公開日:2026年4月13日

【インタビュー】クロエ・ジャオが語る映画『ハムネット』とシェイクスピア。「物語は私たちが支配できるものではない」

ジェシー・バックリーがアカデミー賞主演女優賞を受賞。「シェイクスピアの妻」の視点で『ハムレット』誕生の背景を描く映画が日本公開

:『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

劇作家ウィリアム・シェイクスピアによる不朽の名作『ハムレット』の誕生には、長男であるハムネットと家族を襲った悲劇があった──。

ウィリアムの妻でありハムネットの母、アグネスの視点から激動の日々を描いた映画『ハムネット』は、早くから世界の賞レースを席巻した話題作。第98回アカデミー賞で主演女優賞、第83回ゴールデングローブ賞では作品賞・主演女優賞(ともにドラマ部門)を受賞した。原作は、2020年に発表され、イギリスの女性小説賞や全米批評家協会賞を受賞したマギー・オファーレルによる同名小説だ。

監督は、『ノマドランド』(2020)でアカデミー賞の作品賞・監督賞に輝いたクロエ・ジャオ。自身にとっても新境地となったが、当初はこの企画を断るつもりだったという。原作小説を読んでいなければ、『ハムレット』にも詳しくなく、また自らが母親にまつわる個人的なトラウマを抱えていたためだった。

なぜジャオはこの仕事を引き受け、いかにして『ハムネット』とシェイクスピアの世界に近づいていったのか。

「私が物語を選ぶのではなく、物語が私を選んでくれる。私はそう信じています」。来日したジャオに、創作に込められた思想と願いを聞いた。

映画『ハムネット』予告編

“物語の痕跡”を掘り当てる創作プロセス

16世紀イギリス。小さな村で劇作家を志すウィリアム・シェイクスピア(ポール・メスカル)は、“森の魔女の娘”と呼ばれるアグネス(ジェシー・バックリー)と結婚し、長女スザンナをもうけた。のちにウィリアムは、夢を叶えるためロンドンへ移住。アグネスは夫が不在のまま、双子の長男ハムネットと次女ジュディスを産み、生活に奮闘する。ところが、思いがけぬ悲劇が家族に襲いかかり……。

オファーを断るつもりだったジャオが翻意した決め手は、「不思議な偶然が続いたこと」だった。ブレイク前のポール・メスカルから連絡を受けて面会し、「ウィリアム役を演じられるのではないか」と感じたこと。メスカルの薦めで原作を読み、『ハムレット』を初めて深く理解できたように思えたこと。アグネス役にふさわしいと直感したジェシー・バックリーが出演を快諾し、原作者マギー・オファーレルも共同脚本を引き受けたことだ。

「私の意志とは関係なく、人生や運命が介入してくるのを許すような感覚でした。私が“やります”と言えるようになったときには、ジェシーとポール、マギーの全員の参加が決まっていた。そこで、ジェシーとポールのために脚本を書こうと決めたのです」

クロエ・ジャオ

ジャオは「物語は私たちが支配し、所有できるものではない。“支配できる”という考えは少しエゴイスティックなのかも」と言う。「物語はただそこにあり、時には自らの生命を持つもの。ある程度は制御しなければなりませんが、ありのままの姿も認めなければいけません」

物語と向き合うこのような創作のプロセスを、ジャオは考古学にたとえている。

「発掘作業を進めていくと、“この場所で何が起きたのか?”という自分の仮説には執着していられなくなります。かわりに小さな発見の一つひとつが、この物語が語ろうとしていることを明らかにしてくれる。私は自分のヴィジョンではなく、物語の痕跡をひたすら追っていきました」

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

ウィリアム・シェイクスピアと“魔女”

ジャオが原作小説の“物語の痕跡”に見出したのは、ウィリアム・シェイクスピアその人の存在だった。幼少期から家族の食卓に座るのが嫌で、空想の世界に逃げ込んでいたというジャオは、母であるアグネスよりも、むしろ創作に没頭するウィリアムに共感を抱いたという。

「映画の半分くらいを彼(ウィリアム)に逃避できるなら、彼女(アグネス)ともうまくやっていけるかもしれないと思いました」。母性を描くことにためらいがあったというジャオは、海外メディア(*1)でそう告白している。

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

原作よりもウィリアムの存在が強調されたことで、この映画は劇作家ウィリアム・シェイクスピアの創作にも深く迫ることとなった。“森の魔女の娘”と呼ばれるアグネスの人物像は、原作者のオファーレルが、シェイクスピアの描いた“予言者の女性たち”から着想したもの。映画には、より様々なシェイクスピア作品のイメージが引用されている。

「ウィリアムの家には3人の子供がいました。私が思うに、若い頃の彼はいつも創作に勤しんでいて、つねに小さなアイデアを書きとめていたはずです」とジャオは言う。

劇中には、ウィリアムと子供たちがアグネスに“魔女3人”の芝居を見せる場面がある。そこで子供たちが口にするのは、名作『マクベス』で主人公に予言を与える3人の魔女──シェイクスピアが描いた“森の魔女”の代表的存在である──のセリフと同じだ。

実際に『マクベス』が書かれたのは、『ハムレット』よりもしばらく後。しかし、ジャオは「もしもウィリアムが子供たちと一緒に妻を驚かせようとして、小さな魔女3人が走り回る芝居を書いていたとしたら?」と空想する。「のちに『マクベス』を書くとき、『あのセリフを使えるぞ』と思ったかもしれませんよね

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

時には家族をも顧みず創作に邁進するウィリアムの姿を通して、ジャオは本作を『ハムレット』のみならず、大作家ウィリアム・シェイクスピアの誕生譚としても描いている。

「創造性(クリエイティビティ)とは螺旋のようなもので、天才的な作品は突如現れるわけではありません。『よし、この1ヶ月で傑作を創ろう』という発想ではなく、10代の頃まで振り返り、『あのアイデアがいい』とひらめいて創作する──そこには本物の人生があり、記録があり、それらが実を結ぶ機会がある。それが芸術家の仕事です」

映画にはウィリアムが『ロミオとジュリエット』の名ゼリフを執筆する場面もあるが、これも史実を踏まえて想像をふくらませたものだ。かくしてウィリアムは、最愛の長男ハムネットを襲った悲劇のあと、いよいよ『ハムレット』の執筆に着手する。

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」。夢が授けた名ゼリフの解釈

「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ(To be, or not to be, that is the question)」──『ハムレット』を代表するこの名ゼリフは、本作『ハムネット』にも登場する。苦悩するウィリアムが、この言葉に思い至る瞬間がやってくるのだ。

もっとも、このセリフを実際に引用することについては議論があったという。

「『使うべきか、やめるべきか、それが問題だ』でした」とジャオは笑う。あまりに有名で、あまりに語られてきたセリフだからだ。「私は絶対に必要だと確信していました。だって『ハムレット』ですからね」

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

シェイクスピアの言葉を解釈するうえでジャオが役立てたのは、ウィリアム役ポール・メスカルの見た“夢”だった。夢と無意識の分析を創作に活かす「ドリームワーク」と呼ばれる手法が、名ゼリフに新たな光を当てたのだ。

この手法は近年のハリウッドで広く採用されており、本作ではアグネス役ジェシー・バックリーの提案から採用。『パワー・オブ・ザ・ドッグ』(2021)など多数の作品に携わる専門家のもと、ポールは「目覚めたまま自分の夢を体験する」ワークショップを体験したという。

「ポールが見た夢の中で、彼はアイルランドの家へ帰りたい気持ちと、家を離れたい気持ちのあいだで葛藤していました。自分の気持ちを身体で表現してほしいとコーチが伝えると、彼は不快そうな身ぶりを始めたのです。後から、彼は『まるで引き裂かれるようだった、身体がちぎれそうなほど引っ張られているみたいだった』と話していました」

その言葉を聞いたとき、ジャオは「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を思い出した。「ウィリアムがふたつの相反する力によって激しく引き裂かれるとき、新たなエネルギーと均衡が生まれる──そこからこのセリフが生まれたのだと気づいたのです」

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

[※以降の内容には、映画の結末への言及が含まれます]

「あとは沈黙」──ふたりの亡霊が語ること

『ハムレット』の主人公ハムレットは、物語の結末で決闘の刃に倒れて命を落とす。最後の言葉は「あとは沈黙(The rest is silence)」。

映画のクライマックスは、ウィリアムが亡き息子から着想した『ハムレット』の公演初日。息子の名前をもじった作品を夫が上演すると知ったアグネスは、満員の劇場・グローブ座でハムレットの死を目にする。映画を締めくくる最後のセリフは、劇団のハムレット役が言い残す「あとは沈黙」だ。

「『あとは沈黙』がこれほど重要なセリフだったなんて、この映画を作るまでは理解していませんでした」とジャオは言う。

「愛を手放すことが難しいのは、死への恐れがあるからです。『死は悪いこと』だと私たちは信じている。けれどもアグネスは最後に、それでも愛は死なない、変容するだけだと気づきます。そのエネルギーは続いていくのです」

『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

ジャオは、「あとは沈黙」という言葉を「降伏であり受容」だと解釈した。もはや、そこに恐れはないのだと。

「この言葉を苦悶とともに語ることはできます。同時に、『沈黙は平和』という意味を込めて語ることもできる。沈黙とは宇宙と一体になることであり、恐れはまるでない、というふうに。私たちは母親の胎内にいるときはそんな状態だけれど、外へ出たとたん泣き叫ぶ。死の瞬間、その一体性へ戻ることは平和だと思うのです」

役者演じるハムレットが舞台上で息絶えるとき、アグネスの目には長男ハムネットの姿が見える。そのとき、ハムネットは舞台の奥に広がる闇に向かって去っていこうとしている──まるで、『ハムレット』に登場する幽霊のように。

「映画後半のハムネットは、ある時間のなかに閉ざされています。ある場所を去ろうとして立ち止まり、振り返った瞬間のまま凍りついている。それは、母親が彼を手放せずにいるから。その姿は彼女の投影であり、ほかの誰にも見えません。だけど彼女が手を放せば、彼は向こう側へ渡ることができます」

:『ハムネット』 © 2025 FOCUS FEATURES LLC.

なぜ、「あとは沈黙」という一言でこの映画を終えることにしたのか。そう尋ねると、ジャオは「この映画は『沈黙の平和』で終わるべきだと考えていたから」と答えてくれた。

「アグネスがハムレットに手を伸ばし、グローブ座の観客がひとつになるとき、ハムレットは『ああ、僕はみんなとひとつなんだ』と感じ、恐れることなく『あとは沈黙』と言える。そして、夫が創造したフィクションとしての息子である彼が、『あとは沈黙』と語りかけるとき、ようやく母親は息子を闇の中へ送り出すことができるのです」

ジャオは『ハムレット』を「愛と死についての物語」と呼ぶ──言うまでもなく、この映画も「愛と死」の物語だ。“愛”と“死”を、ジャオは「宇宙や人間存在における根源的な状態。もっとも偉大な創造と、もっとも強烈な破壊」と語る。

「愛とは最大の喜びと快楽、死は最大の痛みと喪失です。それらが麻痺してしまうと、あらゆるものを感じづらくなってしまう。人間の困難は、そんな『生きるべきか、死ぬべきか』のあいだにある緊張をつねに抱えつづけていなければならないこと。まさしく『それが問題』です(笑)」

参考文献

※1──Chloé Zhao Knows How to Make You Cry: The ‘Hamnet’ Director Digs Deep on Her Surefire Oscar Contender – IndieWire https://www.indiewire.com/features/interviews/chloe-zhao-interview-hamnet-1235149966/
Chloé Zhao on Why She Took a Four Year Break From Filmmaking and Signed on to ‘Hamnet’ Only After Meeting Paul Mescal – The Hollywood Reporter https://www.hollywoodreporter.com/movies/movie-features/chloe-zhao-hamnet-tiff-interview-paul-mescal-jessie-buckley-1236355477/
How much of Hamnet is true? What's real (and what's speculation) in the Oscar-nominated tear-jerker – Entertainment Weekly https://ew.com/hamnet-true-story-fact-vs-fiction-11915281
In Hamnet, Jessie Buckley and Paul Mescal Spin a Shakespearean Fairy Tale – Vanity Fair https://www.vanityfair.com/hollywood/story/hamnet-chloe-zhao-jessie-buckley-paul-mescal-exclusive
Chloé Zhao went through a ‘very painful fire’ before turning heartbreak into ‘Hamnet’ – Los Angeles Times https://www.latimes.com/entertainment-arts/movies/story/2025-08-31/chloe-zhao-hamnet-shakespeare-turning-heartbreak-into-art-interview-telluride
Why Everyone in Hollywood Is Doing Dream Work - GQ https://www.gq.com/story/dream-work-kim-gillingham

クロエ・ジャオ

1982年3月31日生、中国・北京出身。15歳でロンドンの寄宿学校へ通い始め、卒業後は、ロサンゼルスへ移る。大学では政治科学を専攻。職を転々とした後にニューヨーク大学ティッシュ・スクール・オブ・アートで映画制作を始める。『兄が教えてくれた歌』(2015/未)で長編映画監督デビュー。『ザ・ライダー』(2017/未)で第53回全米映画批評家協会賞、第28回ゴッサム・インディペンデント映画賞でいずれも作品賞を受賞した。自身の長編映画3作目となる『ノマドランド』(2020)が、第77回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。第45回トロント国際映画祭では最高賞にあたる観客賞を受賞し、さらに、第78回ゴールデングローブ賞では、アジア人女性として初めて監督賞を受賞した。加えて、第93回アカデミー賞で非白人女性として初めて監督賞を受賞した。その他監督作品に『エターナルズ』(2021)がある。

『ハムネット』

2026年4月10日から公開
監督:クロエ・ジャオ
脚本:クロエ・ジャオ、マギー・オファーレル
製作:スティーヴン・スピルバーグ、サム・メンデス
出演:ジェシー・バックリー、ポール・メスカル、エミリー・ワトソン、ジョー・アルウィン
配給:パルコ ユニバーサル映画
公式サイト:https://hamnet-movie.jp

稲垣貴俊

稲垣貴俊

いながき・たかとし 海外映画を専門に、評論・コラム・インタビューなど幅広い文章を雑誌・書籍・ウェブなど多数の媒体で執筆・編集。舞台作品のリサーチ・コンサルティングも務める。主な作品に『パンドラの鐘』(杉原邦生演出)や「木ノ下歌舞伎」作品など。