SIDE COREインタビュー:美術館を拡張し、能登と人々をつなぐ。「道は死んでいくけど、新しく生まれてもいる」(聞き手:鈴木沓子)

10月18日から2026年3月15日まで、石川・金沢21世紀美術館でSIDE COREの個展「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」が開催されている。美術館内に「道」を通し、美術館の中央部を無料開放するなど、大胆な試みの背景にある思いとは(撮影:北原千恵美 [*]を除く)

左から、西広太志、松下徹(ともにSIDE CORE)

グラフィティやスケートボードなどストリートの文化に立脚し、縦横無尽な活動を続けてきたSIDE CORE。路上から都市を注意深く観察し、社会問題を可視化させ、日常の風景を異化する作品やプロジェクトの数々は、「中心から離れた場所のコア」という意味を持つコレクティヴネームをまさに体現している。

金沢21世紀美術館で開幕した大規模個展「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」は、SIDE COREの基軸であるストリートカルチャーのルーツへの向き合い方を再定義する試みでもある。それは災害や戦争などの危機を前にアートは何ができるのかという問いに対するひとつの回答としての現在地でもある。ここでは開幕直前に行ったインタビューをお届けする。SIDE COREのアトリエを訪れ、松下徹と西広太志に話を聞いた。

*本展のレポートはこちら

震災後の能登半島で目の当たりにした衝撃的な光景

──今回の個展はどのような経緯で始まったのですか。

松下徹(以下、松下) 美術館側から提案をいただきました。でもその前段があって、当初は最終的にこういう展示になるとは思っていなかったですね。

最初のきっかけは、2024年1月の能登半島地震だったと思います。地震が発生したとき、能登や金沢にいる人たちが心配になって連絡していました。すぐにボランティアに行こうかと考えたりもしましたが、当時は石川県の知事が「能登への不要不急の移動は控えてください」と繰り返し訴えていた時期でした。主要道路である「のと里山海道」に崖崩れや地滑りで寸断した箇所が多く、緊急車両と住民の車が優先だったので、とても現地に入れる状況ではなかった。

その頃に、今回の展覧会の担当学芸員である髙木(遊、金沢21世紀美術館)くんに電話したら「こちらは大丈夫です。でもこれをきっかけに何かしたいと思っているから改めて相談させてください」と言われたんですよ。当時、金沢21世紀美術館は天井のガラスが落ちたりして閉館になっていたんですよね。その後、髙木くんから連絡がきて「能登半島地震を考える自主企画の展覧会(「Everything is a Museum」)を立ち上げるので参加してほしい。でもまず一緒に能登に行きませんか?」と声をかけてもらいました。

能登半島地震の発生を受けて本展担当学芸員の髙木遊が自主企画し、2024年6月に開催された「Everything is a Museum」では、金沢市内の様々なスペースを使って展示やイベントを行った。SIDE COREは映像作品《new land》(2024)を発表 Photo: Yusuke Maekawa(*)

西広太志(以下、西広) 僕たちは2023年に「奥能登国際芸術祭」に参加したり、その前から能登や金沢を訪れていたから、震災が起きてからもずっと気になっていました。学芸員である髙木くんは、自分が所属する金沢21世紀美術館が被災して、当事者としてパブリックなものの危機を感じていたと話していました。

松下 振り返るとSIDE COREは、東日本大震災がきっかけでスタートした部分が大きかったんです。社会基盤が崩れていくなかで、いかにインディペンデントに活動していくかを考えたときに、ストリートアートの手法や姿勢は有効だと考えました。厳密には能登半島地震と東日本大震災を比べることはできないけれど、危機のときこそすぐ動くべきだと思っています。

SIDE COREが2023年の「奥能登国際芸術祭」で発表した《blowin' in the wind》。本展会期中は、ラポルトすず (珠洲市多目的ホール)の庭に展示されている 撮影:編集部(*)

──震災後、実際に能登半島を訪れていかがでしたか。

松下 まさに"百聞は一見に如かず"でした。特に印象的だったのが、輪島市の鹿磯漁港です。震災前は海だった場所に、水深5. 5メートル、海岸線200メートルの海底がせり上がって陸地が誕生していた。もともとは海中にいた貝や海藻などの海産物が死んで真っ白になっていて、まるで海底の環境そのものが丸ごと化石になってしまったような光景が広がっていました。能登半島地震による地質変化で、新しく陸地が生まれていたんです。多くの民家が被災した町並みからも震災のインパクトを感じましたが、それとはまた違った衝撃を受けました。あんな景色はこれまで見たことがありません。

松下徹

西広 それから、能登半島の日本海側の地域にある、珠洲と輪島をつなぐ国道249号線が衝撃的でした。もともと断崖絶壁にあった道なのですが、震災時の崖崩れを受けて土砂でほぼ埋まってしまい、道路もトンネルも寸断されていたんです。でも救急や復興のための緊急車両や自衛隊を通らせるために道を開いてつながないといけないから、隆起した地面の上に新しく道を作っているんですよ。新しい道路の下にはトンネルが埋まっていたり、もともと海だった場所も続いていたりすると知って、なんとも言えない感覚がありました。

西広太志

松下 まさに「道は死んでいくけど、同時に道は新しく生まれてもいる」という事態を目の当たりにしたよね。これは記録しないといけないと思って、隆起した陸地を撮影したり、鳥笛を吹いて鳥を呼んだり餌付けをしたりするパフォーマンスの記録映像を制作しました。それが、展覧会のヴィジュアルでも使っている《new land》です。

SIDE CORE new land 2024 © SIDE CORE(*)

「道」は生きていて、つねに動いている

──展覧会のタイトルは「生きている道、生きるための場所」ですが、ここでいう「道」やSIDE COREにとっての「ストリート」は現在どのように定義していますか。

松下 僕らは今回「道路=異なる場所同士をつなげるもの」と再定義しました。これまでの経験も踏まえて思うのは、「道」って変わってしまうものだということなんですよ。「道」は、まずは「路地」や「道路」を指す言葉で、物流や移動のための交通空間でもあり、公共空間でもあるけれど、たとえば「生きる道」など哲学的な意味にも使われるし、さまざまなレイヤーを持っていて、複雑に姿を変えていくものですよね。

東日本大震災の被災地に行ったとき、工事で迂回しなくてはならず、毎日違う道路を通っていたことがありました。それは都内も同じですよね。日本はとくに自然災害が多いから道は壊れやすいし、街や集落から住民がいなくなれば、廃道が生まれてしまいます。だからこそ、道は固定されたものではなく、生きていて、つねに動いているものだという考えが出発点としてあります。

西広 僕らは、あちこち移動しながら場所からインスピレーションを得て作品を作ることが多いので、道と移動はつねにセットな部分があります。リサーチはほとんど旅みたいだし。

珠洲市でのリサーチの様子(*)

松下 東日本大震災のときに、都市がいかに地方によって生かされているかということを知ったのも大きいです。それ以降、ほかの地域にも興味が出てきて、あちこち遊びに行ったり、地域のアートプロジェクトに参加したりするようになったのですが、都市が地方の資源を搾取するような構造は、レベルの差はあれ、どこにでもあるんですよね。東日本大震災の復興の過程では、その構造をもう一度踏襲してしまうことも少なからずあったと思いますが、そういう意味でも、ローカルのアートムーブメントに焦点を当てた「Everything is a Museum」に参加できたことは、よかったです。金沢はアートスペースが多いけど、美大出身ではない人たちによって運営されている場所を知れたのも驚きました。

──土木や建築をストリートの視点で切り取った《rode work 》(2017〜)が今回の展覧会でも展示されますが、まさにそうした日常生活では見えづらくなっている社会構造や都市と地方の不均衡を可視化させた作品だと感じました。

松下 夜間工事用の照明ライトを使った映像と立体の作品ですよね。ここで使った機材は仙台銘板という仙台の会社のライトです。東日本大震災の復旧工事をきっかけに全国的に使われるようになって、東京でも使われているのですが、ライトの中に電波時計が入っていて、全国各地どこに設置されていても光が同期する仕組みになっているんです。東日本の電波時計の発信地が福島にあるので、渋谷の工事現場を照らす光は、東北の復興現場の光とつながっています。これは東京と福島の関係性と同じで、僕らはそれと同じことが金沢と能登半島にも言えると思っています。東京にいると福島も能登も遠い場所に見えるけど、工事現場から路上の視点に立つと、東京と福島が地続きで見えてくる。福島や能登の問題は、地域住民だけの問題ではなくて、自分たちの暮らしとどこかで必ずつながっています。

「Living road, Living space /生きている道、生きるための場所」会場風景より、SIDE CORE《rode work》(2017-) 撮影:編集部(*)

ストリートカルチャーは道路と移動の歴史のうえにある

西広 今回の展示では、自分たちの日常生活や東京と能登の接続を探しに行くという作品として、もう1本、新作の映像作品を発表する予定です。能登半島地震の復興ボランティアで偶然出会った役者の方を中心に、僕らと一緒に東京から珠洲まで車で移動しながら撮ったロードムービー的な映像作品です。

松下 美術作品なので映画とは違うのですが、現実と想像が入り混じりながら、日本における戦後の道路史をたどるような作品です。戦後、日本が「土木大国」と言われるゆえんにもなった地域を旅しながら撮影しました。自分でも早く完成が見たいです。

「Living road, Living space /生きている道、生きるための場所」より、SIDE CORE《living road》(2025)展示風景 撮影:編集部(*)

──能登の復興の遅れが問題になったとき、災害時の道路啓開計画(*1)が俎上に上がりましたが、実際にどんな道路なのか想像が追いつかなかったので、移動の様子を収めた記録映像はアーカイヴとしても意味を持ちますね。

松下 金沢から能登半島に行くときって、本当に1本の道をずっと走って行くんです。まず、のと里山海道という海沿いの道をまっすぐ走って、山の中に入っても、ひたすらまっすぐ走って、やっと珠洲の町に出る。道と移動時間がすごく象徴的な街なんですよね。その道路が震災でガタガタになってしまったことも踏まえて、道路が持つ意味合いが大きいエリアだと思います。

西広 僕たちが初めて能登に行ったのは2018年で、今回ゲストアーティストで参加してくれている細野晃太朗が地域おこし協力隊のようなかたちで現地に住んでいたので、それで遊びに行ったんです。そのときも僕らは道を知らないからすごく狭いトンネルを通って、時間もかなりかかって。最初に受けたその印象もでかかったですね。

松下 Google Mapを頼りに山道を歩いたら、帰れなくなったこともあったよね(笑)。

西広 一言で「道」と言っても本当に色々なんですよね。僕はGoogle Mapで「Unnamed Road(名前のない道)」と表示されている道にも関心があって。山道に入ると、たまに地元の人たちが生い茂った草木を踏み潰したりして作られた近道ってありますよね? あれです。誰かが何度か歩いたり、アスファルトで舗装されたりすると道として認識されてマップに掲載されるけど、まだ“道未満”の道は「Unnamed Road」と表示されるんです。

松下 欧米だとどんなに小さな道でも一個一個ちゃんと名前がついていたりするけど、日本のGoogle Mapだと、ほぼ匿名の道みたいなものが全国的に現れては消えてなくなっている。地図上で記載されているのに、実際に行けない場所も山ほどあるんですよね。

2024 年度の能登半島へのビジティングプログラムの様子(*)

西広 いまこうして話をしていて気づいたけど、もしかしたら、道って自分たちで作れるのかもしれないですよね。たとえば山の中の茂みを切り拓いて新しい歩道を作って、その情報がGoogle Map上で更新されれば、道として認識されて、ほかの人も通り始めるかもしれない。誰かがその道を使い続けていけばの話だけど。

松下 そうだね。そうやって新しく生まれる通り道がすぐ「道」になるくらい、日本は私道も公道もものすごく複雑に入り組んでいて、曖昧なものとして存在しているということなんだと思う。

今回作品を制作するうえでも、ストリートアートが「都市の路上」に限定されるのはどうなんだろうなと思うところがありました。というのも、ストリートカルチャーの成り立ちを振り返ると、1920年代にアメリカの農村地帯で巨大な砂嵐の災害が起きて、農民が西海岸へ大移動したダストボウル移民に遡ります。大移動ができた背景には、ニューディール政策によるアメリカ横断道路、ルート66の開通があった。戦後はそこを若者たちが旅をして行ったことで文化がが生まれたり伝わったりしたっていうのがカウンターカルチャーのはじまりでもあるんですよね。

──グラフィティが社会基盤の崩壊やコミュニティの危機から生まれた背景を考えると、ストリートアートは、必ずしも「都市の路上」に起因しないということでしょうか。

松下 1960年代に高速道路法が作られると、富裕層が郊外に移り住んだことで、大都市に移民や貧困層が取り残されて、税収の低下で治安が悪化して街が荒廃していくなかでヒップホップやグラフィティが生まれた。つまりストリートカルチャーは道路と移動の歴史のうえにあると思うんです。それを自分たちがどう解釈できるのか、改めて考えました。

──東日本大震災の課題はいまなお残るいっぽうで、国内では交通インフラの老朽化で道路が文字通り壊れ始めています。またストリートアートも都市や情報空間の変化とともに多様化しているなか、今回の会場となる金沢21世紀美術館は、どのような場所としてとらえていますか。

松下 色々な意味ですごく特殊な場所だと思っています。年間200万人もの来場者が訪れる観光地なんですよね。全国のミュージアムでも第5位の来場者数(*2)とかで、観光のルートに組み込まれていて、旅の途中に美術館を訪れる人も多いことを考えると、展覧会を見ることが豊かな体験になってほしいし、ここからさらなる旅につながってほしいという思いがあります。

今回自分たちも最初おそるおそる珠洲を訪れたのですが、いまは宿泊所やレストランも開いてきていて、芸術祭も再開の準備が議論されている状況で、現地の人たちからは「そろそろ能登に観光に来てほしい」という声を多く聞きました。だからこの展示では能登半島に旅をしに行く物語を提示したい。SIDE COREによる能登への訪問プログラムも企画しています。

やっぱりストリートカルチャー、主にグラフィティの面白さって、街やコミュニティや状況そのものに介入して、単純な道が表現や思考をする空間になったり、自分が関わっていく空間になったりしていくことだし、それを偶然見かけた人にも何かしら派生していくものがあればいいなと思っています。路上という公共空間で表現することで、ひとりの人間がやったことが、いろんな人たちに伝播していく、というのがストリートカルチャーのおもしろいところじゃないですか。

《スイミング・プール》の地上部も無料解放。美術館内に「道」を通す試み

──展覧会にゲストアーティストとして参加しているスティーブン・ESPO・パワーズはグラフィティの出自を持ちつつ、ローカルコミュニティに広く開いた作品を制作してきたアーティストですね。

松下 ESPOは今回、 珠洲の文房具屋だった建物の壁に に10m以上もの大きな壁画を描きました。 制作中は街の人たちが次々声をかけたりしていて、わからなさも含めたうえでの芸術を通じた対話が生まれていたのがよかったですね。この壁画はどこかシュールだけど、描き手の気持ちがこもっていて、ESPOの作品としても特殊なものだと思う。

西広  「長靴は泥出しのボランティアの人の姿を描いているんじゃないか」という解釈をしてくれた町の人もいました。おそらくESPOが新しい長靴を買ったばかりだったから、それが気に入って描いたのだと思うけど(笑)、地元の人たちは、ポジティブに受け止めてくれたと思います。

スティーブン・ESPO・パワーズが珠洲市で制作した壁画 撮影:編集部(*)

松下 これは偶然だけど、ESPOが壁画を描き終わった日は、土砂災害発生からちょうど1年の日だったんですよね。制作が押してスケジュールを延長したら、完成した日の朝、みんなが黙祷をしていて知ったんです。ESPOは普段は作品に日付を書きませんが、この壁画は片隅に日付を入れていました。成り行きで筋道が作られていく、みたいな体験をしていますね。

──美術館内ではスケートパークをつくるなど、かなり大掛かりな展示になりそうですね。

松下 今回僕らは美術館内に「道」を通して、展覧会場の一部のエリアを無料ゾーンとして解放します。普段は無料で入ると外側のガラス窓沿いをぐるぐる周れるだけなのですが、美術館の真ん中を突っ切って通れるようにしたんです。これによって来場者もスタッフもだいぶ周りやすくなったと思うし、来場者の方は入場料を払わなくても、恒久展示作品の《スイミング・プール》(レアンドロ・エルリッヒ)の地上部にアクセスできるようにもなるので、子供から大人までたくさんの人に来てほしいです。普段は解放されていない屋上のレベルまで上がれる作品もあります。

無料ゾーンは予測しない出来事が起こっていく空間として考えていて、森田貴宏さんがスケートパークを作ったり、美術館の壁面 にはESPOが壁画を描きます。

西広 美術館内にスケート用のボウルのようなものが登場するんです。スケートランプは時々美術館の展覧会に登場するけど、スケートボウルが設置されるのは初めてかもしれない。ほかにも(細野)晃太朗さんが美術館内でギャラリーのようなスペースを運営したり、音楽イベントも開催していく予定です。

「Living road, Living space /生きている道、生きるための場所」より、森田貴宏《PLAZA》(2025)会場風景 撮影:編集部(*)

──さらっと紹介されましたが、実際それらの企画を実現するには、許可取りから事務的な手続きまでかなり骨が折れる行程だったのではないでしょうか。

松下 そうですね、僕らは「こんなことをやりたい」と話しただけで(笑)、実際は、担当学芸員の髙木くんや美術館のみなさんがかなり頑張ってくれたことで実現できたプロジェクトです。とくに無料ゾーンの設定に関しては、通常は有料の《スイミング・プール》の地上部に会期中は無料で入れるようになるので、それ伴う様々な運営面での変更に関しては美術館内だけで判断できず、最終的には市長が決裁したと聞きました。

僕らとしては、「美術館を拡張する」ということにともに取り組めたこと自体が嬉しかったです。今後もし災害が起きたら、美術館も避難所になる日が来るかもしれない。そうした事態を想像して、日頃からアーティストと美術館だけではなく、市民と美術館が関係性を広げてみたり、一緒に何ができるのか考えることは大事ですよね。

──アーティストやギャラリストなどが中心になって立ち上げたアートフェア「EASTEAST_」が今年も開催されますが、SIDE COREは立ち上げに関わっていましたね。これも美術館やギャラリーをある意味内側から拡張していく実践だと思いました。

松下 そうですね。美術館やアートマーケットの制度への問題意識はもちろんあるけれど、そこで起こっていることの実情をちゃんと知って、自分だからできる提案をしたり、行動を起こして、参加しながら可能性を広げていく必要を感じます。こういう制度って強固だから外部からの力では動かないと思うので。ただ、アート作品として何かを表現するときは、何かしらユーモアとか遊びの感性を大切にしています……という話でいいのかな(笑)。

西広 たぶん(笑)。

*1──大規模な地震などの災害発生時に、緊急車両の通行ルートを確保するため、道路上の瓦礫撤去や放置車両の移動などの最低限の作業を行い、救援ルートを切り開くための事前準備などを定めた計画のこと。能登半島エリアを含む北陸地方整備局だけが道路啓開計画を策定していなかったことが問題になった。

*2──2023年度時点。民間調査会社調べ

「Road to Noto」オリジナルグッズ

「Living road, Living space / 生きている道、生きるための場所」の開催にあわせて、参加アーティストたちによるオリジナルグッズを制作。なかには能登の炭や塩など、現地の素材を活かしたプロダクトも含まれる。売上から製造原価・経費を除いた収益は、すべて「Road to Noto」プロジェクトの活動資金に還元される。金沢21世紀美術館ミュージアムショップのほか、オンラインショップでも販売中。

オンラインショップ:https://kurkku-alt.jp/collections/road-to-noto

SIDE CORE

2012年より活動を開始、東京都を拠点に活動。メンバーは高須咲恵、松下徹、西広太志。映像ディレクターは播本和宜。個人がいかに都市や公共空間のなかでメッセージを発するかという問いのもと、ストリートカルチャーの思想や歴史などを参照し制作する。ときに他ジャンルの表現者を交えたプロジェクトとして、 都市の死角や隙間となる場所で多彩な作品を展開。近年の展覧会に「[MOU22] SIDE CORE 展|コンクリート・プラネット」(2024年、ワタリウム美術館+屋外、東京)、「百年後芸術祭」(2024年、千葉、木更津市/山武市)、「第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」」(2024年、横浜市)、「山梨国際芸術祭 八ヶ岳アート・エコロジー2023」(2023年、山梨)、「BAYSIDE STAND」(2023年、BLOCK HOUSE、東京)、「奥能登国際芸術祭2023」(2023年、 石川、珠洲市) 、「rode work ver. undercity」(CCBTアート・インキュベーション・プログラム)(2023年、目黒観測井横 空地)、「六本木クロッシング2022展:往来オーライ!」(2022年、森美術館、東京)、「Reborn-Art Festival」(2022 年、2019年、2017年、宮城、石巻市)、「水の波紋展2021」(2021年、ワタリウム美術館、東京)

鈴木沓子

鈴木沓子

すずき・とうこ ライター・翻訳者 新聞社で記者をつとめた後、バンクシーとアートアクティヴィズムの在野研究者として作品解説や論考を多く手がける。企画・編集・執筆を手がけた『バンクシーとは誰か?【完全版】』(マガジンハウス)、訳書に『Banksy’s Bristol: HOME SWEET HOME【日本語版】』(作品社)、『海賊のジレンマ -ユースカルチャーがいかにして新しい資本主義をつくったか』(フィルムアート社)、『バンクシー:壁に隠された男の正体』、『バンクシー・イン・ニューヨーク』、『BANKSY YOU ARE AN ACCEPTABLE LEVEL OF THREAT【日本語版】 』、『絵本 バンクシー』(パルコ出版)ほか多数。