公開日:2026年1月20日

相模原で秘めやかに起こるアートプロジェクト「SUPER OPEN STUDIO」。10年以上続くこのスタジオ公開イベントはいかにして始まり、運営されているのか?

2013年に相模原市の事業としてスタートした「SUPER OPEN STUDIO」。そのユニークな活動の魅力を、スタジオの様子やインタビューを交えながらレポート

「studio HAUSU」内観 撮影:筆者

「SUPER OPEN STUDIO」とは

東京造形大学、多摩美術大学、女子美術大学、桜美林大学など、美術系大学が近隣に点在する相模原で、ひっそりと、しかし長期にわたり行われているアートプロジェクト「SUPER OPEN STUDIO」(以下、「S.O.S.」)がある。読んで字の如く、作家たちが制作の場や倉庫として共同利用しているスタジオを、年に一度、同時多発的に公開するという趣旨のイベントで、2025年も11月に5日間にわたって開催された。複数のスタジオを結ぶバスツアーも行われている。

まず簡単にこのプロジェクトについて紹介しておこう。2013年に相模原市の事業としてスタートしたS.O.S.は、以来毎年オープンスタジオを企画している。2024年には、これまでの活動をまとめた本『SUPER OPEN STUDIO——制作と生活の集合体』(以下、S.O.S.本)も出版された(*1)。展覧会や芸術祭のように明白なテーマが設定されているわけではないこのプロジェクトは、いったいどのようなもので、いかにして10年以上も継続されているのか。本稿では、実際のオープンスタジオの様子をレポートするとともに、インタビューを通してその活動の特色を手短に紹介していきたい。まずは筆者が回ったいくつかのスタジオやスペースを紹介しよう。

Studio Kelcova

Studio Kelcovaは、JR横浜線相原駅からほど近くに構えるスタジオで、2010年にオープンした。間仕切りがないこの空間は、もともと自動車修理工場のガレージだったという。現在スタジオを使用しているのは4人ほど。2025年S.O.S.実行委員会の委員長を務める和田咲良さんもこのスタジオの一員であり、彼女いわく、スタジオの使い方も人によって様々だという。作家によって、自分のスペースに作品を壁がけしていたり、作品をほとんど配さずありのままを見せていたりと、スタジオの見せ方も人それぞれであった。スタジオに入ったとき、まず目に入ったのは入り口に置かれた棚やテーブルと、その上に置かれた大量の画材だった。写真のように、作品展示のための白壁が置かれているとはいえ、あくまでここは制作の場所。「冬は寒くて凍えるし、夏は服なんか着ていられない」というなかなか過酷な環境のなかで、作家たちが手を動かしている情景を思い浮かべてみる。

Studio Kelcova外観 撮影:筆者

8-18

橋本駅から徒歩圏内にある8-18は、S.O.S.に参加しているほかのスタジオとは異なり、カフェ/バーのスペースを併設している。とはいえたんに飲食店というわけではなく、障害福祉サービス生活介護事業所でもあり、障害を持つ人たちと制作を通じて協働している。筆者が訪れた際も、3〜4人がカフェ内の机に向かって絵画や立体などの制作に励んでいた。コーヒー豆の焙煎と販売も行っているほか、陶芸用の窯もあるそうだ。S.O.S.の会期中はAKONITOの展示「Incognito Universes 草むらと宇宙群」が開催されており、野原を思わせる画面作りの絵画が印象的だった。

「8-18」内観 © AKONITO

studio HAUSU

橋本駅西側の住宅街にあるstudio HAUSUもまた、車の整備場として使われていた空間を改修し、2020年にスタートした共同スタジオ。現在は5名の作家が所属している。「ハー」「スー」という呼吸音に由来するというスタジオ名の通り、空気の循環を促す場作りを目指しているという本スタジオは、とても風通しがよい雰囲気だった。スタジオ内には、作家の吉田裕亮さんが自ら蒐集したアートに関する本を紹介している「SUPER ART MARKET」のコーナーが。展覧会の図録から、戦後日本美術の課題を論じた論集など、多様で豊富なラインアップは魅力的だった。筆者が訪れた際は入居者の吉田さんと園田翔子さんが在廊していたが、丁寧でありながら自由にスペースを見せてくれるふたりの姿勢は、温かく親切であると同時に、このスタジオの訪れやすさを体現しているようだった。

「studio HAUSU」内観 撮影:筆者

運営の変遷と成り立ち

スタジオとその様子をいくつか紹介してきたが、ここでS.O.S.の運営の変遷について補足しておきたい。先述の通り、S.O.S.は2013年に相模原市の事業として始まっているが、2015年には参加するスタジオに属するアーティストたちによって設立された「Super Open Studio NETWORK(以下、「S.O.S. NET」)」へ運営が移り、さらに2018年から2025年現在までは、相模原市とS.O.S. NET共同による「SUPER OPEN STUDIO実行委員会」による開催へと、運営母体が移り変わってきた。つまり、もともとは公の取り組みとして始まったものの、その後はアーティスト主導、あるいは行政との協働というかたちで切り盛りされてきたのであり、たんなる市からのトップダウンな管理ではないことがうかがえる。

もっとも「S.O.S.本」で詳しく書かれているように、相模原市がアーティストに働きかけたというより、同じタイミングで何人かのアーティストもすでに合同でのスタジオ公開を検討していたようだ。「三棟や四棟くらいでスタジオ公開を行おうと思っていた」というアーティストの井出賢嗣、山根一晃らのもとに、かねてより市内のスタジオ環境を調査していた相模原市のアートの拠点である「アートラボはしもと」の学芸員・加藤慶の働きかけもあり、参加するスタジオは「あっという間に20棟を超え、そこに在籍するアーティストは100名を超えてしまった」(*2)という。こうしてこの3人らが中心となって、S.O.S.は始動していく。長く続く取り組みには、たんなる労働以上の熱量と愛情をもって支えてきた発起人やキーパーソンがいるものだが、S.O.S.も例外ではないようだ。

「アトリエボイス」内観 撮影:筆者

アートラボはしもと学芸員・加藤慶に聞く、S.O.S.の魅力

では、相模原市の立場からS.O.S.はどのように見えているのだろうか。前述のように立ち上げ当初からS.O.S.に長く携わってきた、アートラボはしもと学芸員の加藤慶さんに話をうかがった。まず、相模原という土地はアートにおいてどのような土壌なのか。

「美術大学が多く、都心へのアクセスも良好でありながら、郊外ならではの環境としてホームセンターも多い相模原は、アーティストが拠点を構え制作を進めるスタジオを持つにはうってつけの土地です。『S.O.S.本』にもたびたび書かれている表現ですが、相模原は『アートの生産地』として大きなポテンシャルを秘めており、S.O.S.の活動はそのポテンシャルの高さを長年引き出してきました。しかし『生産地』という表現の通り、あくまでここは作家たちが日々の生活のなかでアイデアを思いつき、それをかたちにする場所なのです」

S.O.S.は展覧会でもなければ、芸術祭でもない。あくまでスタジオを、文字通り「開く」だけである。たとえば芸術祭では、アートをある種の流行やエンターテイメントとして用い、地域を盛り上げることが求められる。しかしS.O.S.は、地域とそうした関係を必ずしも取り結ぶわけではない。公開されるのはスタジオであり、スタジオは制作の拠点である以上、アーティストの「日々の生活」がいちばんである。なぜなら、些細な日常のなかからしか作品のアイデアは湧いてこないし、「それをかたちにする」制作も進まないからである。

「SUPER OPEN STUDIO」会場風景

こうしてスタジオでは、制作や作品はまだ純粋に作家に属しており、この点においてS.O.S.におけるアートは地域から独立している。S.O.S.は、訪れた私たちに、スタジオという「ケ」を、日常がわずかに盛り上がった「ハレ」の瞬間としてのぞかせてくれる。それは美術を生業とする人にはもちろん、アートに関心がない人々へも広く開かれている。加藤さんは、そんなS.O.S.の魅力を以下のように語る。

「そもそもS.O.S.は、明白なコンセプトや信念によって始まっているわけではありません。アーティストが自主的に運営している共同スタジオが近隣に複数あったことから、何人かのアーティストが連絡網を作るようなイメージで動き出したものです。開催年ごとに目的を擦り合わせることから始まる、アイデアを形成するための試行錯誤が続いているという状況が、組織としての柔軟さや即興性をもたらしていると感じます」

年ごとにテーマが設定されるわけでも、プロジェクト全体を貫く一貫したテーマがあるわけでもない。とはいえ複数人によって運営されている以上、携わる人たちの興味関心や気質は、組織の色として漏れ出していく。どんな組織でも、10年、20年と運営していくことは大変であり、そこにはたいてい、アイデアやインスピレーションが不足し、続けていくための動機づけがなくなっていくという、退屈との戦いという面がある。この退屈さに抗う「柔軟さや即興性」は、組織内の人々の感性からしか生まれてこない。運営自体は属人的ではないながらも、「中の人」たちの創造性や美的感覚が団体の毛色として微細に反映されていくというありようは、とくに経済的な利益を追い求めることを最優先としないアートイベントにおいて、事業継続のための「柔軟さや即興性」の源泉として非常に重要と言えるだろう。

SUPER OPEN STUDIO」スタジオビジット・バスツアーの様子

コンセプトとして、来場者の層として、運営委員やアーティストの自由度として、とても「スーパー」に開かれているように見えるS.O.S.。その10年以上にわたる活動を端的に総括してしまうことは簡単ではないし、まだするべきでもないように思える。近年、地域と密着した芸術祭やアートイベントが増えているが、S.O.S.には、イベントごとがアートを文化資源として対象化することの先にある、秘めやかで豊かな関係とそれがもたらす価値を予感させる。インタビューのなかで、加藤さんは文化というものは「誰のものでもなくなったとき」に、はじめて立ち上がるものだと話していた。もう10年、20年と運営され、関わる世代も移ろっていった果てに、S.O.S.にどんな文化が残っていくのか。その行く末に注目したい。


*1——『SUPER OPEN STUDIO——制作と生活の集合体』は、S.O.S.が活動の初年度からほとんど毎年発行してきた『S.O.S. BOOK』に掲載されたテキストを再編したもの。その内容は、論考やインタビュー、アーカイヴなどであり、論集から、海外向けのパンフレット、はたまた読みて自ら製本する必要があったりと、毎年形式や媒体を大きく変化させている。このテキストでは十全にふれきることのできない詳細なS.O.S.の歴史は、こちらを参照したい。

*2——山根一晃「込み入った器の中で」『SUPER OPEN STUDIO——制作と生活の集合体』(SUPER OPEN STUDIO 2023 実行委員会、2024)、246頁

浅見悠吾

浅見悠吾

1999年、千葉県生まれ。2021〜23年、Tokyo Art Beat エディトリアルインターン。東京工業大学大学院社会・人間科学コース在籍(伊藤亜紗研究室)。専門はアンリ・マルディネ研究、美学、リズム論。Mail: yugo.asami@gmail.com