公開日:2025年12月19日

横浜・山下ふ頭に現れた黄金の没入空間。「THE MOVEUM YOKOHAMA by TOYOTA GROUP」が繰り広げる、歴史とテクノロジーの交差点

横浜・山下ふ頭の巨大倉庫が、デジタルアートの聖地へ。クリムトとシーレが描くウィーン世紀末の光と影、そして山口智子の「LISTEN.」が交錯する没入空間の全貌をレポート。

会場風景

山下ふ頭に誕生する、新たな文化の起点

横浜のウォーターフロント、その風景の一部として長年鎮座してきた山下ふ頭4号上屋。戦後復興の物流を支えた巨大な倉庫がいま、デジタルアートの新たな聖地へと変貌を遂げた。トヨタグループが手がけるイマーシブ・ミュージアム「THE MOVEUM YOKOHAMA by TOYOTA GROUP」が、12月20日から2026年3月31日までの期間限定でオープンする。

ミラールーム、グスタフ・クリムト作品

約1800㎡におよぶ、柱ひとつない圧倒的な空間。ここで展開されるのは、たんなる映像上映ではない。高精細な光と緻密な音響に全身を浸し、自らがキャンバスの一部となるような、あるいは画家の網膜そのものを追体験するような、極めて身体的な「没入型芸術体験」だ。

オープニングを飾るプログラムは、ふたつの軸で構成される。ひとつは、グスタフ・クリムトエゴン・シーレというふたりの天才を通じ、激動の世紀末ウィーンを表現した「美の黄金時代」そしてもうひとつは、俳優・山口智子がプロデュースし、美しい映像と音で世界を巡る「LISTEN.」の新シリーズ「ONE MOMENT」。

会場風景、エゴン・シーレ作品

リアルな文化体験を通じて、人々の心を育む学びの瞬間を提供する。トヨタグループがこの横浜の地で提示する、新たなミュージアムがここに誕生した。

世紀末ウィーンの光と影。ふたりの巨匠が共鳴する「美の黄金時代」

オープニングを飾る第一期プログラムのテーマは、19世紀末ウィーンを彩った「美の黄金時代」。コンクリートの巨大キャンバスを鮮やかに染め上げるのは、75台の最新鋭プロジェクターが放つ高精細な映像と、27台のスピーカーが構築する緻密な音響空間だ。物理的な制約を解き放たれたこの大空間で、ウィーン分離派の象徴グスタフ・クリムトと、エゴン・シーレ。まさに「光」と「影」とも評される対照的なふたりの巨匠が、キャンバスの枠を超えた融合を提示する。

左から、グスタフ・クリムト、エゴン・シーレ

メイン展示を構成するのは、クリムトが描いた生命、愛、そして死という根源的なテーマ。40分におよぶプログラム「グスタフ・クリムト:黄金時代」だ。《接吻》や《ベートーヴェン・フリーズ》に代表される約170点の名作が、巨大な壁面や床一面を埋め尽くし、鑑賞者を「総合芸術」の渦へと引き込んでいく。特筆すべきは、クリムト独自の金箔の輝きと装飾美を、光の粒子として再解釈した映像演出だ。伝統的な絵画鑑賞ではとらえきれなかった、麗しくも官能的なディテールが重厚な音楽と掛け合わされ、鑑賞者の身体感覚へと直接訴えかけてくる。

会場風景、グスタフ・クリムト作品
会場風景、グスタフ・クリムト作品
会場風景、グスタフ・クリムト作品

クリムトの黄金の世界に続いて展開されるのは、12分間のプログラム「エゴン・シーレ:黄金の影で」。このスペシャルセクションでは、世紀末ウィーンの「影」を象徴するエゴン・シーレにスポットを当てる。クリムトから影響を受けつつも、やがて装飾美とは対局にある、人間の内面的な不安や孤独を剥き出しの線で描く独自の表現主義を確立したシーレ。最新のテクノロジーは、ねじれた肉体や凍りついた表情、そして荒々しい筆致をダイナミックに増幅させる。それはシーレが抱いた生存の重みや心理的緊張を、空間全体の切実な空気感として視覚化していく。

会場風景、エゴン・シーレ作品
会場風景、エゴン・シーレ作品
会場風景、エゴン・シーレ作品

歴史と未来が交錯する港。4人が語った想い

「THE MOVEUM YOKOHAMA」の先行披露レセプションで行われたトークセッション。登壇した豊田章男、山口智子、都倉俊一山中竹春の4人が語り合ったのは、技術の先にある「未来の芸術」についてだった。

立場も背景も異なる彼らの言葉を重ね合わせていくと、この「THE MOVEUM」がたんなる最先端のデジタル展示場を目指しているのではないことが見えてくる。そこには、この場所でなければならなかった切実な理由と、想いが込められていた。

トークセッション風景

セッションの幕開けに語られたのは、なぜ他でもない「この場所」だったのかという必然性だ。 トヨタ自動車会長の豊田章男は、グループの知られざるルーツを紐解くようにこう切り出した。「じつは、トヨタグループの創始者である豊田佐吉が自らの発明を手に世界へ旅立ったのも、初の輸出車クラウンが海を渡ったのも、すべてはこの横浜港だったんです」

かつて「モノ」の輸出拠点として日本の近代化を支えた横浜・山下ふ頭。その巨大な倉庫が、今回は「THE MOVEUM」というデジタルアートを体験するための場となった。横浜市長の山中竹春が「戦後復興を支えた歴史ある場所が、未来の発信拠点になるのは感慨深い」と話した通り、ここはたんなる展示会場ではない。産業の記憶と文化の未来がダイナミックに交差する、唯一無二の存在となっていくはずだ。

外観

続くテーマは、情報が溢れる現代における「リアルな体験」の価値へと移る。 俳優の山口智子は、自身が10年以上の歳月をかけて世界の音楽文化を記録してきたプロジェクト「LISTEN.」に触れながら、声を弾ませた。「旅を通して出会ったのは、その土地の風土や歴史に根ざした、目には見えないけれど豊かな生命の記憶でした。この海に近い巨大な倉庫にも、かつての物流が残した記憶が積層している。自然とテクノロジー、そして人間の感性が溶け合うこの場所で、世界中の魂の鼓動が共鳴し合う、一期一会の『祭り』のようなエネルギーを立ち上げたい」

トークセッション風景
プロジェクト「LISTEN. ONE MOMENT」風景


その想いを受けるように、文化庁長官の都倉俊一は、文化の民主化とその先にある循環について語った。「かつて貴族が独占していた芸術が、いまやテクノロジーによって万人に開かれた。ここでの没入体験を入り口に、本物を求めて世界へ旅立つ。そんな感性の種まきこそが、次世代への本当の贈り物になるはずだ」

最後に、山中市長がこの場所のポテンシャルを総括した。「山下ふ頭は、約5kmにわたる海岸線の終着点。世界に開かれたこの場所が、子供たちが世界水準のアートに触れられる『未来への苗床』となっていくことを確信している」

「移動(MOVE)」と「ミュージアム」を掛け合わせた「MOVEUM」という名が示す通り、ここは人の心を動かし、その足で次の場所へと向かわせるための起点だ。4人の対話は、巨大な倉庫が次世代の感性を育むための広大な苗床であることを、静かに、しかし力強く物語っていた。

美と退廃が交錯するウィーン世紀末の世界から、現代の横浜、そして未来へ。 重厚な鉄扉の向こうに広がる黄金の没入空間は、私たちの中に眠る感性を呼び覚まし、新しい世界への一歩を促してくれるだろう。

福島 吏直子(編集部)

福島 吏直子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。編集者・ライター。