Tomiyama Taeko Let's Go to Japan!: The Thai Girl Who Never Came Home Collection of Sakata Natsume With support from National Center for Art Research, Japan(撮影はすべて筆者)
「タイランド・ビエンナーレ」は2018年に始まった巡回型の国際展で、これまでクラビ、コラート、チェンライといった地方都市で開催されてきた。首都バンコクではなく、地方に焦点を当て、地域固有の歴史や文化的文脈を掘り起こすことを特徴としている。
富山妙子(1921〜2021)は、生涯にわたり権力によって沈黙させられてきた人々の声──炭鉱労働から民主化運動、日本の戦争責任、帝国主義と植民地主義、フェミニズム、環境問題、そして3.11後の原発問題に至るまで──を描き続けてきたアーティストとして、近年、国際的に再評価が進んでいる。富山が今回のビエンナーレに出品され、しかも開催地がプーケットだと聞いたとき、私は思わず「なぜリゾート地で?」と感じた。
温暖な気候、白砂のビーチ、プール付きのホテル、美食、ナイトライフ、そして近年の大麻合法化も相まって、プーケットは開放的で快楽的な「南国の楽園」として、世界中の観光客を惹き寄せている(HBOの人気ドラマ『ホワイト・ロータス』シーズン3は、まさにそのイメージを体現していると言える)。
そのような場所で、富山の実践はどのように受け止められるのだろうか? 戸惑いを抱えながら、私はプーケットへ向かった。

ビエンナーレは無料のシャトルバスで3つのルートを巡ることができる。プーケットのオールドタウン中心部から徒歩15分ほどの場所に位置するパブリック・マーケット3(Public Market 3, Yi Teng Complex)は、1時間ごとに運行するバスの出発地点となっている。すべての会場では常駐するスタッフが来場者を迎え、建物の歴史や作品について丁寧に解説してくれる。

ベスさんによると、パブリック・マーケット3はかつての公設生鮮市場であり、市場閉鎖後は空き家となり、一時はホームレスが身を寄せる場所にもなっていたという。
ビエンナーレでは、このように長らく閉ざされていたプーケットの地域史にまつわる建物がかつての産業や商業の痕跡を残したまま、パビリオンとして再び開かれていた。

パビリオンのひとつ、旧酒造所(Former Kathu Liquor Distillery, Excise Department)は錫(すず)産業で財を成した福建系華人実業家タン・リム・ヨンによって建てられたシノ・ヨーロピアン様式建物である。
観光業が栄える以前、この島の近代化は錫の採掘によって始まった。16世紀頃から採掘と海上貿易が本格化し、錫を求めて移住してきた華僑たちとともに都市は発展していった。こうして形成された錫産業は、長らく島の経済基盤を支えてきた。
この空間に展示されているのが、富山妙子の初期作品《Chikuho: To the Lost Landscape》(1957)である。福岡県の炭鉱地帯・筑豊を描いた本作は、戦後の高度経済成長を支えたエネルギー源と、その裏側にある過酷な労働や荒廃した風景を見つめる。このビエンナーレでは3つの会場にわたって富山の作品が展開されているが、炭鉱は彼女のアクティヴィズムの原点とも言えるテーマである。

さらに、マレーシアのアーティスト、ニルマラ・ダット(Nirmala Dutt、1941〜2016)は、絵画やコラージュを通して、ポストコロニアル期マレーシアにおける土地収奪や強制移住、開発ナショナリズム、環境破壊を批判的に描く。近代化の名のもとに進行する暴力と社会的不平等を問い続けた彼女の実践は、富山の姿勢とも通じていた。

プーン・ポン・ビルディング(Phun Phon Building)では、ロッセラ・ビスコッティ(Rossella Biscotti、1978〜)の《RUBBER WORKS》が展示されている。伝統衣装の文様が施されたテキスタイルのようなゴムのインスタレーションは、東南アジアのゴム・プランテーションを支えた植民地的搾取の歴史を背景に、資本の循環のなかへ組み込まれてきた女性の身体を想起させる。


錫、石炭、ゴム──いずれも近代の「繁栄」を支えてきた資源である。これらをトランスナショナルな視座のもとで接続することで、資源開発によって形づくられたアジア近代の構造が浮かび上がる。
バーン・タートル・プーケット(旧プラ・アラム・サーコンケット邸/Baan Turtle Phuket, Phra Aram Sakhonkhet Mansion)は、かつて錫採掘王の邸宅として建てられ、その後はタイ国営航空の主要なオフィスとして使用された建物である。資源開発と観光というふたつの歴史を併せ持つこの建築は、プーケットの産業転換そのものを象徴している。
1980年代、錫の価格暴落を背景に、島の経済は観光中心へと転換した。それに伴い拡張した感情経済(アフェクティブ・エコノミー)は、ホテルやレストラン、レジャー産業のみならず、ナイトワークやセックスワークに従事する人々の労働によって支えられてきた。
しかし、その担い手たちは島の地域史のなかで不可視化されてきた存在でもある。このビエンナーレの随所には、そうした人々を可視化し、歴史の主体として語り直そうとする強い意志が表れていた。
同会場のアヌワット・アピムクモンコン(Anuwat Apimukmongkon、1995〜)による《BangLee Pink Karee Puff》(2025)はその一例である。作家は「BangLee」というキャラクターに扮し、移動式屋台で、タイ語でセックスワーカーへの蔑称と同音の語を含む「Karee Puff」(揚げたカレーパイ)を作り、販売する。派手なピンクの屋台はクィアな空間として公共へ介入し、身体と欲望、労働とスティグマをめぐる問題を挑発的に呼び起こしていた。

また、1971年に開館し、かつてナイトライフの中心地であったパール・シアター(Pearl Theater)には、富山妙子《Let’s Go to Japan!: The Thai Girl Who Never Came Home》(1991)のシリーズが展示された。

1970年代以降、富山は世界各地のラディカルなアーティストや活動家たちとネットワークを築き、その実践は美術制度の枠にとどまらず、社会運動と交差する場へと広がっていった。本作には、長年の協働者のひとりであるレベッカ・ジェニスン(京都精華大学名誉教授)によるテキストが添えられている。
「1980年代後半にタイを訪れたのち、富山は活動家の友人たちから招かれ、国際的な性的人身取引や強制売春によって搾取されるアジアの移民労働者をテーマとする展覧会の企画に協働した。《Let’s Go to Japan!: The Thai Girl Who Never Came Home》(1991)は、バブル経済に浮かれる日本社会に対する鋭い風刺だった。この展覧会は国際交流基金の支援を受け、1991年にバンコク銀行ミュージカル・アート・センターで開催された。」(テキストから抜粋)


移民労働をテーマとしながら、富山はアジアの搾取された労働者との連帯を模索してきた。帝国主義とグローバル資本に覆われた世界で移動を強いられた人々への関心は、旧バンコク銀行プーケット支店ビル(Former Bangkok Bank of Commerce, Phuket Branch)の3階に展示された《蛭子と傀儡子 旅芸人の物語》(2008)へと結実する。海を越えて移動する旅芸人たちのイメージを通して、漂流し、沈められた物語が海底の劇場で再び語られる。

「富山妙子は、アクティヴィズムを貫いたアーティストです」──そのように解説を始めたのは、スタッフのボンコッドさんである。彼女自身も長年にわたり環境問題や海洋環境に強い関心を寄せてきたことから、富山のたゆまぬ実践に深く心を動かされたという。

同じビルの5階では、富山とともに火種工房を設立し、スライド作品を中心に、音と映像を組み合わせたインターメディア表現を展開してきた高橋悠治の活動も紹介されている。
今回、富山がビエンナーレに出品された経緯について、キュレーターのデイヴィッド・テ氏は次のように語る。
「富山妙子の存在を知ったのは、2017年の展覧会『Misfits: Pages from a Loose-leaf Modernity』のリサーチをしていたときでした。本格的に作品を見たのは、2024年の横浜トリエンナーレです。彼女はそこでひときわ強い存在感を放っていました。視覚的な強度はもちろんですが、それ以上に、生涯にわたるアクティヴィズムへの献身、協働の姿勢、そして国境を越えて政治的責任を引き受ける態度に強く惹かれました」
その後、横浜展に関わった研究者の紹介を通じて富山の家族と出会い、火種工房の活動や、高橋悠治との長年にわたる協働について理解を深めていったという。なかでも重要だったのが、1991年にバンコクで発表された《Let’s Go to Japan!: The Thai Girl Who Never Came Home》であった。
「長らく公開の機会に恵まれなかったこの作品がタイに“戻ってくる”ことは、本ビエンナーレにとって特別な意味を持ちました。パール・シアターという、かつて娯楽と感情労働が交錯していた空間で再展示することにも、強い文脈があります」

テ氏はまた、富山をビエンナーレの「中心的な存在」と位置づけている。
「彼女のように、ナショナル・アートヒストリーの枠組みに収まりきらない作家は、近年ようやく制度的に再評価されつつあります。しかしその過程で、作品が持つトランスナショナルな側面が見えにくくなる危険もあります。
準備段階で強く意識していたのは、プーケットには美術館や公的コレクションが存在しないという事実でした。そのような場所で、ビエンナーレが果たしうる役割とは何か。もし制度が存在したなら、どのような知的歴史がこの土地に提示されるべきなのか、と。
私たちは、タイのナショナル・アートヒストリーを超え、海を越え、国々を結ぶ視座を提示したいと考えました。富山の実践は、その広域的な想像力を体現しています。
観客の反応は非常に好意的です。批判的な厳密さを備えながらも、美的な魅力が強く、多様な背景を持つ人々に届いています」
「タイランド・ビエンナーレ2025」は、「楽園」というイメージの表層をめくり、その下に堆積する歴史や人々の営みを可視化する試みであった。それは、「観光客」とは異なる視点からプーケットを見つめ直す、もうひとつのツーリズムでもあった。
富山が35年前に告発した「帰らぬ少女」は、決して過去の出来事ではない。移動と労働、欲望と搾取をめぐる構造がいまもなお続いている。その現実をたしかに私たちに突きつけている。
本レポートの執筆にあたり、レベッカ・ジェニスン氏、デイヴィッド・テ氏のご協力を賜りました。心より感謝いたします。
「タイランド・ビエンナーレ」
開催地:タイ・プーケット
会期:2025年11月29日~2026年4月30日
公式サイト:https://www.thailandbiennale.org