公開日:2026年4月14日

元文化庁長官が警鐘鳴らす「論理の飛躍」「地方への影響」。国立博物館・美術館に課せられた「収入ノルマ」の問題点とは

議論を呼ぶ国立博物館・美術館の中期目標。自己収入の数値目標や「二重価格」の導入など、その内容の妥当性や実現性はどうなのか。元文化庁長官であり、国立西洋美術館館長などを務めた青柳正規・多摩美術大学理事長に聞く

国立西洋美術館 撮影:編集部

国立博物館と美術館を運営する3つの独立行政法人(国立文化財機構、国立美術館、国立科学博物館)に対し、今後5年間で入館料などの自己収入を増やす数値目標を設定した文部科学省の中期目標が波紋を呼んでいる。公費依存の抑制を目指し、来館者数の大幅増加や訪日外国人客と国内居住者を別料金にする「二重価格」の導入も求めているが、その内容に妥当性と実現性は十分にあるのか。元文化庁長官で考古学者・美術史家の青柳正規・多摩美術大学理事長に見解を聞いた。

青柳氏は1944年生まれ。東京大学文学部教授、国立西洋美術館館長、独立行政法人国立美術館理事長などを歴任。2013年に民間出身として5人目の文化庁長官に就任した(16年まで)。現在、山梨県立美術館館長と石川県立美術館館長、奈良県立橿原考古学研究所所長も務める。文化行政とミュージアム運営、学術研究の3分野に精通する数少ない専門家だ。

前景化した経済の論理

──青柳さんは2013~16年に文化庁長官を務めました。国立博物館・美術館の自己収入の拡大を数値目標として掲げた文部科学省の次期中期目標をどう見ますか。

独立行政法人の中期目標は、基本的に所管する省庁が中心となって文案を作り、それを財政面から財務省がチェックする作業などを経て策定されます。ところが今回の中期目標を見ると、従来と比べて財務省のイニシアチヴが強いように感じられます。「心を育む文化の育成に寄与する」という文化政策の前提よりも、経済の論理が前面に出ている印象です。もちろん公的機関に財政規律は必要ですが、文化施設の場合は短期的な効率だけでは測れない価値が本質にあり、それがどこまで中期目標に汲み取られたかという点を慎重に見極める必要があります。

──どの点に経済の論理が表れていますか。

象徴的なのは、自己収入比率の数値目標や「再編」という言葉ですね。これは文化行政の現場から出てきた発想というより、効率性・収益性を重視する財政当局側の考え方に近いように思います。本来なら公の博物館・美術館の中期目標は、何を収集してどう保存し、どのような調査研究を積み重ねて、それらをいかに社会に還元していくかという活動の中身が中心に置かれるべきですが、今回は明確に目標とする数値を掲げています。そうなると、どうしても計測可能な部分だけが評価の焦点になります。でも、文化の本質的な価値は数字では測れないはずです。

青柳正規 撮影:永田晶子

数値化が困難な「文化の価値」

──中期目標は、展示(展覧会や常設展等)にかかる費用における自己収入の割合を4年後までに65%以上にすることを求め、4割を下回る館は「再編」対象にすると明記しました(*1)。また、国立博物館全体で年間1200万人程度、国立美術館で1000万人程度という入館者数の目標を掲げています(*2)。こうした数値は現実的でしょうか。

公的な文書に盛り込む以上、実現の可能性は十分に考えて出した数字だと思います。ただ注意しなければならないのは、博物館や美術館には作品や資料の「収集・保存」「調査研究」「教育普及」「展示」という4つの重要な役割がありますが、そのうち今回は「展示」だけを対象に数値目標を設定しているということです。

──たしかに展示事業が焦点化された感はあります。

展示事業は、入館料収入や来館者数というかたちで定量的な数値目標を設定しやすい分野ではあります。ただ本来もっとも大切なのは、その展示を見た人が精神的な満足感や知的な刺激を得られたか、日々の暮らしや将来に好ましい影響を受けたかといった定性的な部分です。

文化政策は経済と異なり定量化が難しい分野で、数値目標を設定することの危うさはしばしば指摘されてきました。いっぽう、定性的なものは評価する基準が作りづらい。でもミュージアムで文化に触れる人々が期待しているのは、そうした定性的な部分の質の向上と充実だと思います。それを文化庁はわかっているはずですが、定性的な部分は数値化が難しいので、代替的に一部定量化が可能な展示事業に絞って数値目標を示した可能性はあります。数値目標の設定には、たんに入館者数を増やすことだけが目的ではなく、展示の見せ方や学芸員のキュレーション、ミュージアム空間の快適性といった数値での評価が困難な部分も併せて向上させ、訪れた人がより質が高い体験ができるようにしてほしいという独法へのメッセージも裏側に込められていると思います。

文部科学省が策定した独立行政法人の中期目標

とはいえ、先ほど申し上げたように博物館と美術館には4つの重要な役割があるわけです。その4分の1である「展示」の結果(展示事業費における自己収入比率)だけを取り出し、組織全体がかかわる「再編」対象にする、ということであれば、やはり論理矛盾だと思います。仮に展示事業が求められた数値を満たすことができなくても、教育普及や調査研究で大きな成果を上げているのであれば、わざわざ改編する必要はないですよね。

*1──再編について、3月4日付の読売新聞は「閉館も含め検討」、同9日付の朝日新聞は「財務省は閉館や統合も含まれるとしている」と報道。いっぽう、文化庁は公式サイトで、「『閉館』を想定しているものではない」「各館の役割分担等を見直すことで法人全体の機能強化を図るもの」と説明している。
*2──国立博物館(東京国立博物館、京都国立博物館、奈良国立博物館、九州国立博物館、皇居三の丸尚蔵館)の2024年度の入館者数は計約411万人、国立美術館(東京国立近代美術館、国立工芸館、京都国立近代美術館、国立映画アーカイブ、国立西洋美術館、国立国際美術館、国立新美術館)の2023年度の入館者数は計約368万人(独立行政法人国立文化財機構、同国立美術館の『概要』より)

国宝の展示期間延長の課題

──中期目標は、国宝・重要文化財(重文)の展示期間の延長を含む常設展の強化を求めています。

たとえば東京国立博物館が所蔵する長谷川等伯《松林図屏風》(国宝)といった名作がいつ行っても鑑賞できたら、海外の人を含めより多くの人の来館動機につながることは間違いないでしょう。ただ本作のように材質が脆弱な国宝・重文は、公開期間を年間60日程度に制限してきた従来の運用(*3)は自分の経験的にも妥当だと考えています。

中期目標は、保存と活用のバランスを取りながら公開機会の拡大を図るように求めていますが、もし国宝・重文の公開期間を延長するのであれば、保存科学に基づく検証は不可欠です。どの程度の照明なら材質が劣化しないか、温度や湿度の変化がどれほど影響するのか、人間の呼気に含まれる二酸化炭素はどのような影響を及ぼすのか──。そうしたデータを積み上げたうえで、どの程度まで公開期間を延ばしても問題がないかを先に議論すべきでしょう。

期間延長については、文化財保存の観点と国宝・重要文化財をいつでも見られる状況を望む社会的ニーズとのバランスをいかにとるのか、文化財を次世代に継承する役割を担うミュージアムとして真摯に向き合う必要があります。

長谷川等伯 松林図屏風(国宝、部分) 東京国立博物館蔵 16世紀 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-10471?locale=ja)

──青柳さんは、山梨県立美術館と石川県立美術館両館の館長を務めています。国立ミュージアムに自己収入の拡大を求める国の方向性は、地方にも波及する可能性はありますか。

それが非常に気がかりです。地方の自治体は、中央政府の政策の背景や意図を十分に踏まえて解釈するというより、示された数字や文言をそのまま判断基準とする傾向があります。今回、数字だけがひとり歩きし、施設の運営予算や交付金の抑制、自己収入の増加を求めるといった自治体の対応につながることを強く懸念しています。

次期中期目標は、完璧なものではなく、目標数値を設定した背景には公的文書として定量的な指標で示さざるを得ない部分もあるからでしょう。そうしたことを地方の自治体やミュージアム関係者には理解してほしいと願っています。

世界有数の文化予算の規模があるフランスは、その内訳を見ると中央政府に加え、地方自治体の文化支出の比重も高いのが特徴です。この構造があるため、パリだけでなく地域性を反映し活動も充実したミュージアムが各地にあり、文化の多様性を支える基盤になっています。

いっぽう、日本の文化支出はほかの先進国と比べてもかなり低い水準にとどまり、地方自治体においても抑制や減額の傾向が続いています。このような状況だからこそ国立のミュージアムはさらなる改革を工夫し、地方のミュージアムは地域の特性に配慮した活動を行うことによって、日本の文化的多様性の向上に寄与してもらいたいと思います。

2020年の各国政府文化支出(一般社団法人芸術と創造『令和2年度文化行政調査研究・諸外国における文化政策等の比較調査研究事業報告書』より)

──外国人観光客の入場料を割高にする「二重価格」について、どう考えますか。

二重価格は、経済的に余裕が少ない国で実施される場合が多いようです。かつては中国でも二重価格が広く見られましたが、経済力の向上や制度見直しに伴い次第に解消されました。日本はむしろ逆で、経済的な余裕が徐々に失われつつあり、二重価格の導入自体は自然な流れかもしれません。

ただ気になるのは、今年から出国税(国際観光旅客税)が引き上げられ、増収分は混雑緩和対策や文化資源の整備などに充てるとされています。現行1000円の出国税が引き上げられ、さらに二重価格の導入が進めば、ある意味では外国人観光客にとって“二重取り”という見方もできます。この点についても、十分に検討がされたのかが疑問です。

*3──文化庁は国宝と重文の公開に関する取扱要項(ガイドライン)を2018年に改訂し、従来の原則「年間延べ60日以内」は維持しながら、保存状態に問題がない石・土・金属等のものは「延べ150日以内」などとする新たな目安を示した。

あやぶまれる「文化芸術立国」

──「地方創生」を掲げ、文化庁が東京から京都に移転して3年がたちました。一部の部署は東京に残る2拠点体制ですが、現状をどう見ますか。

東京では国会対応がありますし、予算編成の際は財務省主計局とのやり取りが必要です。ただ、これだけ距離が離れてしまうと、細やかなコミュニケーションがなかなか難しくなっている面もあるのではないですか。

日本の交通網は東京を中心に放射状に伸びており、ほかの中央官庁はいまも東京にあります。地方にもよりますが、京都は必ずしも交通の利便性が良いとは言えません。そのため地方の自治体・団体が陳情や要望に足を運ぶ機会が減り、結果として文化庁に入ってくる情報が少なくなって実情を把握しにくくなることを危惧しています。

文化庁の年間予算は1100億円ほどに固定されており、大幅な増額は見込みにくいのが現状です。そうしたなか、ほかの省庁と連携しながら行う取り組みは非常に大事です。たとえば、農林水産省との協働による「日本の食文化」の発信や、国土交通省による平城宮(奈良)や首里城(沖縄)等の大規模史跡の国営公園への指定と整備など、他省庁の予算も活用しながら文化政策は進められてきました。こうした連携や調整は、東京にいるほうが円滑に進められる面もあるでしょう。

文化庁長官だったとき、私は京都移転に慎重な立場でしたが、現状を見ると懸念したことが現実に起きている面もあると感じています。日本経済が停滞し、文化は本質的な価値に加えて観光資源としても重要性が増しています。そうしたなか、文化庁が政府中枢や他官庁と距離があるのは痛手だと思います。今回の中期目標も、所在地の遠隔性が反映して、策定時に文化庁が十分に影響力を出せなかったということも考えられないでもありません。

京都国立近代美術館 撮影:永田晶子

──青柳さんは長年「文化芸術立国」の必要性を訴えてきました。

この10年間でとくに変わったのは、財政状況です。国と地方の債務が膨れ上がり、その影響が様々な文化分野にも及んで、博物館や美術館など現場の疲弊はさらに進んでいます。

いっぽうで近年、文化は観光政策や地域振興、福祉など多様な分野への寄与が求められ、その効用や経済波及効果が注目されています。本来ならば役割の広がりに応じて文化予算も拡充されるべきですが、従来の枠組みのまま据え置かれている現状は納得がいきません。

国は、文化芸術を守り振興を図るための環境整備により一層力を入れてほしいですね。たとえば、文化関連税制の見直し。独法化(2001年)により後退した面がある国立文化施設に対する企業の寄付や相続の際の文化財・美術品の扱い、寄附控除制度などは改善の余地がありそうです。

文化芸術は、私たちの生活に必要不可欠なもので、豊かな精神生活やアイデンティティの拠りどころであるばかりか、社会の活力の源にもなっています。でもこのままだと、「文化芸術立国」の実現は厳しいでしょう。手遅れになる前に、日本の文化が着実に未来へ継承され、発展していく基盤を国は整えてほしいと思います。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。