公開日:2025年12月9日

映画『エディントンへようこそ』アリ・アスター × 山中瑶子【対談】──パンデミック後の世界で、何を問い続けるのか

『エディントンへようこそ』の日本公開を記念し、本作の監督であるアリ・アスターと、映画『ナミビアの砂漠』を手がけた山中瑶子監督による特別対談をお届け。(撮影:河内彩)

左から、アリ・アスター、山中瑶子

『ヘレディタリー/継承』(2018)と『ミッドサマー』(2019)でホラー映画の表現領域を押し広げ、世界中の観客を魅了してきたアリ・アスター監督。その最新作『エディントンへようこそ』が、12月12日より全国公開となる。本作では、アスター作品の常連でもある名優ホアキン・フェニックスが保安官ジョーとして登場し、懸命に正義を貫こうとする彼の姿を通じて、見る者それぞれが抱く“個々の正義”を問いかける。舞台となるのは、アメリカ南西部に広がる小さな町。静けさと不穏さが同居するその風景の中で、日常と非日常の境界が気づかぬうちに少しずつ崩れていくようなストーリー展開が、人々の感情を深く揺さぶる。

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved. 

本作の日本公開に合わせてアリ・アスター監督が来日。その対談相手には『ナミビアの砂漠』を手がけ、自身もアスター作品のファンだと語る山中瑶子監督。

個人の内面や心の闇と向き合ってきた両監督は、最新作へと向かう過程で、いかに“社会”や“他者”へ眼差しを広げたのか。パンデミック以後、分断が加速する世界で、映画は何を問い続けるのか。ふたりに話を聞いた。【Tokyo Art Beat】

*本記事は、映画の内容に関わる記述を含みます。ネタバレを気にする読者の方は、映画の鑑賞後にお読みになられることをおすすめします。

『エディントンへようこそ』 メインビジュアル

過去3作が届けてきたのは“癒し”。そして新作が向かう先は?

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

山中:最初に正直な感想からお話しさせてください。これまでのアリ・アスター監督の3作品は、私にとって癒しでした。監督はご自身の経験やトラウマを脚本に反映されているのではないかと勝手に思うのですが、その映画作りそのものが作業療法のように、ある種セラピーのように働いているのでは、と感じていて。だからこそ私も観ながら癒されていたのだと思います。

でも今回の『エディントンへようこそ』(以下、『エディントン』)は全然違っていました。途中まではついていけたのですが、その後は完全に迷子になってしまって……。ストレスと空虚感が残りました。正直に言うと、今回は癒されなかったんです。

アスター:それは、まさに今回狙っていたことでもあります。仰るとおり、この映画は癒しを目的に作られていません。観客に「いま私たちはどこにいて、何が起きているのか」を考えてほしい──そのために作った作品です。

作品としてはダークコメディであり風刺劇でもありますが、風刺の機能は、つねに観客の思考を刺激し、現実へと関与させることにあると思っています。今回は、心地よく作品そのものが浄化されることより、観終わったあとも物語について考え続けて欲しいと思って制作しました。

空虚感を覚えた、という感想はとてもよく理解できます。というのも、私自身、この状況からどう抜け出せばいいのか、その答えを持っていないからです。私たちが置かれている状況への深い失望と、このまま同じ道を歩き続けてしまっていいのか?という問いを残したかった。でも、その答えだけは提示していません。

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

世界は日々、加速度を増していく

アスター:『エディントン』は、とても“アメリカ的”な映画だと思っています。暴動や銃、陰謀論……日本では日常的にはあまり見ない光景が続きます。日本人としてこの作品を観て、共感できる部分はありましたか?

アリ・アスター

山中:すごく共感できました。日本では、あそこまで露骨な暴動が現実に起きたわけではありませんが、インターネット上の分断を見ていると、むしろもっと陰湿なかたちで似たような現象が起きていたと感じます。アメリカは、物理的な意味で危険性がより身近に存在する国なのだと改めて感じましたが、陰謀論が広まり、人々が事実を正しく掴めなくなり、各々が“自分の正しさ”だけで動いてしまう状況は、日本にも確かに通じるところがあると感じます。

山中瑶子

アスター:それは本当に、世界共通の問題になってしまいましたね。 国によって表れ方は違っても、構造はよく似ていると思います。

山中:世界中で同じことが起きていると思うととても恐ろしく、個人にできることが一体何なのかがどんどんわからなくなっていって無力感を感じてしまいます。映画を作ることで世界と向き合おうと思っても、この情報のスピード感についていけない。

アスター:私がとくに怖いと感じているのは、パンデミック下で起こったことです。コロナ禍という非常事態を世界中が経験したのに、人々がそれを忘れようとし、なかったことのように振る舞ってしまうこと。歴史からあまり学ばないのは昔からですが、“忘れ去られるスピード”が、ここ数年で明らかにおかしいと感じています。

山中監督がこの題材を扱うことにためらいがあると言っていましたが、その感覚はとてもよくわかります。この流れの早さのなかで、パンデミックを題材に映画を作ろうと決めた自分に、いまは驚いています。

パンデミックを“記録”として残したかった

山中:監督は「パンデミックを記録として残したかった」と仰っていましたよね。

アスター:そうです。コロナ禍がどれくらい続くのか誰にも分からなかったいっぽうで、「すぐに終わったことにされてしまうのではないか」という予感がどこかにありました。だからこそ、記録として、そして映画として残しておきたいと思ったんです。

振り返ってみると、偶然とはいえ“予言的”になってしまった部分もあります。たとえば、町の外にデータセンターが建設されるシーンです。今年のアメリカ各地でデータセンターが急増している事実を思うと、あの描写には結果として別の意味が宿ったように感じています。

山中:現実のほうが映画に追いつき、追い越してしまう瞬間ですね。

アスター:(笑いながら)そうですね。嬉しいような、怖いような感覚です。

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

個の声から、社会の問いへ開かれる

山中:これまでの作品では、より個人の内面に深く潜っていくテーマが多かった印象があります。しかし今回は、社会や政治、そして圧倒的な“他者”へとカメラが広がっているように感じました。その結果、作品自体が現実へと近づいていくようにも見えます。そこで伺いたいのですが、制作のプロセスや、完成後のご自身の感情は、これまでとどのように違いましたか?

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

アスター:この映画には大きな誇りを感じています。作品としての完成度にも満足していますし、僕自身にとっても大きな挑戦でした。アメリカでは評価が分かれましたが、この映画が「分極化」そのものを扱っている以上、その反応はむしろ必然だったと思っています。

このプロジェクトでもっとも重視していたのは、僕自身の政治的意見をできる限り作品から排除することでした。僕が作りたかったのは「政治についての映画」であって、「政治的な映画」ではないからです。

もちろん、いまのように極端で、すぐ炎上してしまう政治状況のなかでそれを実践することは簡単ではありません。僕自身、自国で起きている様々な出来事に恐怖や不安を抱いています。それでも、自分の視点に寄りすぎないよう一歩引き、俯瞰的に描こうとしました。

この映画が10年後やもっと未来に見返されたとき、 「2020年のアメリカ──とくに南西部の情報環境はこういうものだった」と示す資料になればいいと思っています。

アリ・アスター

山中:自分をそこまで遠ざけようとしたのは、キャリアのなかで初めての試みだったんじゃないですか?

アスター:そうかもしれません。とはいえ、映画のなかに自分のスパイスはたくさん散りばめました。ユーモアも含めて、作風はすごく“自分らしい”と思っています。

今回の最大の挑戦は、政治的な立場をできるだけ消すことでした。政治的な発言を前に出してしまうと、作品が一気に狭くなってしまう気がしたからです。同時に、映画の中の登場人物たちが必死に議論しているテーマよりも、本当はもっと重要なのに誰も口にしない問題があると感じていて、それを“画面に映っていないもの”として描きたかった。

嘘と分断の時代に生きる私たち

山中:私たちはプロパガンダに対して本当に脆いですね。とくに、嘘をつくことが日常化してしまった現代では。

アスター:嘘を飲み込めば飲み込むほど、人は“真実”に対しても疑い深くなっていきます。どこまでが嘘で、どこからが本当なのか、誰も判断できなくなる。その不信感こそが、分断を深める燃料になっていると思います。

山中:日本でも同じことが起きていると強く感じます。アテンションを引くことにさえ成功すれば、その中身が真実かどうかなんて誰も気にしない。

アスター:国や文化が違っても、情報の構造が似通ってしまっているのが、いまの怖さですよね。

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

空白の大地に潜む“見えない恐怖”を映す

山中:今回の『エディントン』には、これまでの作品のような“ファンタジー的な逃げ場”があまりないことが驚きでした。精神世界を視覚化するようなイメージや、美術的な空間の作り込みは少なめで、実際の風景を西部劇的に撮っている印象があります。ヴィジュアル面で、特にこだわったところを教えていただけますか?

『エディントンへようこそ』 © 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.

アスター:僕はいつもヴィジュアルに強いこだわりがありますが、今回は“現実感”を優先しました。アメリカの南西部には、“何もない自然”の美しさと、同時にそこに潜む恐ろしさが共存しています。私はその感覚を映し出したいと思い、あの風景を意図的に選びました。“空白”のように見えるその土地には、同時に“何かが潜んでいる気配”が漂っていて、その両義性こそがアメリカという国のメタファーになると考えています。

ファンタジー要素は少ないですが、パラノイア(妄想)は意図的に入れました(笑)。とくに後半に登場する、名前も顔も分からない匿名の射撃者たちは、観客の政治的信条によってまったく違って見えるはずです。いまのインターネットでは、多くが“見えない敵”の物語として進行しています。影響力のある人や権力者は、「見えない敵があなたを狙っている」と人々に思わせ、不安と恐怖を増幅させる。そして、それを信じる人が多いほど、その仕組みは利用されてしまう。そうした構造を、匿名の射撃者というかたちで映画に封じ込めました。

左から、アリ・アスター、山中瑶子

内面から社会へ──それぞれの歩幅で探る、次なるかたち

山中:私が監督の作品を好きな理由のひとつは、「明快な結末を提示しない」点です。成長物語や感動的な変化に頼らない姿勢に、作り手として強く共感しています。なので、「この現状をどう生きていけばいいと思いますか?」という質問はしないと決めてきました(笑)。 

ただ、あえて伺います。今後はどんなテーマに興味がありますか? 次は再び個人的な領域なのか、それとも社会的なテーマを続けるのでしょうか。

山中瑶子

アスター:正直、いまはとても迷っています。私は“いまこの瞬間”や“私たちが立っている場所”について映画を作り続けたいと思っています。前例のない状況に置かれていて、私自身も強い恐れを感じているからです。

ただ、現在進行形の世界を扱うことには大きな危険があります。物事の変化があまりに速く、完成したときにはもう時代遅れになっている可能性がある。それでも、この環境について映画を作りたいという気持ちは消えません。

ニュースは加速し、誰も追いつけない世界。分極化は大衆に向けられる武器になっている世界。『エディントン』制作時に抱いていた懸念は、さらに強まり、極端なかたちで表れていると感じています。だからこそ、そこに関わる新たな作品にも挑戦したいと思っています。

アリ・アスター

アスター:山中監督の『ナミビアの砂漠』がとても気に入っています。若い監督でありながら、作品として非常に成熟していると感じました。いまはどんな題材に取り組まれているのでしょうか?

山中:『ナミビアの砂漠』の撮影後に『ボーはおそれている』を観て、「あ、私たちは同じことをやっている」とおこがましくも強く思いました(笑)。ただ、私は時代の変化やスピードにあまりうまくついていけないタイプなので、いまは少し過去に戻り、日本の史実を題材に「崩壊する男性の組織」について描こうとしています。

アスター:それはとても興味深いですね。僕もいま、“男性性”や“崩れていく組織”について改めて考えているところです。また新作を見るのを楽しみにしています。

山中:こちらこそ、また新しい作品で頭をぐちゃぐちゃにしてほしいです(笑)。

アスター:(笑いながら)約束します。

エディントンへようこそ
監督・脚本:アリ・アスター
出演:ホアキン・フェニックス、ペドロ・パスカル、エマ・ストーン、オースティン・バトラー、ルーク・グライムス、ディードル・オコンネル、マイケ ル・ウォード
配給:ハピネットファントム・スタジオ
2025 年|アメリカ映画|PG12|148 分
原題:EDDINGTON
© 2025 Joe Cross For Mayor Rights LLC. All Rights Reserved.
公式HP:https://a24jp.com/films/eddington/

福島 吏直子(編集部)

福島 吏直子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。編集者・ライター。