黒猫を抱える若い女性 1920 撮影:筆者
ウェールズ出身の画家、グウェン・ジョンの回顧展「グウェン・ジョン:ストレンジ・ビューティーズ(Gwen John: Strange Beauties)」が、イギリス・ウェールズのカーディフ国立博物館にて開催されている。会期は、2月7日〜6月28日。

グウェン・ジョン(1876〜1939)は、静謐で瞑想的な雰囲気の女性像で知られる画家だ。いずれの作品もスケールは小さく、特徴的なくすんだ色味を持つ。ロンドンの美術学校で学んだあと、生涯のほとんどをフランスで過ごした。
日本での知名度はまだ低いが、ほかの多くの女性作家と同様に、男性中心のモダニズム史に埋もれた才能として再評価が進んでいる。余談ではあるが、2024年から25年にかけて国立西洋美術館の小企画で特集されたオーガスタス・ジョンは、グウェン・ジョンの弟である。
生誕150周年を祝して出身地のウェールズから始まる此度の回顧展は、初期から晩年までを射程に収めた大規模展覧会となる。カーディフ国立博物館のあとは、スコットランド国立美術館(8月1日〜2027年1月4日)を経て、アメリカ・ニューヘイブンのイェール・ブリティッシュ・アート・センター(2027年2月18日〜6月20日)とワシントンD.C.の国立女性美術館(2027年6月30日〜11月28日)へ巡回予定。
ジョンはこれまで幾度かの展覧会を通じて再評価されてきたが、本展最大の特徴はジョンの作品そのものと制作プロセスに光を当てることを主眼に置いたキュレーションである。
従来、ジョンの受容は伝記的側面に強く依拠してきた。とりわけ、オーギュスト・ロダンのモデル兼恋人であった関係や、その後の隠遁生活、さらにはカトリックへの改宗が、失恋の帰結であるかのように語られ、しばしば彼女の作品も自伝的に解釈されてきた。

近年では、こうした男性中心の伝記物語の反動として、フェミニズム理論に基づく解釈が前景化している。独立して制作を続けたジョンをヴィクトリア朝的なジェンダー規範を拒否した女性として位置づけたり(ちなみにジョンはバイセクシュアルだった)、「女性の眼差し(Female Gaze)」によって女性の内面世界を描いた画家として評価したりする議論である。

しかし本展は、ジョンを臆病で内気な隠遁者としても、あるいはフェミニズムの象徴としても固定化しない。問題意識の中心にあるのは、つねにその時代の関心に応じた解釈が重ねられてきた結果、ジョンの制作実践や絵画の探求に対する評価が遅れていたという点である。色彩と形態への思索に支えられた、ひとりのモダニズム画家としてジョンを再検証しようとする点に本展の独自性がある。
展覧会は時系列順で、最初の展示室は美術学校時代から始まる。
当時のイギリスで唯一女性を受け入れていたスレード美術学校で1895年から1898年まで学んだジョン。情感あふれる身近な生活を描いた初期の作品からは、当初ジョンがアンティミスム(親密派)の方向性を模索していたことが見て取れる。
いずれも絵具を薄く重ねて透明感を出すグレージング技法が用いられ、艶やかな表面を湛えている。こうした初期作品は、ジョンが伝統的なアカデミック油彩画の訓練を受けていたことを示している。


その後、ジョンはパリに移り、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーが指導するアカデミーで学ぶ。制作を続ける傍ら、生活費を得るためにモデルとして働き、ロダンを含む多くの芸術家と出会うことになる。
ジョンの小さな屋根裏部屋のアパートを描いた本作は、ロンドン時代の絵画とは雰囲気が大きく異なる。トーン重視の抑制された色彩からはホイッスラーからの影響も感じられる。


1911年、34歳のジョンはパリ郊外のムードンへ移り住み、1913年にはローマ・カトリックへ改宗した。猫とともに静かな宗教的生活を送り、やがて、近隣の修道会から修道会創設者の肖像制作を依頼されることになる。
本展は、この「メール・プスパン」連作をジョンの画風における重要な転換点として位置づけている。「メール・プスパン」のバリエーションは現在15点が確認されており、そのうち5点が本展に出品された。従来、彼女の改宗はロダンとの失恋の帰結として語られてきたが、本展ではジョンのカトリックへの帰依を新たな芸術的実践を拡大した要因としてポジティブにとらえ直した点が新鮮だ。

なかでも注目したいのが、ジョン自身が「ブロビング(blobbing)」と呼んだ技法である。厚く置いた絵具を小さな筆触でリズミカルに重ねていくこの方法は、スレード美術学校で学んだアカデミックな油彩技法からは逸脱したモダニズム的表現である。彩度を抑えた色彩とマットな質感による絵具が、ジョン特有のテクスチャーを生み出していく。


なによりこの展示室で強調されるのは、ジョンにとってカトリック信仰は決してモダニズムと対立するものではなかったという知見である。むしろ信仰は、彼女の創作を支える精神的基盤として機能していた。それは、1920年代初頭までにはジョンが自らを「神の小さな芸術家──奇妙な美を見通す者、調和の語り手、勤勉な働き手(God’s little artist: a seer of strange beauties, a teller of harmonies, a diligent worker)」と呼び、芸術制作そのものを信仰の実践としてとらえていたことからも理解できる。
以降、ジョンは「反復」を制作の中心に据えるようになる。ひとつのモチーフに対して、色彩や構図をわずかに変化させながら繰り返し描いてゆくのである。
「回復期の人(The Convalescent)」として知られるシリーズでは、聖母マリアを思わせる青い服を着た女性が籐椅子に腰掛けて手紙や本を読む様子が全部で11点制作された。朝から夕へと移ろう時間を思わせる色彩の変化は、思わずモネの「ルーアン大聖堂」連作を連想してしまう。

しかしモネが光や気象条件の変化を通して対象の見え方を追究したのに対し、ジョンの反復はむしろ同一のイメージを繰り返し観察することで視覚そのものを研ぎ澄まそうとする点に特徴がある。この意味で彼女の連作は、モネやポール・セザンヌの連作に見られる知覚研究というモダニズムの系譜に連なりつつも、その方向性はより内省的で静かなものだと言える。

実際に、ジョンが残したメモからは、彼女がモダニスト的な思考に基づいて制作に取り組んでいたことが読み取れる。そこには次のように記されている。
観察の方法 1.奇妙さ 2.色 3.色調 4.人物の形態
制作の方法 1.上の4点を観察すること 2.色を混ぜること 3.目の訓練のために鉛筆で線をひくこと 4.背景を描くこと 5.背景の中から人物の形を描きだすこと
ここで彼女は「奇妙さ(strangeness)」という性質を、対象を注意深く見る実践と結びつけている。それは、固定化されたものの見方を解体し、見慣れないものに焦点を当てようとする試みであり、ジョンが対象を描く画家というよりも、「見ること」を研究する画家であることを端的に示している。

晩年のジョンは、教会の信者や修道女、祈りの場面などを取材しながら数多くの水彩画を制作した。
色彩理論に深い関心を寄せていたジョンの素描には、ほとんど必ずといっていいほど色彩に関するメモが付されている。それはたとえば、「夜の砂浜に色あせて咲く四月のパンジー」といった詩的な表現で記されることもあれば、番号による記録として残されることもある。また、両方の組み合わせの場合もある。驚くべきことに彼女は自ら調合した色やトーンを識別するために独自のコードを考案していたのだ。それらは鉛筆や木炭で素早くスケッチした対象の色やトーンを後から思い出すための手がかりとして用いられていたと考えられているが、そのコード自体はいまだ解読されていない。
自身が感覚した色彩を体系化しようとしたジョンの試みは、制作に対するきわめて意識的で実験的な姿勢を示すものであり、非常に興味深い。


概して女性芸術家の再評価展では、男性中心で構築されてきた美術史を批判的に見直す作業が伴う。それは間違いなく価値のある仕事だ。しかしそのいっぽうで、女性芸術家を「女性」というカテゴリーに位置づけることで、“もうひとつの美術史”が存在していたかのように、彼女たちをある種特殊な存在として他者化してしまうジレンマがつきまとう。
本展はこの問題に対して、ジェンダー・ニュートラルなアプローチで応答した。作品そのものを精査することによって、ジョンを「女性芸術家」というよりも、「ひとりのモダニズムの画家」として位置付け直そうとしていたのは、本記事が見てきた通りである。

無論、このアプローチは万能ではない。ジョンが女性であるがゆえに直面した困難や、彼女の性的指向といった側面を見えにくくしてしまう難点がある(実際に、本展はジョンのクィア性にまったく触れていない)。また、伝記的な要素を大胆に省いた構成は、グウェン・ジョンを初めて知る鑑賞者にとっては不親切に感じられるかもしれない。いずれにせよ、今回のアイデンティティ・ポリティクスに深入りしない指針は、キュレーターにとっても容易な決断ではなかったと思われる。
それでも、作品と残された資料から作家像の再構築を試みる本展のオーソドックスなキュレーションからは、女性芸術家の再評価という現在の潮流のなかで、ジョンの評価を一過性のものに終わらせまいとする強い意志が感じられた。そうした姿勢は高く評価されるべきだろう。近年の女性芸術家再評価展がしばしば作家のジェンダー・アイデンティティを強調する枠組みに依拠してきたのに対し、本展は作品と資料に立ち返ることで、女性芸術家再評価展のあり方を問い直すものになっていた。