公開日:2026年4月28日

レイチェル・ホワイトリードが語る。パブリック・アートのあり方と変わりゆく都市へのまなざし(聞き手:齋木優城)

アーティゾン美術館とともに屋外彫刻作品を制作したレイチェル・ホワイトリード。「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」(国立新美術館)にも出品中のイギリスを代表する現代アーティストにインタビュー(撮影:廣田達也 [*を除く])

レイチェル・ホワイトリード

レイチェル・ホワイトリード(Dame Rachel Whiteread DBE, 1963〜)は、1990年代に「YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)」と呼ばれたアーティストのひとりであり、1993年にターナー賞を受賞。世界各地の美術館での個展のほか、サイトスペシフィックな彫刻作品でも知られる現代芸術家である。昨年夏にアーティゾン美術館のプロジェクトとして、東京・京橋のミュージアムタワー京橋とTODA BUILDINGのあいだに位置する新作インスタレーション《Artizon Conversations》が公開されるなど、日本においても重要な活動を行っている。

今回は、来日中のホワイトリードにインタビューを行い、その作品に象徴的な「ネガティブ・スペース」の成り立ちから90年代のロンドンにおけるコミュニティ、《Artizon Conversations》や「テート美術館 – YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」の出品作、そして最新の展覧会にいたるまで、自身の活動について語ってもらった。

空気をミイラ化する。「ネガティブ・スペース」への関心はどう生まれた?

── あなたの作品は「ネガティブ・スペース」(物体と物体のあいだに存在する空間)をキャスティング(型取り)し、彫刻的なかたちを与えることが特徴的です。まずは、「ネガティブ・スペース」に焦点を当てて制作を始めた背景について、詳しく教えていただけますか?

1980年代にホワイトチャペル・ギャラリーで開催されていたブルース・ナウマンの展覧会に行ったんです。私はまだ駆け出しのアーティストだったので、本当の意味で作品を理解していたわけではなかったかもしれませんが、ナウマンの作品、そして展覧会における体験そのものに魅了されました。その展覧会で見た作品のなかに、椅子の下の空間をかたちにしたような作品があり、私はそれに強く興味をそそられました。

それから、私は美術学校では最初は絵画を、その後に彫刻をあわせて6年間学び、卒業後に自分のスタジオを持ちました。アーティストとして自分なりの表現を模索し始めたとき、まず最初に取り組もうと思ったのが、自分の子供時代の記憶でした。子供の頃、実家にあった衣装だんすの中に入って座っていたことがあったのですが、あのときのあの感覚を実体化したい、と思ったんです。私の母は服を仕立てており、たんすの中にはいつもたくさんの布地がありました。私には双子の妹がいて、いつもふざけて家族から逃げ、衣装だんすに隠れていたのです。その記憶は、私の心の中にとても鮮明に残っていました。たんすの中で感じたその空間の黒さ、暗闇、そして匂い。これをどうにかしてかたちにしたかったんです。そこで、私は似たような衣装だんすを買ってきてその内部を型取りし、表面を黒いフェルトで覆って、濃密な黒い塊のような作品に仕上げました。これが、私が最初に作ったキャスティング作品だと言えると思います。

レイチェル・ホワイトリード

ただ、思い返してみればそれより前、大学の最初の年にキャスティングの授業を受けたこともありました。そこで取り組んでいたのが砂型鋳造(sand casting)です。その授業では砂の中にスプーンを押し込み、そこへ溶けた金属を流し込むことで、窪んだ空間を鋳造しました。すると、そこにはもはや「スプーンらしさ(spoon-ness)」がすっかりなくなってしまいました。これがとても印象的で、合点がいったような気がしたのです。

こうして、いくつかの経験が結びつき始めました。対象に極めて微細な変化を加えることで、その物体を世界に再提示できるのではないかと考えたのです。それは、いわば「空気をミイラ化する(mummifying the air)」ような、あるいは「空気を固形化する(solidifying the air)」ような手法によって、確固たる立体作品を作り出すという試みでした。

レイチェル・ホワイトリード Artizon Conversations 2025 石橋財団アーティゾン美術館 © Rachel Whiteread

日本の石を使った屋外彫刻《Artizon Conversations》の制作

──2025年にアーティゾン美術館のプロジェクトとして、TODA BUILDINGと同館のあいだに設置された作品《Artizon Conversations》もまた、椅子の座面と脚のあいだのネガティブ・スペースをキャスティングしたユニークな公共作品となっています。この作品の制作背景を教えていただけますか?

実際のところ、この作品のプランニングはふたつの理由から簡単ではありませんでした。ひとつ目の理由は、私は物理的に日本におらず、イギリスから制作を進めていたから。ふたつ目の理由は、制作を依頼された時期にはTODA BUILDINGの建物自体がまだ完成していなかったからです。私は図面だけを頼りに、自らの直感を信じて制作を進めるしかありませんでした。コロナ禍の余波が続くなかでの制作だったため物理的な制約が多々あり、そういったことには苦心させられました。

とはいえ、作品の制作自体にそれほど困難を感じたわけではありません。依頼を受けた時点で、自分がなすべきことは概ね見えていました。私自身、40年余り制作を続けてきたなかで、物事にどう応じるべきか、自分を信頼しているという自負があります。東京を訪問したこともありましたし、周囲の環境を把握したうえでこの作品を完成させられるという確信がありました。

レイチェル・ホワイトリード Artizon Conversations 2025 石橋財団アーティゾン美術館 © Rachel Whiteread

── 実際に完成した作品を見るのは今回の訪問が初めてなのですね。完成形を目にして、どのように感じましたか?

とても気に入っています! 最初はもう少し椅子の数を増やしてもいいかとも考えましたが、結果的に現在のかたちにしてよかったと思います。制作は主にZoomを通じて進められましたが、作品の最終レイアウト確認に際してはスタジオ・マネージャーでありインストーラーでもある、信頼できるスタッフが現地で行ってくれました。

── 椅子の下のネガティブ・スペースを鋳造するアイデアは、1995年の《Untitled (One hundred Spaces)》においても樹脂を用いて実践されていました。今回はアイデアをより発展させ、素材には日本の石を使ったと聞いています。

コロナ禍で制作を進めたため、最初の石材選びはコンピュータ上のスウォッチ(素材サンプル)でした。その後、サンプルを送ってもらい、最終的にどの石材を使用するか決定しました。使用した石材はどれも非常に表情豊かで複雑な模様を持っていて、静謐な印象を与えるグレーの石もあり、実際に目にすると石の持つ固体性(solidity)が伝わってきます。様々な石材を組み合わせながら作品の配置を考えることは、とても楽しい作業でした。

レイチェル・ホワイトリード Artizon Conversations 2025 石橋財団アーティゾン美術館 © Rachel Whiteread

公共彫刻と社会の関わり。「場所」の持つ重要性 

── 次に、ホワイトキューブ(美術館などの展示空間)の外での活動について伺いたいと思います。ロンドン・トラファルガー広場に設置された《Monument》(2001)や、ウィーンの《Judenplatz Holocaust Memorial》(2000)など、あなたはパブリック・アートを多く手がけてきました。複雑な歴史や政治的意味が幾重にも重なる公共空間において、ホワイトキューブの外にある彫刻の役割をどのように定義されていますか。 
 
公共空間という場所は、つねに作品とともに成長していくものなのではないでしょうか。私が最初に手がけたパブリック・アート《House》(1993)は、物議を醸し、賛否両論を巻き起こしました。この作品は当時の東ロンドンで起きていた実際の状況を反映していたため、非常に政治的な意味を持っていたからです。当時のイギリスはマーガレット・サッチャー政権下にありました。私は彼女とは異なる政治信条を持っており、サッチャー政権がイギリスの経済と展望を完全にひっくり返してしまったと考えています。

《House》の制作時、作品が設置された通りの一端ではカナリー・ワーフ(*1)が建設中でした。その反対側にこの作品が設置された公園があり、その周辺で貧しい地域のジェントリフィケーションが始まっていました。多くの住民がそれまでの住環境から立ち退きを強いられ、公営団地に移されたほか、戦時中に爆撃されたヴィクトリアン・ハウスの跡地にタワーブロック(高層の公営集合住宅[*2])が建設されてもいました。《House》は、実際にロンドンで起きていた住宅政策や土地計画への政治的な言及でもあったのです。この制作がきっかけで、私は場所が極めて重要な要素であることに気づき、その認識が以降に手がけた屋外作品のほぼすべてに影響を与えています。

レイチェル・ホワイトリード House 1993 © Rachel Whiteread Photo: Sue Omerod. Courtesy the artist and Gagosian

いっぽう、《Judenplatz Holocaust Memorial》もまた、非常に重い歴史的意味を背負った作品でした。制作は困難を極め、心がかき乱されるようでした。当時のオーストリアでは政権交代が繰り返され、自国の歴史から目を逸らすかのように右傾化していたことも覚えています。私はベルリンにも1年半ほど滞在していたことがあり、これらの国で前の世代に何が起きていたのかを痛感していたため、この状況をより身をもって理解できたのかもしれません。この経験から、私は歴史について極めて慎重に思考するようにもなりました。

これまで何度も、特定の事象のための記念碑を作ってほしいという依頼を受けてきました。しかし、私は「記念碑の制作者(memorial maker)」になりたいのではありません。自分自身がその場所を真に理解しなければ、公共的な制作は引き受けることはできないと思っています。

レイチェル・ホワイトリード Judenplatz Holocaust Memorial 2000 出典:CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=480349(*) 

巨大なタワーが崩れ落ちた90年代イースト・ロンドンの風景

── 東京では現在、《Artizon Conversations》のほかにもあなたの作品を見ることができます。国立新美術館で開催中の「テート美術館 – YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」には、東ロンドン・クラプトン地区を撮影した写真作品《A:クラプトン・パーク・エステート、マンデヴィル通り、ロンドン E5;アンバーゲート・コート;ノーバリー・コート、1993年10月》(1996)が展示されていました。この作品は、サッチャー政権下で急激に変化するロンドンの風景をとらえた印象的な作品です。90年代当時、あなたはロンドンの変化をどのように見ていましたか?

私はとても長いあいだ、ロンドンのイースト・エンドに住んでいました。ちょうど、タワーブロックが解体されていた時期がありました。巨大なタワーの建物が、「制御された爆縮(controlled implosions)」と呼ばれる計画的爆破によって文字通り崩れ落ちていたのです。巨大な塵と煙が舞い上がる様子は、抗いがたい興味をそそる光景でした。

当時、私は現場に赴いて、計画爆破前の建物の内部を見せてもらえないかと頼みました。空っぽになった30階建ての建物の中を歩き回り、すべての部屋が同じ構造であるなかで、人々が貼った壁紙や照明のスイッチなど、それぞれの部屋に残された「人間の痕跡(human touch)」の微細な違いを写真に収めました。それは、戦後のロンドンに対するある種の社会批評でもありました。住人同士の交流が生まれるような場所に公営住宅があるほうがずっと幸福だったにもかかわらず、「高層タワーブロックこそが、人々が暮らすべきユートピアである」という考え方が広がっていたことの問い直しです。

「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」(国立新美術館)より、レイチェル・ホワイトリード《A:クラプトン・パーク・エステート、マンデヴィル通り、ロンドンE5;アンバーゲート・コート;ノーバリー・コート、1993年10月》(1996)(撮影:編集部) (*)

私自身もカーペンターズ・ロード(Carpenters Road)に長くスタジオを構えていましたが、この地域もオリンピック・スタジアム建設のため再開発され、いまや当時の面影はどこにもありません。

私は、都市化というもの、そして街がいかに発展し、そこに住む人々がどう変化していくのかということに、ずっと関心を持ってきました。ロンドンのコミュニティはある種、東京と似ているかもしれません。小さな「村」のような地域がいくつも連なり、隣同士が結びつくことで形成されている大きな都市なのですから。

── 確かに、北ロンドンと南ロンドンでまったく雰囲気が違っていますよね。当時のロンドンにはどのようなアーティスト・コミュニティがあったのでしょうか?

私は長いこと、イースト・エンドのダルストン(Dalston)に暮らしていました。この地域はとてもユニークで、たとえばすぐ近くのスタムフォード・ヒル(Stamford Hill)には戒律を厳格に守る超正統派ユダヤ人のコミュニティがいまも続いていたりします。イースト・エンドで私が暮らしていた通りには、少なくとも15以上の国籍の人が住んでいたのではないでしょうか。この多様性がコミュニティにもたらす豊かさはかけがえのないもので、非常にコスモポリタンだと言えます。それゆえに問題に直面するときもありますが、多様な人々が混ざり合った「スープ」のような大きな世界の中で生きることは本当に面白い経験ですよ。これが、ロンドンの大好きなところですね。

しかしいっぽうで、アーティストがある場所へ移り住むと、その後から不動産業者がやってきて、ユニークなコミュニティのすべてを買い占めてしまう傾向も否定できません。現在のアーティストコミュニティは当時とは異なり、南ロンドンのペッカム(Peckham)周辺や、北ロンドンのウォルサムストー(Walthamstow)などにシーンが移っているように思います。法律の改正や家賃の高騰も相まって、若い世代のアーティストコミュニティはロンドンの外側へと広がりつつあります。

レイチェル・ホワイトリード

「女性初のターナー賞受賞者」というラベリング、制作活動のいまとこれから

── 日本では最近憲政史上初となる女性首相が誕生し、社会に大きなインパクトを与えました。あなたが1993年にターナー賞を受賞されたときも、女性初のターナー賞受賞者ということが注目を集めたのではないかと思います。女性初の受賞者というラベリングが、あなたの活動に影響を与えたと思いますか。

正直なところ、私のなかではそれほど大きな意識の変化はありませんでした。人々は口を揃えて「女性初のターナー賞受賞者」と言いますが、私は自分自身を「女性アーティスト」としてではなく、ひとりの「アーティスト」だと認識しています。じつは、私の母もアーティストでした。私の受賞の背景には、彼女たちのような上の世代が、女性がアートの世界でより大きな存在感を持てるよう懸命に努力してきた歴史があると思います。

つねにそのことに言及されるようになったという意味では、女性初の受賞者であったことの影響はあったのかもしれません。しかし、それが私の制作活動そのものに直接関わっているわけではないです。ターナー賞のほかにも、私は幸運にも多くの賞や肩書を授かってきました。しかし、それによって私自身が変わることはありません。私は、ただ私なのです。

レイチェル・ホワイトリード

── 力強いメッセージに感謝します。最後に、現在、そしてこれからの活動の展望を聞かせてください。

いちばんワクワクしているのは、いままさに引っ越しを始めたばかりの新しいスタジオでの制作活動です。この1年半、小さなスタジオでしか制作できていなかったので、アイデアがはちきれんばかりにあるんです。 《Artizon Conversations》を見てもわかる通り、私の作品の多くはとても緻密で長い計画を必要とします。この1年半はプランニングに費やしてきましたが、いよいよ自らの空間で制作を開始し、作品とともに過ごせるのが待ちきれません。

レイチェル・ホワイトリード Artizon Conversations 2025 石橋財団アーティゾン美術館 © Rachel Whiteread

── 先日ロンドンのギャラリー、Hazlitt Holland-Hibbertで開催されていたあなたの展覧会「Rachel Whiteread: on paper」(*3)では、彫刻作品と一緒にドローイング作品を展示していたことが印象的でした。 

私にとってドローイングは、物事をかたちにするための重要な一部であり、決してたんなるテクニカルな図面ではありません。私はたくさんのドローイングを描いてきましたが、それらは彫刻を制作することに対する思考や感情に近いものだといえるかもしれません。

たとえば、私はベッドにまつわる作品を描いてきましたし、多くの水彩画、独立したドローイングとなるようなものも描きました。また、彫刻に関するドローイングや、パピエ・マシェ(Papier mâché、紙を原材料とした張り子)を用いて、対象物の上にキャスティングして描くものも制作しています。そのため、それらドローイングは立体的なものでもあります。私が描くドローイングは何か具体的なものを再現描写するものではなく、私が思考している形態から抽出された抽象的なものなのです。

「Rachel Whiteread: on paper」(Hazlitt Holland-Hibbert)会場風景 撮影:筆者(*)

今後は、ブリュッセルの現代美術館で展覧会を予定しています。この展覧会では、美術館のコレクションからドローイングを選び、それを私自身のドローイングや彫刻と組み合わせる実践を行う予定です。このようなコラボレーションは私にとっても新しい試みなので、楽しみですね。

*1──カナリーワーフは、ロンドン東部に位置する再開発地区。もともと港湾地区であったが、1980年代のサッチャー政権下で進められた再開発プロジェクトにより巨大な金融街へと発展した。現在では、HSBCやシティグループといった世界的な大手銀行が拠点を構える超高層ビル群が立ち並ぶほか、国際的な投資の対象としても重要な地域となっている。Kollewe, J. (2015). Canary Wharf timeline: from the Thatcher years to Qatari control. The Guardian. https://www.theguardian.com/business/2015/jan/28/canary-wharf-timeline-london-building-docklands-thatcher
*2──第二次世界大戦後の深刻な住宅不足を解消するために政府が主導して建設した高層の公営集合住宅のこと。1950年代から70年代にかけて労働者階級を中心に提供され、老朽化が進む昔ながらの低層住宅に代わる住まいとして多く建設された。時間の経過とともにずさんな設計やメンテナンスの不足などの問題が表面化し、都市の再開発のなかで計画的な立ち退きが行われるなど現在その数は減少傾向にある。
De Castella, T. (2020). Tower Blocks: the Ups and Downs of High-Rise Living. BBC News. https://www.bbc.co.uk/news/extra/miev6i55we/tower_blocks_ups_downs_high_rise
*3──https://hh-h.com/exhibitions/43-rachel-whiteread-on-paper-with-related-sculpture/

齋木優城

齋木優城

齋木優城 東京藝術大学大学院美術研究科芸術学専攻修士課程およびGoldsmiths, University of London MA in Contemporary Art Theory修了。国立新美術館学芸課研究補佐員、Avant Arteなどを経て現在はThe Chain Museumが運営する「Gallery 舞台裏」キュレーター。