公開日:2026年3月7日

パク・チャヌク監督インタビュー :映画『しあわせな選択』──「笑い」で社会を解剖する

イ・ビョンホン主演の新作ブラックコメディが日本公開。「この映画はコメディでなければならなかった」と話す理由とは?(ポートレイト撮影:西田香織)

パク・チャヌク

「ひょっとすると、これはパク・チャヌク監督にとってもっとも商業的な映画になるかもしれない」俳優イ・ビョンホンは、脚本を読み終えてすぐにそう思ったという。

映画『しあわせな選択』は、『オールド・ボーイ』(2003)や『お嬢さん』(2016)、『別れる決心』(2022)などで知られる韓国の名匠パク・チャヌクが手がけた異色のエンターテインメント。突如失業した主人公マンス(イ・ビョンホン)が、愛する妻や子供たちを守り、理想の生活を取り戻すため、再就職のライバルを排除しようと目論むブラックコメディだ。

本作の英題は『No Other Choice』すなわち「仕方がない」という意味。この言葉どおりにマンスは己を正当化し、ときには転げ回るほど必死に目的へと突き進む。残酷で不条理な物語を、全編に充満したエネルギッシュでバカバカしい“笑い”が包み込んだ。

世界情勢が緊迫し、人々の生活が困窮の一途をたどるなか、パク・チャヌクはなぜコメディ映画に挑んだのか。来日した本人に尋ねた。

『しあわせな選択』予告編

「コメディのポテンシャル」を開花させる

原作はアメリカ人作家ドナルド・E・ウェストレイクの犯罪小説『斧』。その独創的なストーリーに惹かれたパクは、10年以上にわたり映画化を熱望してきた。

「原作を読んだとき、コメディとしてのポテンシャルがあると直感し、その可能性を開花させたいと思ったんです。マンスの選択や行動が、いかに無謀かつ愚かで、また不合理なものかを強調する喜劇にしたいと思いました」

小説の静かで不条理なユーモアを、パクは映画ならではの活発なコメディに変換している。登場人物が奇妙な状況に置かれるシチュエーション・コメディ風の笑いや、妻のミリ(ソン・イェジン)をめぐるスクリューボール・コメディめいた軽妙なタッチだ。

なかでも重責を担ったのは、身体を張ったコメディ演技で新たな一面を見せたイ・ビョンホンだ。パクは、平凡なサラリーマンであるマンスを「殺人の初心者」と呼ぶ。「彼が右往左往し、うろたえ、ためらい、不器用に人を殺そうとするところから“コメディ”が生まれるのです」

『しあわせな選択』 © 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

しかしながら、あのパク・チャヌクがただ気楽に見られるコメディを作るはずがない──。

「映画における“笑い”には、ときに怒りや憎しみといったネガティブな感情を和らげ、観客を安心させるような機能があります。けれども私が目指したのは、そういうものではなく、むしろ映画をさらに鋭く尖らせてくれる“笑い”でした」

小説を映画化するにあたり、パクは物語上の要素をいくつも拡張している。なぜなら原作が発表された1997年当時より、現代のグローバル資本主義はさらに苛烈なものとなったからだ。失業者が生活を維持することはより困難に、マンスのような立場の人間が受けるプレッシャーはより大きくなっている(彼らは節約のため、Netflixすら解約しなければならない)。

『しあわせな選択』 © 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

また、アメリカから韓国へ舞台を変更したことで、家父長制の痕跡が残る韓国社会のリアリティも作品の背景に刻み込まれた。パクは海外メディア(*1)のインタビューで、「マンスが味わう“男らしさ”の問題には韓国の文化が影響しています。“ひとりの男として、夫として、父親として、責任を取るためならばなんでもする”という考え方です」とも話している。

脚本を書きながら、映画のトーンを確信した場面があったという。息子のシウォンがある事件に関与して警察へ連行されるシーンで、マンスは息子の肩をつかみ、「お前は巻き込まれたんだろう?」と口にするのだ。「どうして僕が巻き込まれるの?」という息子に、 人知れず殺人に手を染めているマンスは言う。「ひとりで罪を犯すのは孤独で怖いことなんだ……パパにはそんな気がする」

執筆当時をパクはこう振り返る。「マンス自身は(罪を犯す恐怖について)確信に満ちているにもかかわらず、息子から変に思われるのではないかと思い、とっさにごまかすのです。このセリフを書きながら、『面白いな、こういう映画になるんだな』と感じました」

パク・チャヌク

「コメディでなければならなかった」──喜劇の必然性

「この映画はコメディでなければならなかった」とパクは言う。かくもシリアスな問題を扱うからこそ、「社会を風刺する物語として、ユーモアが絶対に必要だと直感した」と。

すなわち、これは“笑い”によって世界の現実を解剖する試みなのだ。

「資本主義システムの不条理、失業者への憐れみ、失業した本人たちの怒り。“笑い”によって、そうしたものをより強烈に描くことができると考えました」

象徴的なシーンが、マンスと最初の標的であるボムモ(イ・ソンミン)、その妻アラ(ヨム・ヘラン)が繰り広げる大立ち回りだ。アクションと笑いによって作品の本質を表現した屈指の名場面で、海外でも「スラップスティック・コメディ的」と評された。

『しあわせな選択』 © 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

初めての殺人に及ぶマンスは、作業用の胴付長靴を履くなど入念な装い。ところが予想外の事態が勃発し、マンスは現場から逃げ出すほかなくなる。

「マンスが必死に逃げる様子をワイドアングルで撮ってみると、作業ズボンでひょこひょこと走っている姿がとても滑稽に映ります。けれども、そこにはいくつもの感情が同居しているのです。恐怖と緊迫感、なぜこんな目に遭うのかという憐れみ──これらすべてが分離することなく、ひとつになって表現されることが大切でした」

『しあわせな選択』 © 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

自らの“笑い”に影響を与えたものは、喜劇王バスター・キートンやチャールズ・チャップリン、そして意外にも「ルーニー・テューンズ」だという。

「純粋な悲劇や、ただひたすら悲しいだけの状況はそうそうありません。とてつもなく悲しい出来事でさえ、見方によっては笑えてしまうことがある。だからこそ、物語の悲劇性やサスペンスから決して切り離せないユーモアを追求したいと思いました。悲劇とサスペンスを際立たせる装置としてのコメディを撮りたかったのです」

AIが照らす「すべてが無駄になる」予感

もともと本作『しあわせな選択』は、パクのハリウッドデビュー作として企画が動き出していた。ところが予算の調達が難航し、実際の初英語作品である『イノセント・ガーデン』(2013)が先に動き出すなど、あらゆる事情が重なったことで実現が見送られたという。

10年以上の遅延は、結果的に脚本の熟成と深化をもたらした。また、イ・ビョンホンがマンス役にふさわしい年齢となったことで、パクと『JSA』(2000)以来25年ぶりの長編作品で本格タッグを組むことにつながってもいる。

『しあわせな選択』 © 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

最大の変化は、時代の移り変わりを受けて、原作にない「AI(人工知能)」の要素を取り入れたことだ。マンスたち人間が職を失い、過酷な再就職の椅子取りゲームに身を投じるなか、彼らを雇用するはずの企業はAIの可能性を模索している。

AIと雇用の問題について、パクは「アメリカで映画の準備をしていた頃はさほど深刻な問題ではなかった」という。「けれども韓国映画として作りはじめたときには、すでに『扱わなければおかしいもの』になっていた」と。

「これほど努力し、道徳的な堕落を引き受けて手にした仕事さえ、マンスは再び失うかもしれない。すべての努力が無駄で、虚しいものだったとしたら? 家族を守るためにしたことで、家族との距離が生まれ、おまけに仕事もすぐに奪われてしまうとしたら? 『いったい彼は何のために?』という疑問を示唆しておきたかったのです」

パク・チャヌク

ストリーミング&AIが台頭する映画業界の未来

劇中には、かつて製紙会社で働いていた男が、マンスに向けて「製紙は一種の芸術」なのだと熱い思いを語るシーンがある。ところがその現場に彼らのポストはなく、いっぽうで業界にはAIが入り込んでいる──。この構図は製紙業界だけでなく、映画業界におけるストリーミングサービスの台頭やAIの脅威を思わせるものだ。

観客の劇場離れ、コストの高騰、人材の流出、そして投資の減少。韓国映画界の厳しい現状を目の当たりにしているパクは、「映画界の仕事がAIに奪われていくことは避けがたいと思います」と述べ、業界の未来を予想する。

「いずれ、全面的にAIで作られた映画が登場することでしょう。観客がその美学に慣れ、子供たちがAI映画を見て育つ時代が来れば、それらは非常に親しみやすいものとして人々に受け入れられていく。そんな未来を想像すると恐ろしい気持ちになります」

同時にパクは、現在の映画がなんらかのかたちで残り続けることも信じている。机に置かれたカップを見つめながらこう続ける。「工場で型押しされたティーカップを安く買って使っている人もいれば、職人が精魂込めて作ったティーカップを使いたい人もいる。それと同じで、人間の力だけで作られた映画も必ず残るはず」と。

もっともその未来は、“映画”にとって明るいものとは言えない。

「映画は誕生以来、つねに大衆の娯楽として存在してきました。高級化し、ごく限られた人たちだけが楽しむ文化になってしまうのは決して望ましいことではありません」

パク・チャヌク

参考資料

*1──"No Other Choice" Writer/Director Park Chan-wook on His Killer Instinct - The Credits https://www.motionpictures.org/2026/01/no-other-choice-writer-director-park-chan-wook-on-his-killer-instinct/
*2──"The diabolical genius behind hilarious Korean thriller ‘No Other Choice’ - The Washington Post https://www.washingtonpost.com/entertainment/movies/2026/01/05/no-other-choice-park-chan-wook/
*3──Funny Papers: Park Chan-wook on how Looney Tunes influenced the cartoonish comedy of No Other Choice - A Letterboxd Magazine
https://letterboxd.com/journal/park-chan-wook-no-other-choice-interview/

パク・チャヌク
1963年生まれ、韓国、ソウル出身。魅力的なキャラクターと境界を超える挑発的な物語、魅惑的なミザンセーヌで韓国映画の新たな地平を切り拓いてきた。そして、『オールド・ボーイ』(2003)で第57回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、『渇き』(2009)で第62回カンヌ国際映画祭審査員賞、『別れる決心』(2022)で第75回カンヌ国際映画祭監督賞と、韓国作品として初めてカンヌ国際映画祭で3回の受賞を果たし、世界的な巨匠としての名声を高めている。その他の主な監督作品は、『審判』(1999)、『JSA』(2000)、『復讐者に憐れみを』(2002)、『もし、あなたなら ~6つの視線』(2003)、『美しい夜、残酷な朝』(2004)、『親切なクムジャさん』(2005)、『サイボーグでも大丈夫』(2006)、『イノセント・ガーデン』(2013)、『お嬢さん』(2016)、「リトル・ドラマー・ガール 愛を演じるスパイ」(2018)、「シンパサイザー」(2024)など。製作を担当した作品に、ポン・ジュノ監督の『スノーピアサー』(2013)などがある。

『しあわせな選択』
3月6日からTOHOシネマズ 日比谷ほか全国公開
監督:パク・チャヌク
出演:イ・ビョンホン 、ソン・イェジン 、パク・ヒスン、イ・ソンミン、ヨム・ヘラン、チャ・スンウォン
配給:キノフィルムズ
PG12
© 2025 CJ ENM Co., Ltd., MOHO FILM ALL RIGHTS RESERVED

稲垣貴俊

稲垣貴俊

いながき・たかとし 海外映画を専門に、評論・コラム・インタビューなど幅広い文章を雑誌・書籍・ウェブなど多数の媒体で執筆・編集。舞台作品のリサーチ・コンサルティングも務める。主な作品に『パンドラの鐘』(杉原邦生演出)や「木ノ下歌舞伎」作品など。