公開日:2025年12月5日

アートと物語性の不可分な関係への挑戦、System of Cultureインタビュー。写真が提示する「物語たちの断片たち」(聞き手:打林俊)

System of Cultureの個展「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」が東京のMAHO KUBOTA GALLERYで開催中。本展で発表された新作について、小松利光(System of Culture)にインタビュー(撮影:仲井良輔(page blanche) [*]は除く)

System of Culture

2017年に3人組のアートコレクティヴとして結成され、現在は小松利光のアーティストネームとして活動を継続しているSystem of Culture。写真を主な表現の媒体とし、膨大な情報とイメージに溢れる現代社会をメタ的な視点からとらえ、美術史を参照しながら実験的な作品を制作している。

そんなSystem of Cultureの最新作「Pieces of Narratives」が、MAHO KUBOTA GALLERYでの個展「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」(会期:11月12日〜12月27日)で発表されている。本作は31枚の写真によるインスタレーションで構成される。可能な限り作家の主観を排除して制作されたこれらの写真は、鑑賞者自身が紡ぐ物語の断片として並んでいる。これまで伝統的な西洋絵画の静物画を再解釈するシリーズなどを手がけてきたSystem of Cultureが、本展で提示しようしているものはなんなのか。写真史家・評論家の打林俊を聞き手に迎え、その意図を読み解く。【Tokyo Art Beat】

写真に撮れば全部静物になってしまう

こんにち、写真はどのような文脈にあっても物語との不可分な関係を切り結んでいるように思える。それは、かの美術批評家のクレメント・グリーンバーグが言ったように、写真が「透明なメディア」であることの延長ともいえるだろうし、写真がアートから商業、報道に至るまで必要不可欠なインフラメディアであるからだともいえるかもしれない。

その枠組みの中で、写真を表現手段として用いている作家の誰しもまた、イメージと物語の関係から完全に逃れられないだろう。だが、それは現代美術としての写真に課せられたひとつの重要な側面であるともいえる。

2024年にSystem of Cultureが出版した、これまでの作品を網羅的にまとめた作品集『Book 2』を開いてみよう。最初に掲載されている《Still Life Breakfast》は代表作といってもいいものだが、伝統的な西洋絵画の静物主題のような構成を取りつつも、サプリメントと思しき錠剤やエナジードリンクが配置されている。奥にはふたの開いたウィスキーのボトルがあり、わたしたちはその伝統的絵画構成への挑戦とともに、そこから物語を掬い上げてしまう。ページをめくっていくと、ほかにもこのようなデペイズマンともいえる手法をとった作品は多く見られるし、あるいは空に浮かぶ炎や、人間の身体を静物モチーフと同様にほとんどモノのように配した作品もしばしば見られる。ただ、それは物語を鑑賞者の解釈に任せるというよりは、明確な物語の提示がなされている観がある。

System of Culture Still Life Breakfast 2017

そもそも、静物はSystem of Cultureがもっとも重要と考えている主題だが、静物写真の概念拡張がその根底にあるのだろうか。

「自覚的ではなかったけれど、写真に撮れば全部静物になってしまうという考えはあります。また、静物はモチーフを自由に組み合わせること、光のコントロールがしやすいことなど、モチーフの特性によらない表現、実験の基盤であると思っています」

System of Culture I Can Save Myself at Last 2017
System of Culture The Landscape with a Clothes Iron 2021

「物語たちの断片たち」を提示する

そのうえで新作についても話を聞いていきたい。今回の展覧会と新刊の写真集のタイトルは「Pieces of Narratives」。正確を期して訳してみるならば「物語たちの断片たち」となるだろうか。あとでふたたび触れることになるだろうが、「物語」も「断片」も複数形になっている。まず気になるのは、現時点でのSystem of Cultureにとって、物語とはどのようなものであり、本作ではそれをどのように扱っているのだろうか。

「小説や映画、マンガ、アニメなどでは、物語はリニアであることが基本になってくると思うんです。つまり、1から10まで作者が作って、それを鑑賞者が見てみんなが同じ物語を受け取る構造になっている。でも今作では、同じ31枚の写真を見て、鑑賞者それぞれに別の物語が浮かぶような作品を作っています。そのために、物語の構造を分析する『ナラトロジー』という学問分野を参考にし、物語をかたち作る要素を写真に潜ませています。

たとえば、ドゥルーズの『シネマ』という本に『死んだイメージ/生きたイメージ』という話がありますが、『死んだイメージ』というのはコップに入った水と角砂糖があり、そこで砂糖がどれくらいの時間で水に溶けるかということが物理的に計算可能で、物語の分岐がない状態。それに対して『生きたイメージ』はその砂糖水の横に人が立っていたり虫がいたりする。そうすると人が水を飲んでしまうかもしれないし、こぼしてしまうかもしれない。そういった分岐が生まれてくる。今回の作品では、その分岐を作るために、指先や腕など、人の身体の一部を画面に入れてみる、ということなどをしています」

System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」展示風景 Photo: Yuma Nishimura [*]

ここには疑問がないわけではない。たとえば、シクステン・リングボムが『イコンからナラティヴへ』で指摘したように、神や聖人の像そのものを描いたいわゆるイコン画にポーズや背景が付されるようになって以降、西洋絵画では500年以上にわたって物語性は付きものであるし、映画やマンガといったイメージはそもそも連続性がある以上、ストーリー性に基づいているものがほとんどだからだ。ストーリーの中でイメージを解釈する「クセ」はいわばすでに人間のDNAに刷り込まれたもので、写されたものにかかわらず写真にストーリーを求めるのはある意味で自然なことだろう。1枚の写真というのは断片的なものである以上、鑑賞者が同じ解釈、ないし物語を想起するというのはあり得ないのではないか。ここには、作者が発する物語は受け手の解釈を強く縛るものだと考えるSystem of Cultureの意識が垣間見える。

System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」展示風景 Photo: Yuma Nishimura [*]

とはいっても、解釈に幅があることを認めないということではない。

「写真は時間軸がない断片的なものですが、画面の外や前後の時間軸を想起させるという特徴があって、それはムービー(動画)にはないものだと思うんです。ムービーは次にどうなるんだろうと想像する余地があまりなくて、写真はむしろそれに満ちている。これまでも、画面の端に写っている人の生活や隣の部屋はどうなっているんだろうとか、この後はどうなるんだろうと想像させるような絵作りをしていて、今回物語をテーマにする際も、いままでやっていた静物の手法がかなり生かせると思いました」

その考えが今作に生かされているのが、3人の解釈者の存在だろう。文筆家の伊藤亜和、脳科学者の中野信子、アーティストの布施琳太郎、3人それぞれが好きに写真を選択し、そこに短い物語を付けるというものだ。これを行うために、作家自身はイメージを制作するにあたって、自身の物語の提示を極力排除しようとしている。

展示風景より、3人に送られた依頼書 Photo: Yuma Nishimura [*]
展示風景より、中野信子、伊藤亜和が選んだ写真と書き下ろしのテキスト Photo: Yuma Nishimura [*]

イメージはイメージになり得るのか

では、主観が排除された物語の提示はどのように行われるのだろうか。本作を制作するにあたって、System of CultureはAIを利用したという。

「このシリーズで特徴的なのはモチーフやロケーションをAIで出していて、画像生成までAIでやっているので、下絵がほぼAIによってできています」

ところで、わたしが現代社会においてイメージの受け手の過度な想像や期待に対する予防線として乱用されているとたびたび指摘しているのが、「写真はイメージです」という文言だ。写真はイメージ(画像)なのだから当たり前ではないかという穿った解釈もできる不思議な言葉である。だが、頭の中の想像(=イメージ)を画像(=イメージ)にするのがアーティストの仕事だとすれば、今回System of Cultureが挑む方法は作者の想像力や主観の回路を一旦遮断するということなので、まさしく写真は純粋なイメージとなり得るということになる。

System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」展示風景 Photo: Yuma Nishimura [*]

ただ、AIによる画像生成はかなり正確なコマンドを入力しないと理想の画像にはならない。その意味では、キーワードの入力は想像をイメージにするにあたって、ある種の文学的想像力や論理的思考能力が必要となる。その段階で作者の主観との関係はどのようになっているのだろうか。

「ざっくり言うとシニフィエの豊かなモチーフがキーワードになっていて、それらをできるだけたくさん出してそのままAIに入力します。さらにそのキーワードをAIに複数個選択させて、ロケーションも選び、そこからイメージを生成させています。僕が普通に写真を撮ってしまうと、僕の物語になってしまう。その恣意性を避けるためにAIを使っています」

作品集『Pieces of Narratives』より。写真の生成に使われたモチーフが羅列されている[*]

「シニフィエの豊かなモチーフ」とは独特な言い回しだが、意味内容や概念に広がりがあるモチーフということだろう。つまりこれは、固有の概念に縛られるのではなく、AIに豊かなイマジネーションを発揮させるという意味にもつながってくるだろう。さらには、モチーフ出し、ロケーション出し、画像生成と、それぞれの段階も分けているという。

おそらく、表現と主観性の問題をテーマにしていれば制作過程はここで終わり、AI生成画像が提示されることになるだろう。だがここで、それらの画像を下絵としてSystem of Cultureが写真として再制作するという、再度イメージ・メイキングのイニシアチヴの受け渡しが行われている。

つまり、本作は作者とAI、作者と二次的なストーリーメーカーのあいだで絶え間なく往還を繰り返しているのである。やや複雑になってきたが、ではこのイメージの銀河系の中で、作者たるSystem of Cultureはどこに位置することになるのだろうか。

System of Cultureが提示したものはなんなのか?

もう少し深入りしていくならば、「物語(Narrative)」とはなんなのか。これこそが、System of Cultureが本作で鑑賞者に問いかけたいことのように思う。というのは、先に触れたように、本作のタイトルが「Narratives」と複数形になっているところを見るかぎり、今回はひとつの物語の提示がテーマでないことは明らかだからだ。

「物語を生み出す装置として31枚の写真があって、そこからどのような物語が生み出されるかは鑑賞者に委ねられているんです」

System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」展示風景 Photo: Yuma Nishimura [*]

ある意味でそれはイメージの受容行為として当然とも言うべきだが、それを純粋なかたちで作り出そうとすることの意味を考えると、本作に対する興味は俄然増していく。

シーモア・チャットマンは『ストーリーとディスコース:小説と映画における物語構造』において、何が語られるか(ストーリー)と、どう語られるか(ディスコース)を分離して分析する理論を提示している。その分析方法に従えば、System of Cultureは「何が語られるか」を自らの手から離す方法を模索したといえるだろう。「どう語られるか」というのはあくまでそのきっかけとなる何かがなくては成立し得ない。言い換えれば、作家が提示しているのはディスコースの素材であり、「写真はイメージ」ということだろう。つまり、この実践において中心に位置しているのは相対化の試みなのである。だからこそ、これらの作品はあくまで「物語たちの断片たち」であり、そこから3人の他者が物語を紡ぐという相対化によってひとつのサイクルを完了するのである。

System of Culture「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」展示風景 Photo: Yuma Nishimura [*]

ところで、作品の要素を素因数分解していったとき、まず素数としてのモチーフや思考の断片がある。それが1枚の写真=小さな物語を生み出すと仮定してみると、その小さなモチーフの集積としてひとつのシリーズや作品集ができる。その繰り返しがより大きな物語になっていくわけだが、その物語の生み手としてのSystem of Cultureが長期的に目指す作家像や到達地点はあるのだろうか。

「現状では、毎回衝動的に作品を作っていて、こうなりたいからこれを作るという感じではありません。(ヴィレム・)フルッサーのいうところの、チェスのプレイヤーが駒で遊ぶのと同じように、写真家は装置で遊ぶ、という言葉に共感しますし、いいなと感じています」

本人は少しはにかみながら言っていたが、イメージ・メイキングという行為が集積して作家像が形成されていくということはある。それもまたひとつの物語だとすれば、今後どういう展開になっていくのかも楽しみだ。

打林俊とSystem of Culture

System of Culture(システム・オブ・カルチャー)

System of Cultureは2017年に3人で結成したアート・コレクティヴ。現在は小松利光(こまつ・としみつ)のアーティストネームとして継続している。小松利光は1989年東京生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。コレクティヴ結成前、深夜のファミレスで映画やドラマ、SNSの投稿などについての雑談を毎週のようにしていたことがきっかけとなり、小松の実家の一室を使って静物写真をベースに活動を始める。

2021年「JAPAN PHOTO AWARD 2021」 Patricia Karallis賞受賞、2022年「VOCA展 2022 現代美術の展望─新しい平面の作家たち─」選出。主な個展に、2022年「Exhibit 4」CALM & PUNK GALLERY、2024年「Exhibit6」parcel。2025年11月にMAHO KUBOTA GALLERYにて個展「Exhibit 8 : Pieces of Narratives」開催。作品集に『Book1』(2017、自費出版)、『Book2』(2024、自費出版)がある。2025年12月に『Pieces of Narratives』(ユナイテッドヴァガボンズ)を出版。

打林俊

うちばやし・しゅん 写真史家・写真評論家。株式会社page blanche代表取締役。1984年生まれ。2010年〜11年パリ第I大学大学院・フランス国立美術史研究所(INHA)招待研究生を経て、2013年日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程修了。2016年度〜18年度日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は写真と美術を中心とした視覚文化史。主な著書に『写真の物語 イメージ・メイキングの400年史』(森話社、2019)、『絵画に焦がれた写真−日本写真史におけるピクトリアリズムの成立』(森話社、2015)、「NeWORLD」で連載「虚構の煌めき~ファッション・ヴィジュアルの250年~」を執筆。