会場風景
森村泰昌、ヤノベケンジ、やなぎみわ。国際的に活動しながら、ときにその歩みを交錯させていた3人のアーティストが再び大阪で邂逅する展覧会「驚異の部屋の私たち、消滅せよ。—森村泰昌・ヤノベケンジ・やなぎみわ—」が大阪中之島美術館で開幕した。会期は4月25日から7月20日まで。担当学芸員は同館の大下裕司。
本展は森村の呼びかけを起点に実現した。「この3人で展覧会をやったら面白そう」という「思いつき」に端を発し、ヤノベとやなぎに声をかけ、美術館も賛同するかたちで2年前に企画がスタートしたという。通常の学芸員企画の展覧会とは異なり、アーティスト発案で作られた本展について、同館館長代行の植木啓子は「美術館としてもこれまでの展覧会にないやり方で実施したということもあり、得難い経験」と振り返る。

展覧会タイトルにある「驚異」と「消滅」とはなんなのか。森村はこう語る。「我々3人の今回の表現は、量的な意味において、大きさや饒舌性、精神的な重みという意味においても、いずれもが過剰である。何か度を越した過剰性、そういったものであることへの欲望の発露としての表現になっているように思います。『過剰性の驚異』あるいは『驚異の過剰性』が我々3人にはどうしようもなく体質として備わっている」
本展は「驚異の部屋」となった4つの展示室の最後に後述する「消滅美術館」が出現し、展覧会を締めくくる。最後に「消滅」が現れるのは、その「過剰性が持つ危うさ」を3作家が自覚しているからだという。「過剰であることの驚異性と、まったく真逆の何もないという消滅性。このふたつを注意深く見極めながら、危うい綱渡りを続けていくような感覚。これが過剰性の果てに見出した共通の手段ではなかったかと思っています」

エスカレーターで5階に上がると、展示室の外でまず3人による立体作品が観客を出迎える。「私たちは、それぞれの旗を掲げる。」と題されたプロローグは、純然たる共同作品ではなく、三者三様の「私」の宣言だ。森村は松本竣介の《立てる像》を思わせる人物と透明な旗、やなぎは白銅の《Mirror & Hammer》、ヤノベは《SHIP'S CAT》と「100歳の自分の肖像」が電気自動車に乗った作品をそれぞれ提示する。それぞれが異なる旗を掲げ、これから始まる「驚異の部屋」に誘う。

3人の表現が衝突する導入部を経てたどりつく最初の展示室は、ヤノベケンジによる「博覧会は子供の領分」。「徹底的にやってほしい」という森村のオーダーに応えたヤノベが作り出したのは、大阪万博跡地を遊び場とした幼少期の原体験を起点とする「100歳のヤノベケンジの回顧展」をイメージした空間だ。入り口には《SHIP'S CAT》と守護獣《KOMAINU》が脇を固める巨大彫刻が鎮座し、奥には生命の起源を体感させる球体彫刻《ウルトラ─黒い太陽》、特殊メイクで老いた「100歳のヤノベケンジ」が100年を振り返る映像作品などが続く。
さらに、原発事故後のチェルノブイリを探訪する「アトムスーツ・プロジェクト」、核の危機をテーマとした「トラやん」、東日本大震災後の活動を象徴する「サン・チャイルド」「サン・シスター」まで、作家の代表的なシリーズの関連作品が通路や壁の上まで所狭しと並ぶ。その物量とスケールはまさに「過剰」だ。最新作《稲妻絵画》は、テスラコイルの電流が絵画に痕跡として刻まれる作品で、1日2回、実際に稲妻が落ちる瞬間を目撃できる。
続く第2室は、森村の展示「広場にパノラマ絵画奇譚」。新作の「写真絵画」8点から構成される《M式・大阪八景》が展開される。
本作はかつて大阪を舞台に撮影した写真作品を、映画看板の絵師によって巨大な看板絵に仕立てたものだ。ロケ地となっているのは、大阪城公園の旧第四師団司令本部庁舎や、通天閣、釜ヶ崎、旧大阪赤十字病院、森村の父が営んだ商店「寺田園」など、様々な歴史的、文化的文脈を持つ場所。絵の中の森村は三島由紀夫、マリリン・モンロー、昭和天皇とマッカーサーなどに扮し、時代も場もバラバラな「もうひとつの大阪」を出現させる。
かつての風景は姿を変え、いまはもう見ることができない。「失われた記憶の復活祭」と森村が言うこの展示には、各作品にQRコードが付き、読み取ると作品ごとの解説音声映像を見ることができる。解説をまとめたタブロイド版も配布されており、それらを手がかりに壁面をたどっていくと、時代を超えた「アナザー大阪」に迷い込む感覚を呼び起こす。
第3室はやなぎみわによる「坂道のオード(賛歌)」。作家が「あの世とこの世がドロドロした世界」と話すこの部屋では、近年演劇作品に精力的に取り組むやなぎが、『古事記』の「黄泉平坂」と、北海道・東北に自生するオオウバユリをモチーフに制作した作品が並ぶ。

「黄泉平坂」のシリーズは、火の神を産んだ火傷がもとで黄泉に追いやられたイザナミに、イザナギが桃を投げつけ永遠の別れを果たすエピソードに基づく。新作の映像作品《黄泉平坂〜排斥と遊戯〜》は自身の制作現場である京都と、台湾の金属産廃の工場で撮影され、火・土・鐵・水などを産んだ女神の存在と、金属をリサイクルし続ける人間の業を古事記に重ね合わせる。この作品は、5月28〜30日に舞台作品としても上演される。
さらに福島の真夜中の桃果樹園を10年にわたって撮り続けた写真シリーズや、桃を掴む女神イザナミの腕や骸骨などを白銅で鋳造したインスタレーション《飛礫と瓦礫》、作品のためのスケッチなども並び、境界における排斥と断絶の物語を描き出す。

もうひとつの「大姥百合」シリーズでは、昨年の「神戸六甲ミーツ・アート2025 beyond」で上演した野外劇の記録と、オオウバユリのブロンズ彫刻を展示。草木が成仏するという能楽のテーマ「悉皆成仏」を独自に解釈したこの作品とあわせ、会場には声なきもの、周縁に追いやられてきたものの気配が立ち上がる。
「迷宮を紡ぐ厳粛な綱渡り」と題された4つ目の部屋では、ふたたび3人の表現が邂逅する。それぞれの現在の関心から生まれた最新作が、ひとつの空間で紹介される。
やなぎは世界各地に残る「女性の船首像」を撮影したシリーズと、今年新たに制作した《戦勝記念塔(ロストラ柱)につけられた船首像たち》を展示する。敵船から切り取った船首を飾る戦勝記念塔「ロストラ柱」と、英雄たちの征服と植民地化を語るギリシャ神話「アルゴー船」の冒険譚。守護の象徴であると同時に「見られる存在」として支配構造を写し出す女性の船首像を、作家は写真の中で反転させ、その象徴性を揺さぶる。
ヤノベは、古代中国の「八卦」の8概念から着想した新作「八卦連環」シリーズ全8本を初めて一堂に揃える。刀剣は作家にとって、危機の時代を切り開く象徴であると同時に、歴史や記憶と結びつくものだという。「八卦連環」では、天・沢・火・雷・風・水・山・地それぞれの自然現象を象徴する短刀に、対応するヤノベ作品をもとにした装飾が施されている。さらに、刀匠・河内國平との協働による刀剣と漆芸の作品《天地以順動》も合わせて展示される。
森村は、大阪中之島美術館に所蔵されている大阪の日本画家・木谷千種の1926年の屏風作品《浄瑠璃船》を「M式」として独自解釈した写真作品を発表する。浄瑠璃の太夫、三味線、船頭、浄瑠璃を聞く人々まですべての登場人物を森村が演じ、実物大の船を水に浮かべて特撮的手法で撮影。生身の人間が光と影を受けて現れる「リアル」にこだわった本作は、原画とは異なる重みを帯びる。さらに屏風の裏面にも作品が展開し、表の絵で演じられている浄瑠璃作品の主人公が登場する「もうひとつの物語」が幻想的に続く。
「過剰」な物量と密度が続いた4つの部屋を抜けると、第5室「絶望するな。では、失敬」には一転して真っ白な空間が広がる。空の舞台と台座、キャンバスだけが置かれ、展示物は「消滅」している。
《消滅美術館》と題されたこの作品は、空白の空間に「語り部」と呼ばれるパフォーマーが現れ、3人が書いた台本をもとに、見えない作品を語るというものだ。講談師、能楽師、パントマイム俳優、落語家、浪曲師、ダンサーなど、様々なジャンルの語り部がそれぞれの手法で、やなぎが「エアー展示」と呼ぶ見えない展示を出現させる。
「観客はそれに耳を傾けることで、そこにはなかったはずのエアー展示が夢幻能における亡霊のように空間を浮上する様を体感する。何もないのに語りが何かをあらしめる」と森村。ここでは1日5回、約15分のパフォーマンスが上演される。報道陣向け内覧会では講談師とマイム俳優によるパフォーマンスが披露されたが、同じ物語ながらまったく異なる表現になっており、来場者は来るたびに異なる「消滅」を体験できるだろう。
そしてエピローグとして、2年間にわたる本展の構想期間を映像作家の林勇気が記録したドキュメンタリー映像《Frames》が上映され、本展は幕を閉じる。
ともに関西出身の3作家が「驚異の部屋の私たち」として大阪に集い、それぞれの確固たる「私」を提示した末に「消滅」へと至る本展。その圧倒的なエネルギーを会場で体感してほしい。
*本展のおすすめグッズはこちら