歌う人形たちに導かれる、不気味でユーモラスな迷宮世界。「笹岡由梨子のパラダイス・ダンジョン」(滋賀県立美術館)レポート

滋賀を拠点に活動するアーティストによる美術館初個展。会期は3月22日まで(撮影:編集部 [*]は除く)

会場風景より、笹岡由梨子《ポロニア》(2025)

震災後の体験から生まれた、絵画のような痕跡の残る映像表現

人間の目や口を持つ不思議な生き物たちのミュージカルや操り人形劇、愛を歌い上げる巨大インスタレーション。一度見たら忘れられない作品で注目を集めてきた笹岡由梨子の美術館初個展「笹岡由梨子のパラダイス・ダンジョン」が、滋賀県立美術館で開催されている。会期は3月22日まで。担当学芸員は、荒井保洋(滋賀県立美術館 主任学芸員)。

「笹岡由梨子のパラダイス・ダンジョン」会場入り口

笹岡由梨子は1988年、大阪府生まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程メディア・アート領域満期退学後、「京都府文化賞奨励賞」「咲くやこの花賞」など受賞多数。2022年より滋賀県に拠点を移し、国内外で活躍する。東京・表参道の交差点に登場した《ラヴァーズ》や、グランフロント大阪の南館せせらぎテラスに浮かんだ《ミューズ》など、知らぬうちにその作品を目にしている人も多いかもしれない。

本展は、2021年にリニューアルオープンした滋賀県立美術館による若手作家の支援を目的としたプロジェクトの第1弾となる。本プロジェクトは、関西に拠点を置く若手作家に美術館での個展の機会を提供するものだ。同館ディレクターの保坂健二朗は「誰がいちばん最初に相応しいか内部で議論をし、これは笹岡さんではなかろうかということになりました」と明かす。本展は、企業版ふるさと納税を通じて株式会社メルコグループの支援を得て開催。同社は作品制作などの支援も行っていることから主催にも名を連ねている。

左から、保坂健二朗、笹岡由梨子、荒井保洋

展覧会の開幕時、「美術館での個展は初めてで、右も左もわからず本当にいろんな人に支えられてここまできた」と話した笹岡。自身最大規模の個展となる本展では、初期作から展覧会のために制作された新作まで、全10作品がゆるやかな時系列順に並ぶ。 

展示構成において、ひとつのキーワードになっているのが「人形」だ。2011年から制作されている笹岡の映像作品には目や口など自身の顔のパーツが使われたキャラクターや、自身が演じるキャラクターが登場する。そして編集や合成の際に生じるノイズやバグなどをあえて残し、絵画における筆の跡や絵具のたまりのような、人の手の痕跡を感じさせる独自の映像世界を作り出している。

こうした作品を制作するようになったきっかけは、東日本大震災の際の個人的な経験にある。

「油絵専攻で絵を描いていたのですが、震災以降、高精細なCGの映像を見るのにすごく恐怖を感じるようになった。そこから明らかに合成だとわかるような、宇宙人が降りてくる“クソコラ”の動画みたいなものを見漁る日々が続き、それによってとても癒された。津波の映像を見て、『現実じゃないみたい、映画みたいだな』って思う自分が怖くて」。“クソコラ”のような粗い編集のCG映像が、筆致が残る絵画のようだと感じたことから、どこかアナログ感のある映像の制作を始めるようになった。

会場風景

歌う人形たちと、命や革命をめぐる物語

最初の展示室ではそのような経験から生まれた笹岡の初期作品が展示されている。本展で初展示となる《無題》(2011)は、笹岡が初めて制作した映像作品だ。わずか2秒の作品ながら、自身の顔や手足を用いて、自らがマリオネットに扮するなど、後の作品を予感させる要素が含まれている。

笹岡由梨子《無題》(2011)展示風景

《水中のボディ・ビルディング》(2012〜13)は、笹岡が初めて自作の歌をつけた作品。また《Anima》(2013〜14)では、命のある魚を人間が殺して食べるという現実を、作家自身と、某少年マンガの登場人物を彷彿とさせるキャラクターや少女マンガ風の男性キャラクターらによるミュージカルのような構成でユーモラスに見せる。キャラクターたちの見た目や動きと、捌かれる魚の映像の対比が、「命」という重いテーマを浮かび上がらせる。

ホラー映画『チャイルド・プレイ』に登場する殺人人形チャッキーに強いシンパシーを覚えるという笹岡は、自身が人形を演じることについて、「自分の分身を動かしたいっていう素直な欲求なのかな。なぜかわからないけど、人形になっているみたいな状態です」と語る。

笹岡由梨子《Anima》(2013-14)展示風景

《イカロスの花嫁》(2015〜16)では、作家は花嫁人形「ヨリコ」の役を生身で演じている。「西洋中心主義に対する革命」をテーマとした本作は、蝋で作った羽で空を飛び、太陽に近づきすぎたため墜落したイカロスのギリシャ神話に、未婚の戦死者に人形を嫁がせて供養するという第二次世界大戦時の風習が掛け合わされている。戦時中の流行歌のメロディに乗せて「啓発せよ! 啓発せよ!」と人形たちが歌い、「ヨリコ」の解放の物語が描かれる。

笹岡由梨子《イカロスの花嫁》(2015-16)展示風景

本展のタイトルは、「パラダイス=楽園」と「ダンジョン=地下迷宮」という一見相反する言葉が組み合わされている。

笹岡の作品には、愛らしさと不気味さを併せ持つ人形たちや、コミカルなストーリーの中にある「命」や「死」といったシリアスなテーマなど、ともすれば矛盾するとも思える性質が共存している。「楽園の地下迷宮」という展覧会タイトルは、そうした作家の両面性を象徴している。

展覧会タイトルにちなみ、会場も幕で仕切られた通路やネオンカラーの照明などを用いて薄暗い「ダンジョン」のような空間を意識した。

「来てくださった方に自分の身体のサイズってこんなんだったっけとか、自分がどこにいるのかわからなくなるような会場構成を考えて作った。『不思議の国のアリス』の身体の大きさが伸びたり縮んだりするみたいな不思議な体験を、このパラダイス・ダンジョンで体験していただければ」

会場風景

《イカロスの花嫁》の部屋を抜けると、緞帳のような幕のかかった展示室が現れる。ここからは、これまで見てきた映像作品よりも、さらにインスタレーション性が強くなった作品群が登場する。

展示室の床には赤い絨毯が敷かれ、耳に残る歌が流れている。「儀式」をテーマとした作品《プラナリア》(2020〜21)では、魚の頭を持つ人形が「腹上死」「感電死」など様々な方法で殺され、それを毛むくじゃらな黒ずくめの人物が祭壇に並べていく。魚の頭は笹岡が実際に食べ残したもので、人形が着ているのは自死率の高い12の国の民族衣装だ。本作は作家が初めて映像の合成を用いずに制作した作品だという。

笹岡由梨子《イカロスの花嫁》(2015-16)展示風景

制作の背景には、作家の身近な人の死やコロナ禍などがあり、「自分が死に対してすごく解像度が上がった時期だったので、食べて死んじゃった魚の頭をちゃんと愛でたいと思って作りました」と笹岡。流れる歌は耳馴染みが良いが、哀愁を感じさせるメロディを切り裂く「誰が殺したんや」の言葉がリアリティを持って響く。

労働する動物と人間、歌とドローイングが生まれる場所

青いネオンライトで縁取られた入り口をくぐると、今度は3体の人形がさらに賑やかな音を出している。昨年12月に開館したタイの新しい現代美術館ディブ・バンコクに収蔵されている《アニマーレ》(2024〜25)では、人間のために労働させられる動物たちの存在に光を当てる。

笹岡は第二次世界大戦時にポーランド軍に従軍したヒグマの「ヴォイテク」や、ソ連の宇宙開発実験の犠牲となった犬「ライカ」をはじめ、人間のための労働に関わった動物の事例を広範にリサーチ。人間と動物のキメラのような人形たちを作り上げた。人形は廃校で使われなくなった楽器を何かに抵抗するかのようにかき鳴らし、鑑賞者を「お父さん」と呼びながら、労働は人間という存在の条件なのか、労働において人間と動物を分けるものは何か、見る者に問いかける。

笹岡由梨子《アニマーレ》(2024-25)香港・PHDグループでの展示風景 ©︎ S.C.Felix Wong Courtesy of Dib Bangkok [*]

本作では、人形はもはや映像中の登場人物ではなく画面の外へと出てきて、その人形の身体の一部として作家の目や口といったパーツを映した映像が使われるようになっている。本展では展覧会全体を通して、笹岡の作品における人形と映像の関係の変遷も見てとれる。

ドローイング展示風景

人形とともに笹岡の作品の重要な構成要素となっているのが「歌」だ。笹岡は作品を制作する際、まず音楽の歌詞とイメージを作るところから始めるという。歌は《水中のボディ・ビルディング》以降、すべて自身で作詞作曲を手がけているが、作詞作曲をする際に大量のドローイングを描く。

「イメージが降りてきて、それを描くか描かないかを選択し、描きたいと思うものを描いていくと数珠つなぎにイメージと言葉が出てきて、それらが星座みたいにつながったときにフレーズが降りてくる、みたいな経験をしていて。それでずっと、壁にドローイングをたくさん貼って、それを楽譜代わりにして曲を完成させる、という作業工程で制作しています」

ドローイング制作と曲作りは同時進行で行われ、ひとたび曲が完成するとその作品のためのドローイングはもう描かれることはない。本展では、楽曲制作時に描かれたドローイングの一部を作品ごとにまとめ、笹岡のスタジオと同じ作りの壁に展示。イメージや言葉の断片からユニークな制作過程の一端が垣間見える。

ドローイング展示風景

移動・記憶・身体・家族を探求するファミリーワークと、新作《タイマツ》

ドローイングの部屋で一呼吸ついたあと、ダンジョンは次の部屋へと続く。大阪・関西万博の際に、ポーランドの協力を得て制作された《ポロニア》(2025)は、キュリー夫人として知られるマリア・スクウォドフスカ=キュリーについてのリサーチをもとにした作品。タイトルは、ポーランドにちなんで命名された元素「ポロニウム」とポーランド系ディアスポラを表す「ポロニア」の二重の意味を持ち、偶像としての「キュリー夫人」ではなく、科学者であり、移民であり、母であった複層的なアイデンティティを持つ人物として彼女を掘り下げる。

笹岡由梨子《ポロニア》(2025、アダム・ミツキェヴィチ・インスティトゥート蔵)展示風景

作品は操り人形にスクリーンが取り付けられた映像インスタレーションに加え、マリアと家族の人生を物語る木版や、作家の臓器をビーズの刺繍で表した《私の身体》などから構成され、移動や記憶、身体、家族、継承といったテーマを多層的に探求する。マリアが家族とともに研究活動を行っていたことから、いずれの作品も笹岡自身の家族を「共作者」として迎えたファミリーワークによって制作されている。「自分の身体も家族によって作られているし、自分の記憶もそうだなと思ったので、そこからインスピレーションを受けました」と作家は語る。

笹岡由梨子 スクウォドフスカ=キュリーの人生 No.3 家族 2025 アダム・ミツキェヴィチ・インスティトゥート蔵
笹岡由梨子《私の身体》(2025)展示風景

最後は本展のために制作された新作《タイマツ》(2026)だ。制作にあたり、過去の作品とそれらの制作を振り返り、これからに向けた作家の決意表明の意図を込めた作品だという。

横幅7メートルを超える本作は、鏡の反射を利用して万華鏡のように映像が映し出される。中国などでお祝い事で食べられる食材であり、同時に火を通さなければ食べられない「豚」をモチーフに、大津市にある就労継続支援B型作業所「蓬莱の家」の協力のもと、粘土でできた豚を使ってレシピを開発するというワークショップを経て作られた。映像には《ポロニア》に続いて複数の人物が登場しているが、その数は増え、マスゲームのようでもある。

笹岡由梨子 タイマツ 2026

《プラナリア》で一度、映像の合成から離れた笹岡だったが、徐々に戻ってきた編集に対する意欲が爆発した作品だといい、本作で初めて空撮にも挑戦している。万華鏡のような映像については、「絵画に対してどうやったらイリュージョンが起こるのかを探り続けている。鏡のイリュージョン(を用いて)、草間(彌生)さんの言葉を借りれば『自分が無限に増殖する』ということにチャレンジして作った作品」だと明かし、映像における絵画性への一貫した関心もうかがえる。

笹岡由梨子 アニマーレ 2024-25

このほか、2024年に「Made in Shiga」展の出展作として表参道の交差点で展示され、大きなインパクトを残した《ラヴァーズ》(2024)も、美術館の常設作品として展示されている。本作は、自身のペットの猫の去勢施術をきっかけに、摘出された「睾丸の遺霊碑」(笹岡)として作られた。

《ラヴァーズ》(2024)の前に立つ笹岡由梨子

大胆で意表をつく要素を組み合わせ、不思議とクセになる音楽とともに生や死、愛といった人間の根幹に関わるテーマを投げかける笹岡の作品は、自身がショックを受けた経験や、「ささやかなストレスの蓄積」がインスピレーション源となって生み出されるのだという。幕が開いた本展を見て、「私の人生、間違ってなかったんだ」と感じたと話した作家。展示室に足を踏み入れ、不気味でユーモラス、コミカルで少し怖い笹岡由梨子の「ダンジョン」に迷い込んでみてほしい。

後藤美波(編集部)

後藤美波(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集部所属。ライター・編集者。