会場風景
リトアニアを代表する芸術家、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス(1875〜1911)の回顧展「チュルリョーニス展 内なる星図」が、東京・上野の国立西洋美術館で開幕した。会期は6月14日まで。
1875年にリトアニア南部の町に生まれたチュルリョーニスは、絵画と音楽というふたつの領域で類まれな才能を発揮し、1911年に35歳の若さで亡くなるまでのわずか6年ほどの画業で300点以上の作品を手がけた。世紀末のアール・ヌーヴォーや象徴主義、ジャポニスムといった当時の潮流と共鳴しつつも、作曲家としての感性とロシア帝国の支配下にあったリトアニア固有のアイデンティティに根差した作品群は、独自の世界を形成。さらに神智学や天文学などの思想潮流にも関心を示し、人間の精神世界や宇宙の神秘を巡る思索に満ちた絵画を制作した。2000年以降、パリのオルセー美術館をはじめ、ヨーロッパ各地で展覧会が開催されるなど再評価の機運が高まっている。

日本では34年ぶりの大回顧展となる本展は、祖国リトアニアにおけるチュルリョーニス生誕150周年(2025年)の祝賀ムードを引き継いで開催される。現存する作品の大部分を所蔵する国立M.K.チュルリョーニス美術館(カウナス、リトアニア)の全面協力のもと、厳選された約80点の絵画やグラフィック作品が来日した。謎に包まれた代表作《レックス(王)》をはじめ、日本初公開の作品が複数含まれる。担当学芸員は朝倉南(国立西洋美術館研究員)。
展示はテーマごとに区切った全3章とプロローグ、エピローグから構成されており、短くも濃密な画業の軌跡をたどることができる。プロローグではまず、画業の出発点を紹介する。
オルガン奏者の父を持ち、幼い頃から音楽の才能を示したチュルリョーニスは、18歳のときに作曲を学ぶためポーランドのワルシャワ音楽院に入学。さらにドイツのライプツィヒの音楽院で学んだのち、1902年頃から絵画の道を本格的に志すようになる。絵画制作に集中的に取り組んだのは1903年頃〜1909年の6年ほどのことだ。
作家は、1904年の春に新たに開校したワルシャワ美術学校に入学した。初期作品の大部分は失われており、ここで展示されている《森の囁き》(1904)は数少ない現存する作品のひとつ。暗い森の中で立ち並ぶ木々の上に、かすんだ人の手が浮かび上がる。木立と竪琴の弦、森のざわめきと竪琴の音色を重ね合わせたこの作品には、絵画と音楽、視覚的なものと聴覚的なものの融合というテーマがすでに見てとれる。
第1章「自然のリズム」では、チュルリョーニスが描いた自然の表現を紹介している。
ワルシャワを拠点にしながらも、祖国リトアニアの豊かな自然はチュルリョーニスにとって創造の源であり続けた。1905年のコーカサス地方への旅で壮大な山々に触れたことも、自然の力への眼をさらに開かせた。雪に覆われた山がひとつの塊のようにダイナミックに描かれた《山》(1906)は、その旅で得た印象をもとに制作された作品だ。
ただし、ここに並ぶ作品群は、いわゆる写実的な風景画とは異なっている。チュルリョーニスの絵画作品に地誌的な風景表現はほとんど存在せず、作家が関心を抱いたのは、自然の「動的な移ろい」だったという。担当学芸員の朝倉は、「自然の内部に流れるリズムや生命の循環そのものを、抽象的、時には擬人的にとらえて、そこに叙情性や象徴性を与えている」と説明する。


雪解けの大地、芽吹く若葉など、春の自然を題材とした作品群や、連作《冬》(1907)は、そうした自然のリズムへの関心が結実したもの。
8点から成る《冬》では、生命の象徴である樹木が様々なかたちで変奏され、雪が降りしきる情景から生と死の対比、燭台のように描かれた樹木を経て、雪片が幾何学的な星や矩形となった抽象的な風景へと変化していく。同時代の作家が冬の静謐でメランコリックな側面に着目したのに対し、チュルリョーニスは自然の内なる力を可視化したという。


また《閃光》(1906)では、光の群れの移ろいとともに「門」のモチーフが登場する。現実と幻想、此岸と彼岸を隔てながら結びつける通過点の象徴として、門はチュルリョーニスの絵画に繰り返し現れる。

続く「交響する絵画」は、チュルリョーニスを近代美術史における独創的な作家に位置付ける特徴である「絵画と音楽の融合」に焦点を当てる章だ。作家がこのテーマに集中的に取り組んだのは1907年から09年にかけてのこと。当時は同時代の多くの芸術家が絵画と音楽の融合に取り組んだが、チュルリョーニスの最大の特徴は、音楽の構造を絵画の構造に取り入れようとしたことだった。ここで紹介される作品は、フーガ、ソナタといった音楽用語を作品タイトルに冠している。
《プレリュード》《フーガ》(1908)の2連画では、未完の《プレリュード》が導入となり、水面に映るモミの木の変奏が描かれた《フーガ》へとつながる。フーガは複数の声部で主旋律が展開される多声音楽の一形式だが、水平に分割された画面に描かれたモミの木の層は複数の声部に該当し、多声の共鳴を想起させる構図になっているという。離れて見てみると、線を成す木のシルエットが、音符の連なった楽譜のようにも感じられる。
いっぽうのソナタは3、4つの複数の楽章から構成される音楽形式。チュルリョーニスはソナタ形式を取り入れた作品を7点制作しており、本展ではうち3点《第3ソナタ(蛇のソナタ)》《第5ソナタ(海のソナタ)》《第6ソナタ(星のソナタ)》(いずれも1908)を展示している。
薄い緑のモノトーンで統一された連作《蛇のソナタ》は、「アレグロ」「アンダンテ」「スケルツォ」「フィナーレ」の4楽章から成る。蛇はリトアニアの神話や民間信仰で神聖視される存在であり、家に豊穣をもたらすとして人々のあいだでも大切に飼われていたという。蛇の体が蛇行、水平、垂直とかたちを変え、フィナーレに向けて楽章は場面を展開させていく。
《海のソナタ》は「アレグロ」「アンダンテ」「フィナーレ」の3点から構成。輝く泡の粒がリズムを作り出す「アレグロ」から、涙のように泡の粒が落ち、下から大きな手が伸びる神話的な「アンダンテ」へと移り、「フィナーレ」では葛飾北斎の《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》を参照したとされる、大きな波で劇的に締めくくる。なお《冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は、隣の展示室で同時開催されている「北斎 冨嶽三十六景 井内コレクションより」展で見ることができる。

本章ではチュルリョーニス作曲の交響詩「海」が展示室に流れ、「絵画と音楽の融合」をより立体的に感じられる。
第3章「リトアニアに捧げるファンタジー」は、チュルリョーニスの作品において重要な要素であったリトアリアの民族性がテーマ。
ロシア帝国支配下で民族解放運動が高まる1900年代のリトアニアで、チュルリョーニスは「リトアニア美術展」を組織した最初のメンバーになるなど、この運動に積極的に関わった。彼は祖国に息づく民話や民謡、民芸などの民衆文化の再評価こそがリトアニア固有の芸術様式の構築に不可欠であると考え、しばしばそれを作品の着想源とした。
たとえば《リトアニアの墓地》(1909)に描かれた十字架はその象徴だ。リトアニアでは、自然崇拝を現す記念柱や祈りの場が古くから存在し、その伝統とキリスト教の象徴が融合して民間信仰となった。ロシア帝国支配下では十字架制作が伝統的な民族アイデンティティの象徴として弾圧の対象にもなったが、それゆえに民族独立の象徴的なイメージとしても広がった。本作では、緑の背景にリズミカルに浮かび上がる十字架のシルエットと上空の北斗七星が、民族的な記憶と結びついた精神的な風景を表している。
また深い緑で故郷近くの谷間を描いた3連作《ライガルダス》は、完成されたチュルリョーニスの絵画作品としては唯一の地誌的な風景画だが、この地に古来から伝わる民間伝承に関係しているという。
本章では、「リトアニア美術展」のカタログ表紙や、活動家で作家の妻ソフィヤ・キマンタイテと共著したエッセイ集のための表紙デザイン、頭文字のヴィネット(本文を飾る装飾図案)など、チュルリョーニスが手がけたグラフィック作品の数々も見どころだ。リトアニアの自然や伝統、文化と結びついた装飾的なモチーフが緻密に描かれている。
チュルリョーニスはこの時代、神智学や天文学といった国際的な思想潮流にも関心を寄せており、人間の精神世界や宇宙の神秘をめぐる幻想的な作品を多数制作した。1907年以降は童話や民間伝承の語りの構造を主題とした「おとぎ話」をタイトルに含む独自の形式を確立し、魔法の世界や王、王女、騎士、旅、道といった典型的なモチーフを取り入れた物語性のある作品を手がけた。
オレンジの明るい色彩と、見下ろすような視点で描かれた階段状の祭壇が目を引く《祭壇》(1909)は、祭壇の壁面に8つの場面が描かれ、下から上へ物語が展開していく。下の段に小さく描かれた騎士の旅が、人間の精神の旅を表していると見られている。展覧会のメインヴィジュアルに採用されたこの作品は日本初公開。実際に見てみると想像よりも小型の作品で、だからこそ細部に込められた象徴性の密度に引き込まれる。
展覧会を締めくくるのは、こちらも日本初展示となる《レックス(王)》だ。大きなキャンバス作品を展覧会に出品すべく制作された本作は、チュルリョーニス作品のなかで唯一1mを超える最大の絵画作品にして、「最大の野心作」(朝倉研究員)。
「王」は初期から一貫して取り組んだ主題のひとつだ。ここでも象徴的なモチーフが無数に描かれているが、最下部の水面から、炎をあげる祭壇、木々が立ち並ぶ地平線、天に浮かぶ太陽と月へと、画面は多層的な構造を重ねていく。火・水・大地・大気という四大元素が揃い、世界の構成要素がひとつの画面に凝縮されている。その中心に透明に浮かび上がる「王」の姿が、各層を貫くようにそびえ立っている。
本作は、ロシア芸術界の重鎮アレクサンドル・ベヌアの絶賛を受けたが、チュルリョーニス自身はそれを知ることはなく、過酷な制作活動や伴わない名声に傷つき心身を病んでいった。そして1911年4月10日、35歳でその生涯を閉じた。
音楽と絵画の融合を探究し、リトアニアのアイデンティティと精神的な象徴性に満ちた唯一無二の作品群を残したチュルリョーニス。生涯で手がけた作品数が300点超であることを考えると、そのうち約80点が一堂に会する本展は貴重な機会だ。会場でリトアニアを代表する芸術家の世界に触れてほしい。
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