公開日:2026年2月4日

YBAは何を変え、何を周縁化したのか。テート・ブリテン現代美術部門キュレーターに聞く、その革新性と遺産(聞き手:山本浩貴)

「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」が、国立新美術館、京都市京セラ美術館で開催。本展キュレーターのひとり、テート・ブリテン現代美術部門キュレーターのヘレン・リトルにインタビュー

左から、ヴォルフガング・ティルマンス《ザ・コック(キス)》(2002)テート美術館蔵 © Wolfgang Tillmans, Courtesy of Maureen Paley, London; Galerie Buchholz; David Zwirner, New York、ダミアン・ハースト《後天的な回避不能》(1991)テート美術館蔵 Photographed by Prudence Cuming Associates © Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS/Artimage 2026、サラ・ルーカス《煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ)》(1999) テート美術館蔵 © Sarah Lucas. Courtesy Sadie Coles HQ, London

*「特集:YBA 90s英国美術は、いま何を語るのか」──YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)と、それを生んだ90年代という時代を今日の視点で振り返る、Tokyo Art Beatの特集シリーズ。展覧会「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」の開催にあわせて、90年代という特異点を、アートにとどまらない現代の多様な視点で見つめ直す。


YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティスト)を中心に、1980年代後半から2000年代初頭の英国アートシーンを再検証する展覧会「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」が、東京・六本木の国立新美術館(2月11日〜5月11日)、京都市京セラ美術館(6月3日〜9月6日)で開催される。

ダミアン・ハーストやトレイシー・エミンらに代表されるYBAは、自由な手法と挑発的な表現によって90年代英国美術の象徴となるいっぽう、時に物議を醸した存在でもある。「YBA & BEYOND」展は、そうした時代と表現を、現在の視点から批評的にとらえ直す試みだ。本記事では本展キュレーターのひとりで、テート・ブリテン現代美術部門キュレーターでありテート美術館の国際プログラムにも携わるヘレン・リトルにインタビューを敢行。YBAの定義から、同時代の社会・文化との関係、現在まで続く影響、そして当時このラベルのもとで周縁化された表現までを聞いた。【Tokyo Art Beat】

YBAは「様式(style)」でなく「姿勢(attitude)」

──YBAをどう定義しますか? あなたにとってYBAとはなんでしょう?

もっとも基本的な定義では、「ヤング・ブリティッシュ・アート(YBA)」は、1990年代前半から中頃にかけ、ゴールドスミス・カレッジをはじめロンドンの美術学校から登場した、若く革新的なアーティストの一群を指す用語です。90年代後半、「クール・ブリタニア」(*1)がイギリスで生活や文化の一部となり、この用語は「若さ」や「革新性」を強調する英国文化を象徴するブランドとなりました。

個人的に、YBAは「様式(style)」でなく「姿勢(attitude)」だと考えます。それ以前のイギリスの社会・文化状況に起因する、新しい姿勢に特徴づけられる芸術です。サッチャー主義(*2)がもたらした社会の分断と不安定が顕著な、英国史の激動の時代が生んだのがYBAでした。

YBA作家は80年代イギリスで育ちました。労働者階級出身の創造的な人々が、貧困と対立の時代に反応し、芸術を通して日常に新たに焦点化し、生活の複雑さをギャラリーに持ち込んだのです。しかも、これまでのアートで使用されなかった素材を用い、それを達成しました。YBAは日常的テーマを用い、「現実性(reality)」や「真正性(authenticity)」を強く意識して制作しました。この世代のアーティストが伝えようとしたのは、強度ある日常のリアリティだと私は見ています。

ダミアン・ハースト 後天的な回避不能 1991 テート美術館蔵 Photographed by Prudence Cuming Associates © Damien Hirst and Science Ltd. All rights reserved, DACS/Artimage 2026

──YBA芸術の共通点について、お考えを聞かせてください。

この世代のアーティストに共通するのは、自らが生きる時代に対して直感的に応答したことです。素材を錬金術的に使用するアプローチ、日常をユニークな仕方で変容させるメソッドがそのために用いられました。彼ら・彼女らは「非凡なものは平凡な日常から生まれる」と考えました。この信念こそ、YBA世代を結びつける紐帯です。

さらに、1980年代から90年代のイギリス美術学校教育で起こった、重大な革新もYBA世代に影響しました。イギリス労働者階級出身の若者が、教育機関が提供する創造的環境で才能を開花させることができた最後の時期だったのではないでしょうか。当時はいまのように教育が企業化・高額化・エリート主義化する前でした。そのため多様な背景の人が美大に集い、独自の方法で芸術を通してアイデンティティを模索しました。

サラ・ルーカス 煙草のおっぱい(理想化された喫煙者の椅子Ⅱ) 1999 テート美術館蔵 © Sarah Lucas. Courtesy Sadie Coles HQ, London

もうひとつの共通点は、当時のイギリスの都市構造の変容に対し、アーティストが実体験を通じてアプローチした点です。この変容はロンドンだけでなく、英国各地——グラスゴー、エディンバラ、その他たくさんの都市——で起こった現象です。典型例は、当時荒れ地だった東ロンドンが創造活動のための遊び場に変貌した経緯でしょう。東ロンドンでは、アーティストやファッションデザイナー向けに、広大なスタジオスペースが安価で提供されました。重要なことに、こうした環境は、彼ら・彼女らの起業家精神に拍車をかけました。YBA世代の起業家精神は、アーティストが初めて、作品制作だけでなく、いかに異なるオーディエンスに向けて作品を見せるかの方法をもコントロールする力を得るという経験をもたらしました。

レイチェル・ホワイトリード A:クラプトン・パーク・エステート、マンデヴィル通り、ロンドン E5;アンバーゲート・コート;ノーバリー・コート、1993年10月 1996 テート美術館蔵 Photo: Tate © Rachel Whiteread

伝統へのアンチも共通点です。80年代イギリスの「古き良き」エリート主義的美術界への反発です。もはやそこにリアリティはないと彼ら・彼女らは感じていました。当時のギャラリーは「紳士的」空間で、(男性の)巨匠の歴史的作品ばかり展示されていました。現代アートのための新たな突破口が発見されうる場所ではなかったのです。都市を新奇な方法で探求するYBA世代のアーティストは、空間を占拠し、自らスタジオスペースを創出し、自分たちの展覧会も創出しました。自分でイニシアティブをとり、自主企画・自主宣伝の力を体現します。これは極めて重要な部分であり、今回の「YBA & BEYOND」展全体を貫くものでもあります。

「フリーズ」展と同時代に開催された“もうひとつの展覧会”

──1990年代、イギリスは10年近く続いたサッチャー政権終焉後、経済的・社会的・政治的過渡期に入りました。こうした歴史的文脈は、YBAとその同世代アーティストにどう影響を与えたとお考えですか?

当時のイギリス、そしてグローバルな地政学的状況は、そこでの文化が生まれ繁栄する環境を創出するうえで直接的影響を与えました。同時に、そうした(YBAを生んだ)状況が、周縁化作用もはらんでいたことは認識すべきです。YBAという名称・スローガンは、英国アート界を席巻した彼ら・彼女らと同世代の、密な関わりのあったアーティスト──YBAほどの注目を集めなかった──を周縁化するなかで頻繁に利用されたのです。

本展を企画し、イギリス美術史の重要な時代を再考するにあたり、私たちは当初から、この時代に生まれた芸術のより包括的な物語を伝えたいと考えました。YBA現象という「規範的」物語をおさえるいっぽう、グローバルな鑑賞者がイギリスと強く関連づけるほかの作家・作品を含めることで、その物語にニュアンスを加えるのです。このアプローチにより、当時をより広範に、ニュアンス豊かに描き、当時はほとんど(YBA作家と)一緒に扱われなかった、または異なる領域で活動していたアーティストを接続することが可能となりました。

ルベイナ・ヒミド 二人の間で私の心はバランスをとる 1991 テート美術館蔵 Photo: Tate © Lubaina Himid. Courtesy Hollybush Gardens and Greene Naftali

出発点としたのは、90年代直前に開催されたふたつの極めて重要な展覧会です。ひとつは、ダミアン・ハーストがキュレーションした有名な「フリーズ」展(1988)。ロンドン東部の廃倉庫で開催され、YBA運動と深く結びつくアーティスト群を紹介したことで知られる展覧会です。その直後、ロンドンのヘイワード・ギャラリーで、もうひとつの重要な展覧会が開幕しました。「ジ・アザー・ストーリー」展(*3)(1989)です。ブラック・ブリティッシュや南アジア系のイギリス人アーティストの歴史的文脈を提示する企画でした。

そうした広範な芸術的うねりを考証すべく、この時代の再評価が近年大きく進んでいます。「YBA &BEYOND」展でとくに興味深いのは、イギリスの異なる集団、世代、活動環境のアーティストが互いに関連し合っている様がわかる点です。皆、制作基盤となる状況や条件──「現実性・真実性・真正性」への回帰──にアートを通じて応答していました。当時のアーティストたちは、自身のアイデンティティやコミュニティの不安定な本質を切り込もうとしていたのです。ある意味、これらすべてのアーティストが時代のなかに存在し、個別的でありながら同時に集団的な仕方で世界に働きかけ、応答していたと言えます。

音楽やファッション、90年代サブカルチャーとのつながりと、アイデンティティの再定義

──「フリーズ」展と「ジ・アザー・ストーリー」展の共鳴は興味深いです。偶然のようで、必然的な共鳴に思えます。「YBA & BEYOND」展は、これらの2側面を同一の展覧会に包摂する野心的企画です。ここで、同時期の英国文化全体に目をやります。90年代イギリスでは「ブリットポップ」が頂点を迎え、日本でも人気のオアシスやブラーなどロックバンドが台頭しました。この時代の音楽・サブカルチャー・ファッションetc.と、YBA世代アーティストのつながりをどうみますか?

90年代イギリスは、アート、ファッション、音楽、ポップカルチャーなどの境界が溶解し、混合し、流動化した刺激的時代でした。アーティストがファッションデザイナーに影響を与え、互いのスタジオを行き来して交流し、ミュージシャンもそこにジョインしました。創造力がまったく新しいかたちで結合した、ハイブリッドな時代でした。皆、社会規範に挑戦し、オルタナティブなアイデンティティやコミュニティの感覚を探求していたのです。

とくにファッションエディトリアルの世界では、80年代の華やかさと過剰さの後、「正気」に戻ろうとする動きが顕著になり、ユースカルチャーやストリートカルチャーに根ざした新たなイギリスのアイデンティティを模索しました。当時の主要雑誌『i-D』、『Dazed』などで見られる美学です。そうした美学は、ヴィヴィアン・ウエストウッド、アレキサンダー・マックイーン、ジョン・ガリアーノといったデザイナーの革新的オートクチュールにも表れ、イギリスの歴史やアイデンティティの様々なモチーフを引用しつつ、過去のアートからも着想を得て、未来への新たなヴィジョン、現代の英国スタイルをめぐる言説を構築しようとしました。

音楽でも同様の傾向が見られました。ブリットポップの台頭は、レイヴカルチャーやほかのポップカルチャーの隆盛と重なります。これらは社会規範への挑戦と同時に、音楽の創造的革新だけでなく、時代が象徴するアイデンティティも示す重要な指標でした。スパイス・ガールズをはじめ、「ガールパワー」(*4)の時代でもありました。古いジェンダー規範への挑戦です。ブラーやオアシスといったバンドに象徴される「ラッド・カルチャー」(*5)を通じ、イギリス的男らしさが再定義されていった時代でもあります。

ダミアン・ハーストが監督した、ブラー『カントリー・ハウス』MV(1995)

──ぼくはチェルシー・カレッジ・オブ・アーツを卒業しましたが、同じロンドン芸術大学のカレッジのひとつがセントラル・セント・マーチンズ(CSM)です。ガリアーノやマックイーンに加え、ステラ・マッカートニーやフセイン・チャラヤンもCSM卒業生です。YBA にとってのゴールドスミスやファッションデザイナーにとっての CSM など、90年代イギリス文化において美大が重要なファクターであることがわかります。

その通りです。そして、それらはいずれもユースカルチャーやサブカルチャーと深く結びついています。「YBA & BEYOND」展でも顕著ですが、当時のアーティストやミュージシャンは、若者の歴史やアイデンティティを表現することに大いに関心を抱いていました。ジェレミー・デラーは、英国史が音楽によっていかにかたち作られてきたかを分析的手法で図式化しました。また、ファッションやエディトリアルの世界と交わり、クラブカルチャーやサブカルチャーに対する独自の視点をギャラリー空間にもたらした、写真家のヴォルフガング・ティルマンスも重要です。

ジェレミー・デラー 世界の歴史 1997-2004 テート美術館蔵 Photo: Tate © Jeremy Deller
ウォルフガング・ティルマンス 座るケイト 1996 テート美術館蔵 © Wolfgang Tillmans, Courtesy of Maureen Paley, London; Galerie Buchholz; David Zwirner, New York

「YBA」のラベルは、必ずしもイギリスのすべての重要なアーティストを代表していたわけではなかった

──ティルマンス作品は規範的ジェンダー表象に挑戦します。「規範への挑戦」という点に関して質問します。ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ、 デレク・ジャーマン、スタパ・ビスワスらを本展に含めることは、たんに従来YBAの範疇に分類されなかった実践(「Beyond」)に光を当てるだけでなく、イギリス美術史の規範的ナラティブで支配的な男性中心主義、白人中心主義、異性愛規範──イギリスのみならず日本を含む多くの国々の美術史に共通の課題ですが──を批判的に解体するポテンシャルを秘めています。こうしたキュレーションの意図をお話しください。

私にとって「Beyond」の部分は、YBA同様に豊かで重要、かつ喫緊のテーマを含みます。YBAの概念は1990年代以降変化してきました。いまは批判的距離を置いて振り返ることができ、この言葉がどう生まれ、どう使われ、今日の私たちにとって何を意味するか考察できます。「Beyond」は、現代におけるYBAの意味を問い直す意図です。「YBA」のラベルは、必ずしもイギリスのすべての重要なアーティストを代表=表象(represent)していたわけではありませんでした。このラベルは、同様に多彩で力強い、イギリス文化におけるほかの重要な物語や声を周縁化し排除した側面を持っていたのです。

デレク・ジャーマン 運動失調―エイズは楽しい 1993 テート美術館蔵 Photo: Tate © The estate of Derek Jarman. Courtesy of The Keith Collins Will Trust

ジョン・アコムフラ率いるブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴが制作した叙事詩的ドキュメンタリー映画『ハンズワースの歌』(1986)を含めることは、鑑賞者にブリティッシュ・ブラック・アートの物語を紹介する意味で重要性を有します。この作品は、80年代後半のイギリスの雰囲気を体現し、イギリス黒人の声が社会で徐々に聞かれ始めた過程、その人たちの物語が従来の「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」が扱っていた「英国らしさ」の定型表現に、いかにして疑問を投げかけるかを示します。

ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴ ハンズワースの歌 1986 テート美術館蔵 © Smoking Dogs Films; Courtesy Smoking Dogs Films and Lisson Gallery

また、展示の最初の部屋は、あえて挑発的に「ブロークン・イングリッシュ」と名付けました。これは当時使われていた用語で、イギリスが激動の時代にあったことを象徴します。ブラック・オーディオ・フィルム・コレクティヴであれ、ダミアン・ハーストであれ、YBA世代にとって当時の英国は「壊れた(ブロークン)」状態でした。本展は、帰属やアイデンティティをめぐる問いに多彩なバックグラウンドの作家がどう向き合い、ある種の融合が生まれていたかを示す絶好の機会です。当時、多文化主義がそのナショナル・アイデンティティを作る「現代イギリス」の構成要素として、極めて重要であるという議論が盛んでした。本展では、ブラック・ブリティッシュ・アーティストの視点と、そのイギリス美術への貢献に言及するいっぽう、それらの作品が従来の規範的物語を揺るがす様も示します。

YBAや同世代の英国アーティストたちが残した遺産

──本展アーティストは、日本を含む世界中の次世代アーティストに多大な影響を与えました。イギリスで育った、あるいは現在も活動しているアーティストの後続世代に対し、これらのアーティストが与えた影響をどう評価されますか?

YBA世代のラディカリズムは、人々の現代アートに対する見方や、それをどう論じるか、さらにアートをより広範なオーディエンスに向けて発信する方法を革命的に変えました。アートやユースカルチャーをめぐる国内の議論そのものを変えたのです。結果、以前なら存在しなかった美術館やギャラリーが生まれました。2000年開館のテート・モダンさえ、この世代のサクセスストーリーと、それゆえに開館初年度に押し寄せた膨大な観客がなければ、今日のようにはなりえなかったと言えるでしょう。

また、イギリス美術の遺産という点では、その影響は極めて広範で、アートが市民にどう受容されてきたかを雄弁に物語ります。少なくとも、90年代に10代を過ごした者として、私にとっては確かにそうでした。存命作家の作品と初めて出会ったのは、まさに本展の参加作家たちでした。その出会いが私自身の「アートとは何か」の理解をかたち作り、同時に、イギリス北部の労働者階級の家庭で育った少女に、その世界の一部になれるかもしれないという希望を与えてくれたのです。誰もが現代アートの世界に属し得るという感覚は、現在の私の仕事を作る基盤となっています。

ヘレン・リトル

──YBA世代のアーティストと日本の関係について、ご見解をうかがえますか?

90年代半ば以降、多くのイギリス人アーティストが日本で作品を発表する機会を得て来日し、日本、日本人作家、日本文化との重要な接点を築けたことは制作に影響を及ぼしています。本展リサーチにあたり、1998年に東京都現代美術館で開催された「リアル/ライフ イギリスの新しい美術」展のカタログを読みました。私の知る限り、この展覧会は日本の展覧会文化における転換点を象徴し、この瞬間こそ日本の美術館が国際的な現代美術を国内向けに紹介し始めたときでした。その時期、イギリスもまた海外に目を向けており、そこには響き合いが見られます。また、日本の公的・私的コレクションが、これほど多くのイギリス人作家を収蔵している事実に感銘を受けました

──日本でもハーストはじめ、YBA世代のイギリス人作家は人気です。いっぽう、その知名度ゆえ、この世代のアーティストはややステレオタイプ的に語られることも多い気がします。「YBA & BEYOND」展は、その固定化されたイメージを拡張する重要な機会になると感じました。

ありがとうございます。まさに、それが本展の大きなねらいです。ぜひたくさんの方々に鑑賞してもらえたら嬉しいです。

「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」メインヴィジュアル

*1──90年代イギリス文化の「クール」さをプロモートするための政治的スローガン
*2──1979年から90年まで首相を務めたマーガレット・サッチャーが推進した新自由主義的思想
*3──パキスタンにルーツをもつラシード・アライーンがキュレーションした
*4──少女同士の結束、若い女性の独立を表すキャッチコピー
*5──イギリスやアイルランドでメディアを通じて広まった白人異性愛男性中心の文化

ヘレン・リトル

20世紀および現代の英国美術を専門とし、現在はテート・ブリテンの現代美術部門のキュレーターを務め、また、テート美術館の国際プログラムにも積極的に関与。これまでターナー賞展をはじめ、1980年代の英国における写真表現を総覧する展覧会など、批評家から高い評価を得た企画を多数手がけてきた。また、デイヴィッド・ホックニーやクリス・オフィリといった世界的アーティストの大規模な回顧展も企画・監修するなど、英国美術界において重要な役割を果たしている。キュレーターとしての活動に加え、近現代の英国美術に関する書籍や展覧会カタログの編集・執筆にも取り組んでおり、美術史的な研究と実践を架橋する活動を展開している。

山本浩貴

山本浩貴

やまもと・ひろき 文化研究者。1986年千葉県生まれ。実践女子大学文学部美学美術史学科准教授。一橋大学社会学部卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013~2018年、ロンドン芸術大学トランスナショナルアート研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラルフェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教、金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師を経て、2024年より現職。著書に『現代美術史 欧米、日本、トランスナショナル』(中央公論新社 、2019)、『ポスト人新世の芸術』(美術出版社、2022)、『この国(近代日本)の芸術――〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』(小田原のどかとの共編著、月曜社、2023) など。訳書にジャスティン・ジェスティ『戦後初期日本のアートとエンゲージメント』(水声社、2025)。光州ビエンナーレ2024で、日本パビリオンのキュレーターを務めた。