公開日:2026年3月10日

やんツー「浮遊する器官」(BUG)レポート。「薬」と「毒」のあいだで、私たちは何を選ぶか

やんツーが演劇とインスタレーションを融合させた新作を発表。哲学者ベルナール・スティグレールの思想を手がかりに、AI時代の「身体とテクノロジー」を問い直す。会期は4月5日まで

会場風景

生成AIに向き合う対話劇

東京駅直結のアートセンターBUGにて、やんツーの個展「浮遊する器官」が開催されている。会期は2月25日から4月5日まで。

天井高7.2mの空間を、唸りを上げてドローンが旋回する。その軌道を、金網越しに観客が見上げる。ドローンに対峙するのは、、古代兵器を想起させるカタパルト。両者はAIによって生成された言葉を用いて対話し、ときに緊張をはらみながら空間を支配する。本展は、AIやドローンといった現代テクノロジーをたんなる題材として扱うのではなく、それらを"身体から切り離された器官"として再定義し、私たちの感覚や倫理の在り方を問い直す試みだ。

会場風景

やんツーは1984年、神奈川県生まれ。絵を描く、鑑賞する、作品を設置撤去するなど、美術の制度にまつわる人間特有と思われている行為を、機械に代替させる作品で知られる。いままではセグウェイが作品鑑賞するインスタレーションや、機械学習プログラムを導入したドローイングマシーンなど、テクノロジーを「転用」「誤用」しながら、進歩主義や資本主義に批判的な眼差しを投げかけてきた作家だ。

しかし意外なことに、生成AIを用いた制作を意図的に避けてきたという。「使っていなかった理由のひとつは環境負荷の問題。それから、人間を思考停止させる道具であるという点。このふたつの理由で、いままで生成AIを作品で扱ってこなかった」と語る作家。しかし今回、BUGからAIをテーマにした作品制作の依頼を受け、姿勢を転換したという。よく知らないと批判もできない。そう考えたやんツーはいかにAIに向き合ったのか。詳しく展示を見ていこう。

会場風景

「浮遊する器官」とは何か

本展のタイトルは、哲学者ベルナール・スティグレールが提唱した「一般器官学」という考え方に着想を得ている。スティグレールによれば、人間はもともと不完全な存在であり、技術や道具によってその欠落を補うことで成り立ってきた。神話でプロメテウスが人間に火を与えたように、技術こそが人間を人間たらしめてきたのだ。作中に時折、火のモチーフが登場するのも、この神話に由来している。

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スティグレールはまた、技術をたんなる道具ではなく、身体の外に置かれた「器官」としてとらえた。文字がその典型で、思考や記憶を保存する手段であると同時に、法律や契約といった社会の仕組みを支える土台にもなってきた。本展でやんツーはこの視点を現代に引き寄せ、AIやドローンに接続する。いまや人間の目や手、脳の機能は身体の外に実装され、かつて身体に属していたはずの器官は、切り離されたまま社会のなかに浮遊している。

しかしこの「浮遊」は、再編の可能性であると同時に危うさでもある。人間を拠り所のない状態に追い込み、社会や倫理を制御不能な速度で変容させていく。スティグレールの言葉を借りれば、技術は「薬」であり「毒」でもあるのだ。

本作では、生成AI(Gemini)がドローンとカタパルトの2役を演じる。作家があらかじめ書いたプロンプトを投げると、ふたつの声で対話する音声データが生成される仕組みだ。セリフは公演ごとに生成され、同じ上演は見ることができない。

"ふたり"の人格設定も興味深い。「ドローンは理想主義でリベラル寄り、カタパルトは保守的で現実主義です演劇の目的やキャラクター、取り扱う議題などを設定することで、AIはあそこまで台本を仕上げてくれます」とやんツー。主要なシーンは4つ設定されており、それぞれに議題のプールが用意されている。土地や建造物に刻み込まれた暴力の記憶、巨大テック企業によって加速する封建的な状況、特定の場所が強いられてきた搾取の歴史など、掛け合う争点は毎回変わるのだ。さらに生成された対話劇に合わせて、照明、音響、ドローンとカタパルトの動きも生成AIの指示によって連動する。

会場風景
会場風景

やんツーが生成AIに見出しているのは、人間を映し出す鏡としての機能だという。「AIはあくまで人間の発言やデータから構築されるもので、人間の鏡のようなものです。人間は曖昧で自己矛盾を抱えている存在です。その葛藤を装置に委託してロールプレイさせることで、人間自体を俯瞰して見ることができます」

会場風景
会場風景

日常と戦場のあいだで浮遊する

では、なぜ演劇という形式なのか。本展をコ・キュレーションした筒井一隆(BnA Alter Museum)は次のように説明する。

「情報が一方的に飛び込み、頭がショートするような展覧会は批評や批判の対象によくなりますが、それを乗り越える装置として今回演劇があります。各要素をぐるぐると回しながら相互に補完し合う構造を作れないかと考えました」

「やんツーさんは自分の方法やプロセスを開示し、コモンズのように共有する作家だと思います。Geminiのような標準的なツールを使い、それらを掛け合わせて作品を作るというアプローチ自体をインスタレーションや演劇のなかに組み込むことも、今回のアイデアのひとつです」

会場風景
会場風景

会場には、やんツーによる手書きのプロンプトが展示されており、資料ゾーンも設けられている。各公演の合間に観客は中に入ることができ、作品のコンセプトを深掘りできる。たとえば、村井琴音(慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程在籍)による、ロシア・ウクライナ戦争下の居住空間における改変のリサーチ成果。あるいはウクライナの元司令官へのインタビュー記録や、ウクライナ政府が配信している「ドローンから身を守るためのマニュアル」なども並ぶ。会場内の崩壊した壁も、このリサーチに基づいているという。

「ウクライナでは、家の中に二重壁を設けることが推奨されているらしいです。ドローンが窓から入ってきても、壁があればある程度防げるからです」(やんツー)

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会場を飛び回るドローンにも、その緊張は宿っている。使用されているのは「DJI Mavic 3」。もともと民間向けに開発された製品だが、現在はウクライナやミャンマーの戦地で偵察や攻撃に使われている機体だ。日常と戦場、消費と兵器の境界が曖昧になった現実を、観客は金網越しに見つめる。テクノロジーとは何か。人間がテクノロジーをどのように扱うのか。問いは静かに、しかし確実に突きつけられる。

会場風景

現代の戦争とテクノロジーをめぐる状況が交差する本展。東京駅直結という立地で、日常の延長線上に「浮遊する器官」の緊張感を体験してみてほしい。

灰咲光那(編集部)

灰咲光那(編集部)

はいさき・ありな 「Tokyo Art Beat」編集部。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。研究分野はアートベース・リサーチ、パフォーマティブ社会学、映像社会学。