公開日:2026年2月2日

アーティストと文化人類学者が見つめる死──鄭梨愛×金セッピョル「死を肖像する」(小金井アートスポットシャトー2F)レポート

「死」をテーマにした展覧会が東京・小金井で開催中。会期は2月23日まで。

会場風景より、鄭梨愛《祖父》(2013) 撮影:著者

「『死を肖像する』鄭梨愛×金セッピョル 文化人類学とアートの協働がひらく地平」が、東京・小金井アートスポット シャトー2Fで、1月24日より開幕した。

会場風景より、右から、鄭梨愛《傍》(2012)、鄭梨愛《祖父の足》(2013) 撮影:著者

本展は、日本で生まれ育ち朝鮮大学校で美術を学んだ在日コリアン4世の作家・鄭梨愛(チョン・リエ)、2008年に来日し自然葬などを研究している文化人類学者・金セッピョル(キム・セッピョル)による協働企画。2024年に神戸・UMUにて開催された同展を、会場に合わせて、構成し直したものである。

企画の出発点は、日本と韓国における自然葬など、弔いを研究するなかで生まれた金の問いだ。なぜ、現代社会においては死が個人の人生の終わりとして短絡的にとらえられてしまうのだろう。自分の死に備えることや、誰かの死を悼むといった個人化された死と葬儀のあり方の先に、いかにして「死そのもの」を浮かび上がらせることができるのだろうか。

左から、鄭梨愛 金セッピョル 撮影:著者

金は鄭の作品のなかで、学生時代の初期作品である祖父の肖像を描いた作品群に注目した。

在日コリアン1世である、祖父をたずねて描く

2011年に描かれた《ハルベ(祖父)》から展覧会がはじまる。鄭は朝鮮大学美術学科の学生のとき、在日コリアン1世である祖父の家をたずねて、その肖像を描いていた。

「長年疎遠であった祖母が亡くなり、お葬式で5・6年ぶりに会った祖父の老いた姿に、衝撃を受けたんです。そこから祖父の家に通い肖像画を描くようになりました。《ハルベ》は在日コリアンが祖父に対してよく使う、親しみを込めたおじいちゃん」という意味です」(鄭)

「韓国の標準語では、祖父をハルベではなくハラボジと呼びます。朝鮮大学の教科書は朝鮮語にならって作られているので韓国とは違う部分もある。絵のタイトルはハラボジではやっぱり違う。ハルベですよね」(金)

会場風景より、鄭梨愛《祖父》(2013) 撮影:著者

当時暮らしていた東京から横浜まで、祖父の生活空間を訪ねて写真を撮影し、アトリエに持ち帰って描く。鄭は自然な祖父の姿をとらえられるように、時には母親と祖父の会話を聞くなど、気配を消してまるで幽霊のように観察をしていたのだという。

「絵を見ると、梨愛さんの存在を感じます。人類学者も対象と関わるとき、自らの存在を消して観察に徹していた時代もあったけど、相手はこちらを意識して行動している。

あと、神戸の展示の際に背景の布団に注目した人がいて。昔の韓国の人は畳むのではなく丸めていたそうなんです。そのことが自然と描かれているのが面白いですよね」(金)

死の普遍性に、どう近づけるのか

今回の展示企画の際に、金は鄭の全作品から作品を選び展示を構成した。その際に鄭が驚いたことのひとつが、作品の並びが時系列ではないことだったという。

会場風景より、鄭梨愛《無題》(2013) 撮影:著者

「時系列ごとに展示するのがわかりやすいと思っていたんですね。キュレーターは、こちらの描いた文脈に寄り添って展示構成してくれることが多いので、研究者のセッピョルさんだからこそできる展示構成に驚きました」(鄭)

「目的は、死そのものを浮かび上がらせることです。私たちは死の普遍性について考えようとするときでも、誰かの死を出発点とせざるを得ない。でも個人的な悲しみや固有の文脈に囚われすぎると、かえって見えづらくなってしまうものもあると思います。お祖父さんの肖像も、並び替えたり、そこから伝えたいことを抽出したりすることで、誰しもがいつか死んでゆく存在であることを見つめ、死そのものとは何かという問いに近づけるのではないかと思いました」(金)

展示には、1907年に書かれたインドネシアの死と葬儀に関する民族誌や、日常の中で死を準備する新潟の葬儀の事例、また鄭の制作ノートからの言葉などを参照して構成された金のテキストが、肖像と呼応するように散りばめられている。

会場風景 撮影:著者

「様々な地域や時代における死のとらえ方を示すことで、認識の幅を拡げたり、揺らがせてみたいと思ったんです。でも書き方とか手つきは迷いながらでしたね。これは人類学者としての悩みでもあるのですが、誰かの語りや文化を代弁することの難しさがある。今回も勝手に抽出して解釈することへの戸惑いはありました」(金)

会場風景 撮影:著者

描けば描くほど、その人がわからなくなっていく

会場風景より、鄭梨愛《無題》(2011)個人蔵 撮影:著者

展示の中盤、それまではっきりと描かれていた祖父の像が、薄暗い背景に溶け込むようにぼんやりと見えなくなっていく。そのころ鄭は、皺など外側に見える老いを描くことをやめて、祖父の持っている存在感、空気感を描こうと摸索しはじめたのだという。

会場風景より、鄭梨愛《無題》(2014)個人蔵 撮影:著者

「祖父の肖像を描くことで、老いの表象を美化しすぎてしまったかもしれない。健康で若い私がそういった絵を描くことは、傲慢かもしれないと考えるようになりました。

そこから、空気、体温、思想など、形にならないものを描きたくなりました。肖像の概念を拡張しようとしていたんですね。そうすると描けば描くほど祖父の顔がわからなくなっていく。肖像が定まらなくなっていくんです」(鄭)

会場風景より、鄭梨愛《無題》(2014) 撮影:著者

さらに鄭は、過去の祖父や家族写真とともに祖父の肖像を描くこともこころみるようになる。個人の人生のなかにある歴史の果てしの無さを描こうとしていたのだ。

「人が持つ「個人的な歴史」の深遠さをどう描けるかと考えていて、当時はその深遠さを『ひだ』と表していました。人は単純じゃないですよね。描けば描くほど、何枚にもひだが増えて祖父という人間がわからなくなる。肖像を描くことの難しさがありました」(鄭)

死そのものを見つめた先に

会場風景 撮影:著者

展示の最後には、大きな窓に喪輿歌(サンヨソリ)の歌詞が書かれた麻の布がかけられている。1990年代までの韓国では、喪輿(サンヨ)という20人以上で担ぐ大きな輿を使って、棺を土葬する墓場まで行列で運んでいた。そのときに人々に歌われたのが喪輿歌だ。

「大勢で喪輿を担ぎながら、喪輿歌を歌い、泣いたり笑ったりしながら墓場に向かいます。布はサンベ(麻)という朝鮮で死装束として使われてきた布。生前からこの布を織って死装束を用意しておくと、長寿するという言い伝えもあったんです。様々な地域の喪輿歌を抜粋し、死が昇華して窓から拡がっていく形にしたかったんです」(金)

会場風景より、右から、鄭梨愛《那須風景》(2012)、鄭梨愛《那須風景》(2013) 撮影:著者

「セッピョルさんは《那須風景》を見て、喪輿をかつぐ野辺送りの風景をイメージしたそうです。でもこの絵は大学の写生実習で描いたもの。この時私は祖父の肖像について考えていたので、アトリエを出て風景と対峙するときにも、その意識や思考が反映されている。モチーフは違えども、肖像画も風景画も同じラインにあるものなんですよね。セッピョルさんの構成によって、そのことを再認識できました」(鄭)

会場風景より、鄭梨愛 タイトル未定(制作途中)(2015-2016) 撮影:著者

時とともに祖父も老いを重ねて、最期は病気により入院してしまう。鄭は祖父を見舞いながらその姿を描いた。祖父が亡くなり、鄭は当時絵を描くことができなくなってしまった。展示では、未完のまま、しまわれていた絵が展示されている。

会場風景より、鄭梨愛 タイトル未定(制作途中)(2015-2016) 撮影:著者

「祖父というモチーフがいなくなって、喪失感も大きくて、何を描けばいいのかわからなくなってしまったんです。でも展覧会の予定があったので、制作は止められない。

亡くなったあと、祖父の写真や映像を見返すようになり、生前祖父の故郷に母と叔父を連れて両親の墓参りをするホームビデオをふと見返しました。朝鮮籍である私は当時訪韓にはついて行かず、同行した母が代わりにこの映像を撮って来てくれました。祖父の幼少期の記憶や故郷の断片を見て、祖父が亡くなって数か月後、それらをもとに最初の映像作品を制作しました。肖像から個人史に、少しずつ関心が変化していったんです」(鄭)

本展を見て著者が感じたのは、死を見つめることは、生きることをまなざすことなのではないかということ。死への道を進むのが生ならば、鄭が祖父の肖像画を描く時間は、どう生きていくか、その不確かさに触れようとする時間でもあったのかもしれない。展示を見て、生と死について、思いをめぐらせてほしい。

会期中は、関連イベントとして、鄭と金が行った「死と葬儀」のフィールドワークをもとに制作した映像作品上映(2月22日)なども開催される。また、横浜美術館リニューアルオープン記念展「いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年」においても、鄭の参加する《突然、目の前がひらけて》(2015/2025)が展示されている。

荒田詩乃

荒田詩乃

ライター、インタビュアー。市役所、NPO法人、公共ホール勤務などを経て、インタビュー・執筆を行う。畑を耕して野菜を育てるのがよろこび。