク市内のSACギャラリーはチェンマイにオーナーによる美術館の構想があるほか、コマーシャルギャラリーとしての活動は一区切りをつけ、レジデンスや修復事業を続けていくという。そのほかバンコク・シティシティギャラリーも財団化を進めているなど、アートシーンの成熟化が顕著だ。
この秋、バンコクのアートシーンにもう一つの大きな波が来る。Bangkok Art Biennale(バンコク・アート・ビエンナーレ)2026が、2026年10月29日から2027年2月28日にかけて開催される。テーマは「天使とマーラ(Angels and Mara)」。4人のキュレーターのひとりに、クラパット・ヤントラサーストの名がある。
アリアナ・チャイヴァラノンは取材中、「もう次のショーの準備を始めています。リサーチが本当に楽しい」と語っていた。タイ国内の作家を国際的なコンテクストで位置づけると同時に、東南アジアを越えた観客に向けて扉を開くという二重の使命を担う美術館。「Dib」、生で、ありのままの、という名前が示すのは、そうした誠実さへの意志ではないだろうか。
「見えないけれど、確かにそこにいる」——ペッチのことであり、タイ現代美術の歴史であり、アートが私たちの感覚にそっと触れる瞬間でもある。
ディブ・バンコクは今、そういう場所として静かにバンコクに根ざしている。
展覧会タイトル:「(In)visible Presence / ล่องไม่เห็น」
会期:2025年12月21日〜2026年8月3日
開館時間:木〜月 10:00〜19:00(火・水曜休館)
入場料:タイ国籍 550バーツ/外国人 700バーツ(事前予約制)
住所:111 Soi Sukhumvit 40, Phra Khanong, Khlong Toei, Bangkok 10110
ウェブサイト:https://www.dibbangkok.org