公開日:2025年12月10日

【レビュー】ゲルハルト・リヒターによるアンビヴァレントなレイヤー。パリ・フォンダシオン ルイ・ヴィトンの大規模回顧展で、長きにわたる創作活動をたどる(評:打林俊)

現代美術界を代表する作家のひとりであるゲルハルト・リヒターのキャリアの全貌に迫る大規模回顧展が、2026年3月2日まで開催中。フォンダシオン ルイ・ヴィトン史上最大規模の単独回顧展となった本展をレビュー。

会場風景 © Gerhard Richter 2025 (18102025) Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

ゲルハルト・リヒターの大規模な回顧展が、フランス・パリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンで2026年3月2日まで開催されている。

1932年にドレスデンに生まれ、現在もドイツ・ケルンを拠点に創作を続けるゲルハルト・リヒター。本展では、1962年からリヒターがペインティングから離れる決断を下した2017年までの作品を中心に、油彩画、ガラスおよびスチールの彫刻、鉛筆とインクによるドローイング、水彩画、オーバーペインテッド・フォトグラフなど、計275点を展示している。展覧会としては初めて、その60年以上におよぶ創作活動の全貌を紹介する試みとなった本展を、写真史家・評論家の打林俊がレビューする。【Tokyo Art Beat】

なぜ“リヒターはわからない”のか

ゲルハルト・リヒターが、現代アートにおいてビッグネームのひとりであることは疑いの余地がない。日本でも2022年には東京国立近代美術館豊田市美術館でリヒターの集大成となる作品《ビルケナウ》(2014)を含む大回顧展が開催、それに合わせて『美術手帖』2022年7月号で特集が組まれるなど、大きな話題となった。

ただ、《ストリップ》(2011)などの代表作がもたらす錯視などが話題を集めたいっぽう、画業全体を俯瞰したとき、“リヒターはわからない”などという声もちらほらと聞く。リヒターのわからなさは、大きくふたつに集約されるように思える。ひとつは、具象的絵画と抽象的絵画が画業を通じてずっと平行して制作されていたので、表現の振れ幅が大きいこと。そしてもうひとつは、リヒター自身が作品について詳細をあまり語らないことだろう。実際、日本での回顧展のカタログに収録された対談などを読んでも、作品について的確なコンセプトや制作意図を語っているとは言いがたい。

またいまひとつの問題は、その複雑に交錯した画業を日本での回顧展がわかりやすく提示できていなかったことにもあるだろう(東京国立近代美術館での展示では、制作年順に並んでいなかったので、それが理解の妨げになった感は否めない)。

会場風景より、《ストリップ》(2011) © Gerhard Richter 2025 (18102025) Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

リヒターの作品に宿る二重性

今回、リヒターの回顧展を開催しているパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトンは、展示室の面積も広く、展示作品は東京の回顧展の2倍に迫る。ただ、展示はほぼ制作年順にされており、動線も複雑ではないのでリヒターの全貌を知るためにはこちらのほうが理想的な展示となっていたように感じる。とはいっても、彼の表現の振れ幅が大きいゆえに、理解が容易でない画家ということに変わりない。

おそらくこのレビューの読者の多くはリヒターに興味を持っていて、日本での回顧展も見たことだろう。そこでここでは、日本展には出品されていなかったある1点の作品を拠り所にして、リヒターの画業を辿ってみよう。

今回、わたしが注目したその作品が《もう一方のグレイをのせた2つのグレイ(Two Greys, One upon the Other)》(1966)である。まず、物質的にであれ色彩や主題であれ、何かの上に別の何かを乗せるという、不可視でありながら重層的な構造をとるのは、リヒターの油彩画において最後まで続いていく手法だ。本作にはそれがもっとも端的なかたちであらわれている。さらに、リヒターはグレーという色について、「〜でも〜でもないこと」を意味する無意味さを表わす色、見せかけの現実に対する自分の考えをはっきりさせる手段であるとも語っている(*1)。

会場風景より、《もう一方のグレイをのせた2つのグレイ(Two Greys, One upon the Other)》(1966) 撮影:筆者

このグレーの問題はまた最後に考えることになるだろうが、まずはその重層性に注目したい。これはネタバラシにもならないことなのであらかじめいってしまえば、大方の想像通り、本展の最後の展示作品は《ビルケナウ》。強制収容所で隠し撮りされたとされる4枚の写真を油彩で引き写したものの上に抽象画が上描きされた作品だ。ひとまず作品内容に触れず単純に考えてみれば、《ビルケナウ》では具象画の上に抽象画が重ねられているという構造だ。この具象/抽象というアンビヴァレント さは、《もう一方のグレイをのせた2つのグレイ》における色彩の問題や、ユルゲン・シュライバー(*2)が指摘する、1960年代の「フォトペインティング」に描かれた人物像における加害者と犠牲者の対比など、彼の作品における様々な二項対立に拡張して考えることが可能だろう。

会場風景より、《ビルケナウ》(2014) © Gerhard Richter 2025 (18102025) Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

その流れの中でもうひとつリヒターの画業を支配しているのが、写実の問題だろう。上で触れた作品もそうだが、リヒターは1960年代から写真をもとにして、画面をぼやかしたような作品を描いている。似たような表現手法を取った作品としては、《48人の肖像》(1971〜72)や一連の風景画から2000年代の《ヴァルドハウス》(2004)のような作品にまでつながっていく流れがある。いっぽうでリヒターが《ストリップ》などの視覚効果、視覚作用を押し出した作品を制作していることを考えれば、これらの具象画は写実画の鑑賞におけるリアリティの問題を説いているともいえるだろう。

会場風景より、《48人の肖像》(1971-72) © Gerhard Richter 2025 (18102025) Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

これは鑑賞体験としても不思議なことなのだが、リヒターの具象画にはしっかりとした筆のストロークや意図的になされた、写真でいえば手ブレのような不鮮明さがあるにもかかわらず、それは一定の距離を置いてみるとかなり写実的な絵に見えてくる。こうした絵画と鑑賞距離の問題について、美術史家のケネス・クラークは『風景画論』や『ザ・ヌード』などの著作を通じて、絵画が近くで見ると物質であり、離れて見るとイリュージョンに変わるという二重性について言及しているが、リヒターの具象絵画にも意図的に生み出されたこうした二重性があるといえる。

このようなリヒター作品に宿る二重性は、必ずしも個々の作品の背景に深く入り込まなくても多くの作品に見られるもので、リヒター作品を愉しむための切り口のひとつだといっていいだろう。

会場風景より、《S. mit Kind》(1955) © Gerhard Richter 2025 (18102025) Photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

鑑賞者を作品内に巻き込む試み

いわば、わたしはここでリヒターの作品は制作背景に深入りせずとも愉しめるという見方を提示している。だが、いずれにしてもそれは作品とわたしたちが正面から向き合うということを前提にしている。しかし、2000年代に入るとリヒターの作品に小さな変化が起こっている印象を受ける。それはガラス作品において鑑賞者を巻き込む、参加させるという意図が前景化したことだ。

2004年に制作された《11枚のガラス》は文字通り11枚の板ガラスを10cm程度のマージンを取って重ねた作品であるが、この作品を正面から見ると、そこには鑑賞者自身が写り込む。しかも、1967年以来制作し続けてきたガラス作品のようにうっすら自分が映り込むというよりは、あたかも彼自身が描いてきた一連の具象画のように、やや輪郭線がぼやけたかたちで、かなりしっかりと映る。すこしふざけた言い方をするなら、「誰でもリヒター絵画のモデルになれる装置」といったところだろうか。しかし、鑑賞者が作品に映りこむというこの構造は、のちに《ビルケナウ》において重要な意味をもっていくように思えるのだ。

会場風景より、左が《11枚のガラス》(2004)。対面の作品やベンチが映り込んでいる © Gerhard Richter 2025 (18102025) photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

リヒターと戦争

リヒターについて考察された多くの著作において、研究者たちはリヒターと第二次世界大戦の関係を論じている。たとえば、先に触れたシュライバーはリヒターの家族史を解き明かすなかで、初期の写真をもとにして描かれた作品に戦争で亡くなった家族と戦争に加担した加害者が描かれていることを指摘した。

リヒターの世代にとって、第二次大戦は幼少期のトラウマ的な体験だけではなく、戦後ドイツの反省や国際社会における信頼の回復とともに、ドイツ人アーティストがどうアートと向き合うのかという重たい課題をも残した。リヒターは1932年生まれ。彼とともに1976年からデュッセルドルフ美術アカデミーで教鞭をとった写真家のベルント・ベッヒャー(1931年生まれ)とその妻ヒラ(1934年生まれ)にとっても同じだったことを指摘する研究者もいる。

リヒターはほとんど画業を通じて、その答えを模索するように戦争と向き合っていくわけだが、1967年には《ビルケナウ》にも使用される4枚の強制収容所の写真をもとに絵画を描くことを試みている。この収容所のイメージはその後も作品化の構想を何度か経て、2014年に《ビルケナウ》として完成する。とはいえ、冒頭でも触れたようにそのイメージの上には抽象画が重ねられ、強制収容所の図像を見ることはできない。それが「どうして?」という議論はあちこちでなされているのでここでは割愛するが、《ビルケナウ》が絵画自体としての完成後も変化を重ねていったのは確かなようだ。そのために重要な役割を果たしているのは、もうひとつの作品《グレイの鏡》(2019)の存在である。

会場風景より、《グレイの鏡》(2019)に映る《ビルケナウ》 © Gerhard Richter 2025 (18102025) photo: © Fondation Louis Vuitton / Marc Domage

《ビルケナウ》が初公開された際の記録写真などを見ると、4枚の絵画がそれ単体で展示されている。だが、《グレイの鏡》の完成以降、少なくとも東京国立近代美術館と今回のフォンダシオン ルイ・ヴィトンの展示では、《ビルケナウ》と《グレーの鏡》は向かい合うように展示されているのである。当然、そこには鑑賞者自身と同時に《ビルケナウ》が背景として映り込む。フロリアン・クリンガーは本展のカタログの中で、「たんに絵画を眺めているだけでは、文字通りみずからを画面に含めることはなかった。しかし、鏡を通して鑑賞者自身の像が、人物の痕跡を丹念に消し去ったキャンバスの背景に、ほとんど啓示的に浮かび上がるのである。《ビルケナウ》を背景にみずからを見ることは、視覚的にみずからの関与を自覚することである」と指摘している。

思うに、過去の強制収容所の写真の絵画化の試みと同様に、《ビルケナウ》もまたリヒターの中では完全なる完成の手応えを得られていなかったのではないだろうか。それは、絵画の完成度という意味ではなく、自身がドイツ人としてどう第二次世界大戦に向き合い、また戦争の記憶をどのように後世に伝える作品になるかという意味において。だたし、そのような解釈は展示という一回性の行為だけでは浮かび上がってこず、それが反復性をもったときにはじめて立ち現れてくるものである。具象と抽象、加害者と犠牲者、記憶をもつ者ともたざる者……《ビルケナウ》の上にわたしたち自身を映しだす《グレイの鏡》、この二重性のありようこそが、リヒターの画業における戦争との向き合い方の到達点にほかならない。今回のフォンダシオン ルイ・ヴィトンの回顧展は、この展示方法に至る軌跡を見事に示した展覧会だったともいえるだろう。

ところで、リヒターがグレーは「〜でも〜でもない」色と語っていたことを思い出してほしい。《ビルケナウ》は画面に散在する赤が血を想起させるなどの言われ方もするが、作品自体がクレーを基調にしていることは、より重要なのではないか。さらにいえば、グレーの鏡もまた同様の意味をもっているのは明らかだ。わたしたちは、《ビルケナウ》を見る際にふたつの「〜でも〜でもない」ものに挟まれた空間に存在することになる。その意味こそが、リヒターがわたしたちに投げかけている問いなのではないだろうか?

*1──増補版 ゲルハルト・リヒター 写真論/絵画論』清水穣訳、淡交社、2005年、p.32
*2──ドイツの調査報道ジャーナリスト。2005年にリヒターの伝記を出版

打林俊

うちばやし・しゅん 写真史家・写真評論家。株式会社page blanche代表取締役。1984年生まれ。2010年〜11年パリ第I大学大学院・フランス国立美術史研究所(INHA)招待研究生を経て、2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。2016年度〜18年度日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は写真と美術を中心とした視覚文化史。主な著書に『写真の物語 イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、『絵画に焦がれた写真−日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、「NeWORLD」で連載「虚構の煌めき~ファッション・ヴィジュアルの250年~」を執筆。